2008年07月07日

ワールドアットウォーAAR連載ドイツ編第3回

1941春(続き)
北大西洋1、5で潜水艦を失う。イタリア領東アフリカ西側連合の攻撃で陥落。

1941夏
アメリカの工業生産力2倍になる。ここでポルトガルが西側連合に参加する。

さあ、独ソ戦だ。まずポーランド西部の歩兵部隊がポーランド東部に殺到(歩兵7、砲兵2)。
プロシア東部の戦車部隊(戦車部隊12、歩兵部隊4、砲兵1)もバルト三国に突入。この戦闘ではこちらの歩兵部隊3つが損害を受けた。

東プロシアで攻撃をしなかった戦車部隊8部隊のうち6部隊をレニングラードに突入させる。残り2部隊はヴェリーキエ・ルーキに突入。ポーランド西部に待機していた空挺部隊と戦車部隊が白ロシアに突入。この戦いでは重爆撃機が損害を受けた。そしてバルト海に逃れたソ連艦隊に海軍部隊と航空部隊が襲い掛かる。

これでこのターンのソ連侵攻は終了。あとは占領地の鉄道や工場の修復、地中海、大西洋の通商破壊、生産した部隊の前線への移動でこのフェイズは終わりだ。

生産フェイズはまず残っている補給ポイント(42)を諜報に割り振る。割り振りは保安2、信号2、西側、ソ連に1ずつ。これで残り20。これは次のターンのストックとして残しておく。

占領地の生産は変わらず。イタリア南部は民兵と補給。イタリア北部は研究、補給2、潜水艦。

ドイツは人口ポイントがマイナスに落ち込んだのでドイツ西部の歩兵部隊の生産を留保する。
チェコスロバキア(2) 歩兵、戦車
オーストリア(1) 研究
ドイツ東部(2) 歩兵、研究
ドイツ西部(4) 補給2、研究1、戦車

研究ポイント 潜水艦魚雷攻撃力2、戦略爆撃機地上攻撃力1、戦車回避、地上攻撃力1ずつ。

これでこのターンは終了。

ソ連がペルシア北部、ルーマニア(この攻撃は失敗)を攻撃。
西側連合がペルシア南部を攻撃。

1941秋
ハンガリー、ルーマニア、フィンランドが枢軸側に参戦。ドイツ、ソ連の工業生産力3倍になる。

ポーランド東部の歩兵部隊キエフに突入。キエフは鉄道と資源を中心に修復。ヴェリーキエ・ルーキの戦車部隊、クルスクを攻撃。


フィンランド部隊、カレリアを攻撃。

あとはハンガリーの民兵隊などを入れ替えたら補給が0になってしまったのでこれにて攻撃打ち切り。

生産フェイズではゲリラにやられたオランダの鉄道を援助物資で修復。

占領地は同じ。今回からハンガリー、ルーマニアの工場も使える。これらの工場で生産可能なのは民兵と、補給と、研究。

まず、ハンガリー(1)では民兵を作る。
ルーマニア(本来は2あるが戦闘機が生産中なので1)は補給。
イタリア南部は研究、補給。
イタリア北部(4)は補給2、研究1、潜水艦

チェコスロバキア(最大値6→使用可能4以下同じ)補給2、研究、歩兵。

オーストリア(3→2)歩兵、補給
ドイツ東部(6→5)補給2、研究、歩兵、砲兵
ドイツ西部(15→13)補給8、研究2、歩兵留保解除、歩兵、戦車

研究ポイント 潜水艦魚雷攻撃力3、戦略爆撃機地上攻撃力2、回避1、戦車地上攻撃力1。

日本軍、ハワイを攻撃。ついに太平洋戦争の火蓋が切って落とされた。

真珠湾攻撃の結果は重艦隊2と軽艦隊1にダメージ、重艦隊1つを破壊。

スル海、セレベス海、アンダマン海、南太平洋4、7の輸送艦を攻撃。

マラヤ、ルソン、サラワク、グアムを占領。ジャワを空爆。

中国戦線でも日本の陸上部隊が長沙の攻略を試みるがこれは失敗。

ソ連はクルスクを攻撃し、これを奪還。(こちらの損害は戦車1のみ)キエフにも空爆を加える。

ブラジルが西側連合に参戦。バレンツ海のドイツ潜水艦部隊が破壊される。サルディーニャが占領される。

1942冬
かくしてアメリカの工業生産力が3倍となる。
まずは大西洋と地中海の通商破壊から。オーストリアと南イタリアの重爆撃機隊がティレニア海の輸送艦を攻撃。フィンランド湾のソ連潜水艦を掃討。すぐに潜水艦隊がティレニア海に入り、残った輸送艦を掃討する。地中海に残っている残りの潜水艦は東地中海の輸送艦隊を攻撃。
それが終わってバルト三国に駐屯していた戦車部隊を使ってスモレンスクに突入。ヴェリーキエ・ルーキの戦車部隊はクルスクに突入、歩兵部隊はカリーニンへ。ルーマニアの民兵をオデッサに。あとは前線の防備を固める。

残り補給13といったところで移動終了。

さて生産フェイズだ。まずはゲリラにやられたところの修復から。ここからはドイツ本国での生産を先に行う。

ドイツ西部(10)補給5、研究2、戦車、歩兵、潜水艦
ドイツ東部(4)補給、戦車、潜水艦
オーストリア(2)補給、歩兵
チェコスロバキア(4)補給3、研究、戦車
イタリア南部は補給と研究
イタリア北部(4)補給2、研究、潜水艦
ルーマニア、ハンガリーは全て補給。占領地も資源が尽きるまで全て補給に回す

研究は戦略爆撃機の回避に2、重爆撃機 回避、潜水艦 回避、魚雷攻撃力のそれぞれ1ずつ。


これでソ連の冬季攻勢に備えよう。次回はそのソ連の冬季攻勢から始まる。

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2008年07月05日

ワールドアットウォードイツ編第2回

フランス降伏まではほとんど障害らしい障害も無く進めて来れたが、ここからが正念場。

1940冬(続き)

日本は長沙と長慶を空爆。

西側連合は北大西洋9(フランス西部沖からドーバー海峡にかけて)で輸送艦にダメージを受ける。

1940春
ここでイタリアが参戦。ソ連の工業生産力が2倍になる。

早速イタリア海軍を使って中央地中海の西側連合海軍を攻撃。攻撃は失敗したが、重艦隊のダメージ1で済んだのは幸運だった。
そしてイタリア軍潜水艦を西地中海に派遣。当地の輸送艦を攻撃する。それから潜水艦はティレニア海に引き上げ。大西洋のドイツ海軍も北大西洋4および5にある連合軍輸送艦を攻撃。そして残りの潜水艦を北大西洋1に配置。

ここでまたもトルコと交渉、やはり失敗。

フランス西部に駐屯していた戦車部隊を冒頭に上げた指針に基づき東プロシアへ移動させる。

また空挺歩兵をユーゴスラビア突入軍としてドイツ西部に移動させる。チェコスロバキアの戦車隊も同様にユーゴスラビア突入軍としてオーストリアに送る。砲兵隊はポーランド西部に送る。そしてイタリア北部の民兵をオランダやフランス東部に移動させて、その代わり正規歩兵をイタリア北部へ送り込む。イタリア南部の民兵もデンマークやフランス頭部の歩兵と入れ替える。

これでとりあえず移動は終了。生産フェイズに入る。
まずは修理からだ。8しかないので完全修理は無理。5使って半分修理して、残り3を対ソ連に使う。

これからはイタリアの工場も自由に使えるようになる。だが、今までイタリアから受けていた資源や補給の援助は受けられなくなる。イタリアの工場で作れるのは補給と研究と海軍と民兵。

まずイタリア南部(工場2)では補給と研究を作る。イタリア北部(工場6、ただし現在ダメージを受けた十艦隊が生産ラインに乗っているので5)は潜水艦、補給3、研究1

占領地ではフランス西部で研究を1作るほかは補給に費やす。

ドイツ国内はほとんどを部隊の生産に費やす。
チェコスロバキア(工場残り2)歩兵1、戦車1
オーストリア(工場残り2)重爆撃機の留保解除、歩兵1
ドイツ東部(工場残り2)潜水艦、戦車
ドイツ西部(工場残り5)補給2、歩兵1、潜水艦1、戦闘機1 

研究ポイントは潜水艦の回避と魚雷攻撃力、そして戦車の地上攻撃力に回す。

日本は柳州を制圧。北大西洋5に存在した潜水艦がダメージを受ける。

1940年夏
ソ連がルーマニアを攻撃するイベント発生。
まずトルコと交渉し、成功。
イタリア海軍による中央地中海の攻撃を再開。ドイツ海軍による北大西洋4および5の輸送船攻撃。ティレニア海のイタリア潜水艦、北大西洋9(カナリア諸島沖)の連合軍輸送艦を攻撃・・・したけど、こっちがダメージを受けちまったよ。

ここでユーゴスラビアに攻撃を仕掛ける。ドイツ西部の空挺部隊やオーストリアに待機させていた部隊を突入させる。こちらは歩兵にダメージを受けるが作戦は成功。

あとは戦車部隊を東プロシアへ移動させて、フランス西部の工場とユーゴスラビアの鉄道を修復して移動フェイズは終了。

生産フェイズではまずユーゴスラビアの資源を修復する。また3あまったのでそれを対ソ連に費やす。

占領地は前回と同じ。イタリア南部も前回と同じ。
残りは以下の通り。括弧内は工場の残り。
イタリア北部(2)潜水艦、研究 
ドイツ東部(1)戦車
ドイツ西部(3)補給、研究、歩兵

研究ポイントは潜水艦の回避と魚雷攻撃力、戦車の回避と地上攻撃力

中央地中海でイタリア海軍敗北。損害は軽艦隊ダメージ1、重艦隊破壊1。トブルクが制圧される。

1940秋
移動についてはグダグダ書く必要はあるまい。相変わらず大西洋でのウルフパックと前線への移動だ。

交渉はペルシアと行うがこれは失敗。

生産フェイズはまず保安1、信号1、対ソ連1をつぎ込む。

生産は占領地は相変わらずフランス西部で1研究に費やす他は補給だ。フランス西部の工場が完働状態なので今までより補給の生産は5増える。

イタリア南部も相変わらずの補給1、研究1。
イタリア北部は研究に費やす。

ドイツ国内は以下の通り
チェコスロバキア(3)補給、研究、歩兵
オーストリア(2)歩兵、砲兵
ドイツ東部(1)戦車
ドイツ西部(6)補給2、研究、戦闘機、砲兵、戦車
研究ポイントは前回に加えて戦略爆撃機の地上攻撃力に使う。

これで戦車の地上攻撃力が上がった。
北大西洋5のドイツ軍潜水艦を失う。

1941年冬
フランスの工業生産力が2倍になる。ドイツの対西側工作員が一斉検挙(数値的には1下がるだけだが)される。

まあこの辺は書く必要も無いことばかりだ。次のターンからは本格的なウルフパックを開始できるだろう。あえて書くとしたら中央地中海でイタリアの潜水艦が護衛つきの連合軍輸送艦を空軍の助けを借り、撃破したことくらいだろうか。

生産フェイズは保安1、信号1、西側2、ソ連1

占領地、イタリア南部の生産は変わらず。イタリア北部は補給。

チェコスロバキア(2)歩兵、研究
ドイツ東部(1) 歩兵
ドイツ西部(5)補給2、研究、歩兵、潜水艦

研究ポイント 潜水艦回避、魚雷攻撃力2 戦車回避(数値上昇)。

ソ連保安部隊がドイツのソ連諜報員を検挙。 
イタリア南部で航空部隊がダメージを受ける。
北大西洋10でドイツ軍潜水艦ダメージ。

1941春
移動フェイズでは相変わらずのウルフパックと独ソ戦準備だ。

ウルフパックではドイツ軍は潜水艦を1失った。

さて生産フェイズだ。これが独ソ戦前の最後の生産準備になる。

まずは諜報。保安1、信号1、対ソ連2、対西側1

占領地とイタリア南部は変わらず。イタリア北部は人口ポイントがマイナスに落ち込んでいるが、かまわず補給2、研究1

チェコスロバキア(3)補給2、歩兵
オーストリア(2)補給、研究
ドイツ東部(1)歩兵
ドイツ西部(5)補給3、研究、戦車

研究ポイント戦車 回避および地上攻撃力、潜水艦 魚雷攻撃力、戦略爆撃機 回避、地上攻撃力


ここでセーブする。いよいよ次のターンから独ソ戦だ。
posted by uzi at 23:39| Comment(1) | TrackBack(0) | ワールドアットウォー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月04日

ワールドアットウォーAARドイツ編第1回

では早速、ゲームスタート。
1939夏
まずはポーランド西部に侵攻。投入戦力は以下の通り。

東プロシア 戦車1、戦略爆撃機1、歩兵2、砲兵1
チェコスロバキア 歩兵3
ドイツ東部 歩兵1

これで成功確率は99%。攻撃開始!攻撃は成功。こちらの損害は歩兵ダメージが1のみ。次の手は言うまでも無くポーランド西部の資源や鉄道、工場は修理だ。戦車部隊は2エリア移動できるのでポーランド西部の戦車部隊をドイツ東部に移動させる。これで次のターンにオランダ突入が可能となる。

ギリシャと交易交渉が成功し、ギリシャと交易協定を結ぶ。(これでギリシャは枢軸支持に傾く)

ドイツ西部の歩兵部隊をデンマークに侵攻させる。デンマークの鉄道を直すと補給は残り29。

チェコスロバキア、オーストリア、ドイツ東部に駐屯していた部隊をドイツ西部やデンマークに移動。これらは戦略移動を使うので補給の減少は無い。

最後に残った29を諜報に割り振る。
諜報の初期値
保安 10
信号諜報 6
対日 0
対ソ連 4
対中 0
対西側 6

保安に4回し、残りの9を信号と対西側、対ソに回せばちょうど使い切る。
これで移動フェイズは終了。

生産フェイズの始めにいくつかの中立国から資源や補給が送られてくる。送られてきた分で補給は十分に間に合うだろう。

まずは生産の留保を解除する。チェコスロバキア(工場4)では次のターンに戦車が2部隊留保されているが、そのうち1部隊の留保解除にとどめる。このターンの分の奴は迷わず解除したが。別に新しく戦車を1生産し(完成は1940春)、解除しなかった分は研究にまわす。

オーストリア(工場2)は砲兵の留保を解除。残り1を歩兵の生産に充てる。

ドイツ東部(工場4)は次のターンに戦車1が留保されているので、それを解除。残りは潜水艦と戦車と研究。

ドイツ西部(工場10)はこのターン終了時に完成する歩兵、戦闘機、潜水艦、次のターンに完成する潜水艦、1940冬に完成する戦車の留保を解除。残りポイントを戦車1と研究2回す。

研究ポイントは戦車の回避と地上攻撃力に1ずつ。戦闘機と戦略爆撃機の回避に1ずつ回す。

これでドイツのターンは終了。ドイツの保安部隊が中国の信号諜報を下げたが、こちらにとっては全く関係ない。(日本にとってはうれしいことだろう)それよりむしろ連合国から技術を盗めたことが大きい。

日本軍は福州を攻略。

ソ連がフィンランド国境を攻撃するイベント発生(フィンランドが枢軸支持に傾く)←「冬戦争」じゃないじゃん!

1939秋
まずトルコと交渉する。←これは失敗。

ドイツ西部の砲兵部隊とドイツ東部とチェコスロバキアに駐屯する戦車部隊をオランダに突入させる。これで攻撃成功確率は97%。とりあえずこれで攻撃を仕掛ける。

こちらの損害は全く無く、オランダ軍を蹂躙する。その後ドイツ海軍(重艦隊1、軽艦隊1)がオランダ海軍に攻撃を仕掛ける。結果はこちらも軽艦隊を失ったが敵の軽艦隊を撃破する。戦闘終了後こちらの重艦隊はドイツ西部へと帰還する。

これで現在の残り補給ポイントは24。これを修復にまわす。とりあえずここでは鉄道の修復を重視する。資源の修復は生産フェイズに援助物資が来てからでも遅くは無い。

鉄道を修復したことでオランダにも戦略移動をかけられるようになった。ドイツ西部の部隊を歩兵5、高射砲1、戦闘機2をオランダに移動させる。これがフランス突入部隊となる。オーストリアの砲兵部隊は防衛部隊としてドイツ西部に送る。

最後に重爆撃機をドイツ東部からドイツ西部に送る。なぜこうしたかは生産フェイズのときに述べる。

さて、生産フェイズだ。今回からポーランド西部の工場が稼動するが、ここは占領地なので研究か補給しか作れない。

まずは手に入れた補給でオランダの資源を修復する。

ポーランド西部で補給を作る。援助物資だけではおそらく次のターンは賄いきれまい。諜報にも少し回すことを考えると、研究ポイントは少し犠牲になるがここは補給のほうがいいだろう。

チェコスロバキアではまず先のターンに留保解除しなかった戦車部隊を解除する。残り1で新規に戦車を生産する。

ドイツ西部で留保解除していなかった全ての部隊の留保を解除する。1940年も春に完成する重爆撃機や1941年春に完成する重艦隊は今のところ使いどころは無いが、空挺歩兵部隊はフランス西部への突入部隊の一角を担うこととなるであろう。残り4を研究2、補給1、戦車1につぎ込む。

残りはドイツ東部とオーストリア。ここはとりあえず2つとも補給。

研究は今後の大西洋における作戦を考えて、潜水艦の魚雷攻撃力と回避に1ずつあてる。

最後に諜報を保安1、信号1、対西側1費やす。独ソ戦開戦まではソ連の動きはそれほど気にしなくて良いだろう。

日本は蘭州と長沙を空爆。

1940冬
ここでイギリスとカナダ、日本の工場生産が3倍になる。

今回もトルコと交渉。←失敗

オランダ駐屯の全軍とドイツ西部の重爆撃隊(空挺歩兵)、これで52%。それに加えて重艦隊を出動させて沿岸砲撃を行う。こいつは博打だが、ここで勝てばフランスは降伏する。

結果はこちらの損害が戦闘機1、歩兵2、砲兵1、重艦隊1がダメージを受け、砲兵1が破壊されたが何とか勝利。ここにフランスは降伏し、ヴィシー政権が誕生した。

まずドイツ西部に残っていた歩兵部隊をオランダとフランス東部に移動させる。これは対ゲリラ制圧部隊である。砲兵と高射砲も沿岸防御用にオランダへと移動する。

そして潜水艦部隊をフランス西部へ移動させる。これは大西洋における作戦のためである。

ドイツ東部とチェコスロバキアにある戦車部隊は東プロシアへ送る。この目的を述べるのはとりあえず次回に回す。

オーストリアの歩兵部隊はユーゴスラビア突入用としてここで待機。

と、ここまでを戦略移動させたところでフランス西部の修復に移る。現在のところ残り補給ポイントは19。鉄道を1つ完全修復し、資源を一つ半修復して残りは4というところで移動フェイズは終了。

生産フェイズにはスペインやギリシャ、トルコなんかからも資源や物資が送られてきた。おそらく次のターンにはイタリアが参戦するので、物資を援助任せにできるのはこのターンが最後になろう。

まず送り込まれた物資を使って、フランス西部の鉄道、資源、工場をできる限り修復する。これでフランス西部は工場1つを除いて全て修復が完了する。

ここから生産だ。まずポーランド西部とフランス東部の工場で補給を生産する。

オーストリアの工場で生産がオーバーフロウを起こしているので、重爆撃機の生産を留保する。

残っているのはドイツ西部2、ドイツ東部2。ドイツ東部で潜水艦1、補給1。ドイツ西部で補給1、研究1を生産する。

研究は潜水艦の回避に回す。補給は残り2しかないから、諜報には回せない。ここでターンエンドだ。








これで戦争の第1段階は終わった。次回は独ソ戦に向けての準備段階ということになるだろう。
posted by uzi at 21:08| Comment(2) | TrackBack(0) | ワールドアットウォー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月03日

ゲームを始める前に

向こうのBLOGのほうの作業が立て込んでいた為、ちょっとスタートが遅れましたが早速始めましょう。
まずシナリオを書くのを忘れてたので、それを。シナリオは前回と同じ「総力戦」ということになります。


ゲーム開始時のヨーロッパまず、これがゲーム開始時のヨーロッパ情勢だ。灰色というより黒に近い色がドイツ、緑が連合国、茶色がソ連、白が中立国だ。

このゲームは地名がすごく大まかなので、この地図を頭に置いてくれれば、今後の説明もすごくわかり易くなるのではないかと思う。



生産図これはゲーム開始時にドイツ軍が留保している部隊だ。留保されている部隊の下に描かれているのは生産遅延を表す。つまり歩兵部隊を1939年の夏に生産すると実際に出来上がってくるのは1939年秋の生産フェイズ終了時(つまり次のターンの終了時)なるというわけだ。
この辺を頭に置くと、生産フェイズに生産したものがいつ出来上がってくるのか、というのが理解できると思う。


この辺を踏まえた上での初期戦術だ。戦争の第1段階は歴史通りのポーランド西部を制圧し、マジノ線を迂回、オランダを落とした後にフランス西部を制圧するという流れになっていくだろう。

そして生産は機甲、歩兵、潜水艦を上手くローテーションしていくというのが基本ライン。

次回から早速スタート。記録方法は前回と同じ方式でターンごとの行動を記録する方式にしていきます。

posted by uzi at 21:15| Comment(1) | TrackBack(0) | ワールドアットウォー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月30日

ワールドアットウォー まず初期設定から

初期設定は以下の通り。

ドイツ プレイヤー
日本 AI
中国 AI
ソ連 AI
西側連合 AI

難易度設定 初級
フォグのルールあり

前回、キャプチャーを使わなかったのはマニュアルにも記載が無かったし、画像用の専用フォルダがあるわけでもないためキャプチャーは取れないのだと思い込んでいたためだ。

実際はPrint Screenキーを押すとデスクトップと同じようにクリップボードに保存される。

つまり他のゲームよりもちょっと手間はかかるが、キャプチャーの取得は普通にできるという事だ。

AARを書くに当たってキャプチャー画像が使えるか否かというのは大きな差がある。これが使えるというのが判ったのは大きな収穫だった。

次回にそのキャプチャー画像を使って軽く解説してからゲームスタートと行きたい。
posted by uzi at 23:15| Comment(0) | TrackBack(0) | ワールドアットウォー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月27日

EU3AAR連載第2幕最終回「価値の無い戦い」

ここまで来ると残りは消化試合といった感じ。

1793年5月 国策を「植民地探検」から「礼拝の義務化」に変更
以前述べたようにもう入植者は必要としていないからここで国策の変更に踏み切る。「礼拝の義務化」は安定度上昇のために必要な額を下げる。

1797年1月 統治技術53に 国策に「冒険的商業主義」を採用
この「冒険的商業主義」は商人の年間増加率を上げてくれる。この消化試合の状況では国策の選択にあまり意義は感じられない。

1805年7月 エウスタチオ・ピッコロニーミ、新しい大統領に
1809年10月 イッポリト・ブッテリ、新しい大統領に


1810年1月 統治技術59に 国策に「芸術の守護者」を採用
「芸術の守護者」は国威を上昇させる。これが最後の国策選択。

1817年6月 カルロ・ウルヴェッリ、新しい大統領に

1817年9月 オーストリアに宣戦布告
1820年8月 オーストリアと痛み分けで和平

サルディーニャがオーストリア領だったのでそれを取り戻そうとしての行動+何もしないでいるのは退屈だという理由で宣戦を布告した。しかしフランスがこちらの期待ほどに動いてくれなかったのと、準備不足での戦争だったためさしたる成果は上がらず、痛み分けでの和平を受け入れた。








反省会
ゲーム終了時のヨーロッパ情勢ゲーム終了時の東南アジア






ゲーム終了時のオセアニア情勢






こんな状態でゲーム終了だ。南米とアフリカは以前のキャプとあんまり変わっていないので省略させていただいた。

入植に関して言えば大西洋に面しているスペインやポルトガルのような利点がない分、いささか出遅れたが、飛び石作戦はそこそこ上手くいったように思う。ただ抵抗が少ないところは当然得られる利益も少ない訳で、その辺はもう少し冒険しても良かったのかなぁ。

何より今回の連載を通しての一番の反省点は能動的な行動というのをAARとして上手く書けていないって所だと思う。この辺をどうするのかはこの先の検討課題としておこう。


何時になるかはわからないけど、いずれは第3幕をやりたいと思っている。その時はおそらくヨーロッパから離れて日本を含めたアジア諸国って事になると思う。

それでは第3幕までしばしのおさらばといたしましょう。

2008年05月22日

EU3AAR連載第2幕第9回「終わりの前に」

まず初めに属国にはしたもののなかなか友好度が上がらずに塩漬けとなっているミラノに止めを刺すことに決めた。ミラノに密偵を送り、書類の偽造をさせれば開戦理由になる。(ミラノは国教が改革派なので「主の御心のままに!」の効果は適用されない)

1751年1月 ミラノとの属国関係を解除
当然、属国に宣戦布告はできないのでミラノとの属国関係を解除する。

1751年3月 バリに宣戦布告
1752年2月 ミラノに宣戦布告
1752年3月 ミラノを併合
1752年7月 バリを併合

バリは東南アジアに浮かぶヒンズー教の島国。「主の御心のままに!」のおかげで開戦しても安定度の低下は無い。ただミラノは開戦理由があるとは言え、同一宗教グループに対する宣戦布告時の−1ペナルティーを逃れる手段は無い。双方の戦争は同時進行だったが取り立てて問題になるような事は起こらず、簡単に両国とも併合された。
 だがバリの方はその後の改宗がなかなか上手くいかず苦戦する事となる。

1752年7月 カルロ・サヴァナローラ、新しい大統領に

1753年11月 フランチェスコ・ウルヴェッリ、新しい大統領に


1757年6月 統治技術42に 国策に「スミス派経済論」を採用
領土が広くなれば生産効率を上げるこの「スミス派経済論」も有効となってくる。

1761年8月 フランスの要請を受けて、対ザクセン、オーストリア戦に参戦
1764年1月 フランスの要請を受けて対ブルターニュ戦に参戦
1765年4月 フランスの要請を受けて対フェズ、ブルターニュ戦に参戦
1767年7月 フェズと痛み分けで和平

ブルターニュは同じ改革派の国なので助けてやりたいのは山々なんだが、フランスには逆らえませんて。ザクセン、オーストリア戦はいつの間にか終わっていたが、おそらくフランスの勝利だったのだろう。ブルターニュは当然のことながらフランスに潰された。

1771年6月 エヴァンゲリスタ・ビッツェーリ、新しい大統領に

1771年9月 フランスの要請を受けて対オーストリア、ヴュルテンベルク、アダル、ザクセン戦に参戦
1772年10月 フランスの要請を受けて対イングランド、ブルゴーニュ戦に参戦
1773年7月 イングランドと痛み分けで和平

これもいつの間にか始まっていつの間にか終わっていたなぁ。イングランドとはぱっぱと和平。フランスの植民地となっていた中南米はかなりイングランドに侵食されていたようだが、はっきり言ってそんなことは我々の知ったこっちゃない。

1777年10月 ブルネイに宣戦布告
1779年6月 マラッカとクテイ、ザバ割譲、マラッカの属国化、賠償金支払いで和平。

ここでブルネイへの宣戦布告に踏み切る。ボルネオ島への攻撃とマラッカに対する強襲上陸で戦争はごく短期間で終結した。

1781年11月 ザバ、クテイを改宗
1784年11月 バリ・ロンボクを改宗

バリ・ロンボクはかなりの抵抗の末、やっと改宗。それに対して、ザバ、クテイは一発改宗だった。

1788年8月 セルジオ・ビッツェーリ、新しい大統領に

ゲームとしては次回で最後。あと、反省会に一枠設けるかどうかってところかな。

2008年05月16日

EU3AAR連載第2幕第8回「対マラッカ戦争と無血革命」

前回の予告どおりオーストラリア北部の一ケ所をブルネイに取られたのでその奪還の為の行動に出る。

1701年1月 国策を「国立銀行」から「主の御心のままに!」に変更

これがまず第1段階の行動である。「主の御心のままに!」は異教徒に対しては大義名分無しでの宣戦布告が可能になる。(正確に言うと異教徒に対しては開戦理由が無いのに宣戦布告した場合の安定度−2が適用されない)
「国立銀行」はもう統治技術が23を超え、税務署が作れるようになったのでインフレ率のことは気にする必要が無くなった。よって「国立銀行」を変更する。「植民地探検」はまだもうちょっと必要。

ちなみに国策を変更すると安定度が−3される。−2の適用を避けるために−3というのもちょっと変な話だが、今後もヨーロッパのカトリック諸国や東南アジアでの戦争を行うであろう事を考えると十分メリットはある。

第2段階の行動はシエナに密偵を送り込んでシエナの正当な領有権を示す書類を偽造することだ。シエナはすでに我が国に対して隣国と開戦しないように、と警告している。我が国がブルネイに宣戦を布告すればシエナに開戦の大義名分が立ち、参戦を決断するだろう。

向こうから宣戦布告してくるのだから、同一宗教に対する宣戦布告による安定度−1のペナルティーは考えなくても良いが、問題は併合した後だ。正当な領有権が無い場合は50年は中核領として認められず、いろいろな制約を受けるが、正当な領有権がある場合は即座に中核領として認められる。

その上で輸送艦と陸軍戦力を召集し、東南アジアに送り込む。


1701年3月 小ナマカランドの改宗に成功
これでアフリカ大陸の改宗が終了した。

1701年11月 アドリアノ・サヴァナローラ、新しい統領に

1705年9月 ブルネイに宣戦布告、シエナ参戦
マラッカはブルネイの上位構成国なので自動的にマラッカが主導国として参戦する。

予想通り警告を受けていたシエナも参戦。同盟国のフランス、モデナ共に参戦を表明したがこれは取り立てて気にする必要は無い。すでにティモールやフローレスなどに待機していた我が国の陸軍部隊がボルネオ島に上陸。オーストラリアでも主目標であるガビーガビーに侵攻。簡単にこれを制圧した。

1706年4月 シエナ併合
シエナは簡単に制圧完了。これでヨーロッパで共和制を採用している国は我が国だけとなった。

1705年9月 ウィラージューリーに入植
1707年3月 ティマルに入植

ウィラージューリーはオーストラリアで金鉱持ち。ティマルはニュージーランド南島。

1705年5月 マラッカとガビーガビー、ポッセ、バンジャルマシン、スカダナの割譲および賠償金で講和
ブルネイはなぜかサハリンやカムチャッカに植民地を持っていたのだが、そこはフランスが動かなかったおかげで手付かずに終わってしまった。でもそれはどうでもいい。
ともあれ目標であったガビーガビーを取得、ついでにボルネオ島南部のバンジャルマシン、スカダナを要求。セレベスのポッセはここまでご苦労にも進出してきたモデナが獲得した。ただポッセはすぐに空白地となった。

1709年10月 バンジャルマシンの改宗に成功
このバンジャルマシンの改宗は一発で終わった。スカダナの方は失敗。

1712年8月 アオランギに入植
アオランギはニュージーランド南島。

1712年8月 エウスタチオ・ブティ、新しい統領に

1717年8月 スンバワに入植
スンバワは東南アジア。
 
1718年2月 フランスの要請を受けて、カラ・コユルン朝、オマーン、教皇領戦に参戦
1721年5月 フランスの要請を受けて、対ブルゴーニュ戦に参戦

ここでメインとなったのは対ブルゴーニュ戦だ。フランスはブルゴーニュ領をかなり制圧していたがブルゴーニュもフランス領をかなり侵食していた。そこにわが軍の横槍が入ったおかげでブルゴーニュはかなりの不利を余儀なくされていた。

1723年1月 統治技術33に 国策に「博愛の精神」採用
博愛の精神は宗教に対する寛容度が上昇する。

1725年1月 ブルゴーニュと痛み分けで和平
これは間違えて痛み分けで和平をしてしまった。

1727年2月 スカダナの改宗に成功
やっとスカダナの改宗が終了。この改宗のために要塞を2レベル上げた。(要塞のレベルを上げると改宗の成功率が上がる)
1728年2月 ジュリアーノ・ベンチヴェーニ、新しい統領に

1729年2月 ピエトロ・リヴァーニ、新しい統領に

1731年10月 ヴィタレ・ソデリーニ、新しい統領に

1731年10月 カミラロイに入植
1732年8月 バルンガムに入植

カミラロイ、バルンガム共にオーストラリア内陸部。ここら辺が終われば「植民地探検」の国策も不要になるだろう。

1735年7月 フランスの要請を受けて、対ブルゴーニュ、スペイン、ポルトガル戦に参戦
1736年2月 スペインからの賠償金支払いでの講和を受諾

南米地域でかなり押されていたが、スペインから賠償金の支払いのみでの講和が打診されてきたのでさっさとそれを受諾。現在の経済状況ならば金で済むなら御の字だ。

1740年5月 モデナを併合
ここで長年我が国の属国だったモデナが併合に同意した。

1742年3月 パトスの改宗に成功
これで南米のトスカナ領も全て改革派への改宗を終了した。

1742年10月 統治技術39に 政治体制を立憲共和国に変更
立憲共和国は生産効率が+20%される。変更しても安定度のマイナスは1で済むので変更にたいした問題は無いだろう。

今後トスカナの元首は「大統領」と呼ばれるようになる。(本当は管理共和制の元首は「総督」と呼ばれるのだが、ここでは重商共和政時の「統領」という名称をそのまま使わせていただいた)





18世紀も半ばを迎え、残りあと70年ほど。ようやくこの連載の結末が見え始めてきた。

果たしてトスカナにいかなる命運が待ち受けているのか。それは次回に。

2008年05月12日

EU3AAR連載第2幕第7回「最後の楽園へ」

改革派に改宗し、国内の安定化を終わらせてからやるべきことはなんだろう。
まず、植民地の改宗とオーストラリア、東南アジアへの植民。これは今までやってきたことを継続すればいいだけだ。

だが問題はもう一つ、改宗によって冷却化したカトリック諸国との関係改善だ。特にスペイン、ポルトガル、フランス、イングランドの4カ国は我が国の植民地経営に深く関わるため関係改善は急務だ。だが共和制の我が国は関係改善のためのオプションである「婚姻」が使えない。となると方法は地道に貢いでいくしかない訳だ。

1653年12月 ワイワルングへの植民成功
1654年8月 フローレスへの植民成功

ワイワルングはオーストラリア南部、フローレスは東南アジア。

1656年3月 シエナとの同盟を解消
1656年6月 シエナに宣戦布告
1657年1月 シエナとローマ割譲で和平

イベントでローマの領有主張を得たら、シエナのほうから同盟を解除してくれた。これは渡りに船とばかりに宣戦布告。そのまま完全併合を目指しても良かったんだが、まだ旧シチリア領が治まりきっていないのでとりあえずローマ割譲で手を打った。そういえばこちらから宣戦布告したのって、これが初めてじゃなかったろうか?それとローマを取ると宣教師の増加率が増えるのね。「神の福音」取らなくて良かったわ。

1657年8月 スンバに入植
ここは東南アジア。

1660年4月 ニースの改宗に成功
ニースの改宗が終わったことでヨーロッパ領内は全て改革派への改宗を完了した。

1663年5月 モデナと同盟
1663年6月 サルディーニャと同盟

モデナはいずれ併合する予定なのだが、関係強化のための同盟。

サルディーニャとはまあ一応、ね。

1663年8月 ティモールに入植
ティモールは東南アジアって、これは説明するまでもないかな。

1666年3月 ロッゲフェルトの改宗に成功

1666年3月 サルディーニャからの対オーストリア、ポルトガル戦参戦を拒否
オーストリアだけなら何とかさばけもしたけれど、ポルトガルがいるのがまずい。

1669年2月 アレッサンドロ・キアスタヴェッリ、新しい統領に

1671年3月 サオヴィチェンテの改宗に成功

1672年1月 フィレンツェに交易の中心地を建設
とうとう国内に交易の中心地を持つことができた。国内に交易の中心地を持っていると商人の増加率が上がる。

1672年4月 レオポルド・アロリ、新しい統領に

1680年6月 ウェルガイアに入植
1682年3月 カウナに入植

ウェルガイア、カウナ、共にオーストラリア。

1683年2月 統治技術25に 国策に「植民地探検」を採用
「植民地探検」は入植者の増加率を年1人ずつ増やしてくれる。現在の入植ペースで行くと入植者はいくらいてもいい。この国策は必要が無くなった時点で変更する予定。

1686年1月 バンジャラングに入植
ここもオーストラリア。

1688年12月 バンダ・オリエンタルの改宗に成功

1689年12月 エオラに入植
ここもオーストラリア。

1691年4月 モーリシャスの改宗に成功
1693年3月 ボナヴェントゥラ・トラバレシ、新しい統領に

1693年11月 グレートカルーの改宗に成功

1696年8月 パレダレルメに入植
このパレダレルメはタスマニア島。

1696年11月 タペの改宗に成功

1696年12月 エヴァンゲリスタ・マンチネッティ、新しい統領に

1697年8月 フランスと同盟
投資の甲斐有ってフランスが同盟を要請してきたのでこれを受諾。もともとフランスは改革派の地域を領内に抱えているので改革派への寛容度が高かったのかもしれない。

1698年9月 イテネスの改宗に成功

1699年12月 フランスからの要請を受けて対アルジェ、ポルトガル戦に参戦
フランスがバックにいるなら対ポルトガル戦も安心だ。しかも現在ポルトガルはスペインとも戦争をしており、こちらにフルパワーで向かってくることは不可能だ。

1700年9月 ポルトガルと痛み分けで和平
それでも長々と戦争をすることは望まないので、これにて和平。

1700年11月 ファンガレイに入植
ファンガレイはニュージーランド。


オーストラリアの完全制覇をねらったのだが、一ヶ所ブルネイにとられてしまった。これを取り戻すためにブルネイとやりあう予定。次回はその辺の戦争準備から実際の戦争あたりが中心となるかな。

2008年05月11日

EU3AAR連載第2幕第6回「われらの神はいずこにありや?」

1601年4月 コルシカと同盟
1601年9月 シエナと同盟

コルシカやシエナとの再同盟は我が国の安全保障上大いにメリットがある。

1603年3月 サルヴェストロ・グリマルディ・ディ・ブスカ、新しい統領に

1606年1月 コルシカの要請を受けて対シチリア戦に参戦
1607年7月 コルシカと賠償金で和平

この時点でシチリアは改革派に改宗しており、安定度のマイナスは無い。

1608年8月 アンコーナが改革派に
1609年4月 ピサが改革派に

改革派の勢力は順調に広がっていく。この時点ではまだ私に改宗の意思は無かった。

1611年1月 コルシカの要請を受けて、対シチリア戦に参戦
1612年5月 シチリアとシチリアの属国化、アプーリアの割譲、賠償金支払いで和平

休戦協定明けにコルシカが宣戦布告。同時期に行動を起こしていたシエナ(こちらへの参戦要請は無かった)がアプーリア以外の全域を征服して、カラブリア割譲、属国化で和平を結んだが、こちらは委細かまわず戦争を続行。上記の条件で和平を結んだ。
ちなみにこの時シエナが獲得したカラブリアは後に反乱を起こし、シチリアに合流する。

1616年3月 モーリシャスに植民
1616年4月 マヘに植民
1619年1月 メナベに植民
1619年5月 ディエゴガルシアに植民

モーリシャス、マヘ、ディエゴガルシア共にアフリカ東部の島である。前回述べたようにここを拠点として東南アジアやオーストラリアに移民の足を伸ばしていく予定だ。メナベはマダガスカルだがここは原住民の抵抗が激しく、植民には成功したもののいつの間にか入植地は失われていた。

1620年7月 フィレンツェが改革派に
ついに首都フィレンツェも改革派となった。
この時点でニースを除く本国全てが改革派に染まったこととなる。
これはもう改革派への改宗を決断すべき時なのだろう。

1626年6月 カルロ・オルシーニ、新しい統領に

1636年1月 改革派に改宗
さまざまな下準備を経てここに改革派への改宗を決断する。安定度は−5されたので予算のほとんどを安定度の回復につぎ込む。その時かつての同盟国シエナがやたらとこちらに密偵を送り込んでくるようになる。

いつかぶっ潰してやろうかと思ったが安定度が最悪の状態ではそんなこともできない。

1636年6月 ワドジュクに植民
ここでオーストラリアへの移民が成功する。

1637年2月 カーポヴェルデが改革派に
1637年3月 チャコ・ボリエールが改革派に

改革派に改宗することでわざわざ宣教師を送らなくても植民地が改革派に変わっていく。

1637年6月 パスクアレ・リヴァーニ、新しい統領に

1638年2月 サンタナの改宗に成功それでもサンタナには宣教師を送る。

1638年7月 ケープが改革派に
1641年8月 セントヘレナが改革派に

ケープは宣教師を送ったあとだったので宣教師が無駄になっちゃったな。

1641年11月 シチリアを併合
改革派に改宗すると同じく改革派を国教に持っていたシチリアの友好度が上昇し、併合の提案を受け入れた。

1642年3月 リトルカルーの改宗に成功

1643年3月 グレートカルーの改宗に失敗
1645年3月 ロッゲフェルトの改宗に失敗

かの改宗の失敗で起こった反乱には少してこずらされた。

1647年7月 マルコ・ピエラルニ、新しい統領に

1648年7月 シエナと同盟
イタリア半島で最後までカトリックだったシエナもついに改革派に鞍替え。改宗すると今までの対立が嘘のように同盟を請うてきた。

1649年10月 統治技術22に 「官僚制度」を国策に採用
ここは少し迷ったが、税収の増加が効果的と判断して官僚制度を選んだが、宣教師の増加率が上がる「神の福音」でも良かったかなぁ。







いろいろ勘違いしていたこともあって、改革派への改宗が少し出遅れた感もあるが、これで第1幕に続いて今回も宗教改革の波をもろにかぶった事になる。

この改革の波をかぶった我が国がいかなる顛末をたどるのか、その辺を次回は追うことになるだろう。

2008年05月10日

「ワールドインコンフリクト」ゲーム解説第4回

「ワールドインコンフリクト」のゲームスタイルは3種類ある。それぞれ異なった勝利条件を持っている。今回はそれを解説する。

・制圧戦

マップ例これは制圧戦の画面である。かなり圧縮しているのでちょっと見にくいかも知れないがご容赦いただきたい。まず注目していただきたいのが面左下のミニマップである。マップ上のあちこちに白い丸が描かれているのが分かると思う。






制圧戦ミニマップこれがそのミニマップを拡大したものである。白い丸が腺でつながっているのが見えると思うが、線でつながった白い丸を全て制圧するとその地点の戦略拠点が制圧したとみなされる。






制圧バー

マップ上部中央にあるこの制圧バーのグラフィック(米ソの旗)が多くの戦略拠点を制圧したほうに動いていく。

この制圧バーを完全に押し切ってしまうか、制限時間内で決着がつかない時にはより制圧バーが広いほうが勝者となる。



・攻防戦

攻防戦ミニマップこれは攻防戦のミニマップである。戦略拠点が直線をなしている。この戦略拠点を全て制圧すると相手のほうに前線が移動する。
それにつれて制圧バーも広がっていく。

これも制圧バーを完全に押し切ってしまうか、制限時間内で決着がつかない時は制圧バーが広いほうが勝利する。







・強襲戦

強襲戦制圧バー

強襲戦はまず片方が攻撃側となり片方が防御側となる。攻撃側が戦略拠点を制圧すると、旗が自国の物に変わり、次の戦略拠点が表示される。全ての拠点を制圧するか、制限時間が来ると今度は攻守を入れ替えて同様に戦略拠点の制圧を目指す。

そうしてより多くの拠点を占領した方が勝利する。もし両方が全ての拠点を占領した場合はより短い時間で制圧したほうの勝利となる。






それぞれにそれぞれの戦い方があるわけだが、それはゲーム解説で扱うべきものではないだろう。

次回はより具体的なゲームの進め方を解説していきたい。

EU3AAR連載第2幕第5回「歩みの軌跡」

1453年から始まって、約150年が過ぎた。今回はゲームを進めず、17世紀の始まりがどんな状況であるか、そしてこれからの展望を見て行こう。


17世紀北イタリアの情勢これが17世紀の北イタリア情勢である。藍色とでも言うのか、中央部にあるのがトスカナ領だ。ピサ、フィレンツェとパルマ、マントヴァの間に挟まっているのが属国のモデナ。イタリア北部とアドリア海を挟んで存在している水色の部分がフランス領。色分けで見てもらえば本国がどんな状態にあるか分かると思う。









南米の植民状況これは南米の地図である。上の図と同色だから自国領がどれかは分かると思う。緑色がポルトガル、黄色がスペイン、紫がマヤ領。こうやって見ると前回述べた我が国の領土がポルトガル領に楔を打ち込むように存在しているといった意味が理解できると思う。南米にはこれ以上の植民はできないので、現状維持で推し進めるほか無いだろう。







アフリカ植民状況これがアフリカの植民状況である。ここから植民の足をどう伸ばしていくか、オーストラリアへ向かう道もあるし、東南アジアに植民の道をつなげる手もある。その拠点にマダガスカルかモーリシャスへの植民を行うこととなるだろう。










17世紀の宗教分布最後になったがこれが17世紀始めのヨーロッパ宗教分布図である。色分けは第1幕のザクセンの時と同じなので説明は省く。

ここではイタリア半島に宗教改革の波が集中しているということさえ理解してくれていれば良い。

ここで考えなければならないのは改革派の勢力が本国に広がっているということだ。つまり第1幕の時のように改宗に踏み切るべきか否かという問題が生じる。

だが今のところは改宗する気は無い。理由は以下の通り
・改革派に改宗すれば交易効率が上がるが、税収が減る。(入植者は変化しませんので修正)
・フランスあたりに余計な開戦の口実を与えかねない。
・植民地の宗教は国教に準じるため南米、アフリカ域は現在もカトリックである。
・これらの理由から改宗に安定度を−5してまでのメリットは無い。






ここまでが17世紀始めの現状である。これからの方針は
・南イタリアへの進出
・改革派の改宗
・オーストラリア又は東南アジアへの植民
あたりがメインになるだろう。その辺はまた次回。



2008年05月09日

「ワールドインコンフリクト」ゲーム解説第3回

ここでは基本的なインターフェイスを取り上げる。

増援パネルこれは増援パネルと呼ばれるものである。一番上の左側の数字が現在使える増援ポイントである。その右側がこれから増える予定の残りポイントである。

この増援ポイントを使って兵器を買っていくのだ。
購入できない兵器(ここでは重戦車)は暗くなっているのが分かるだろう。

総増援ポイントはゲームを通じて変化しない。購入したユニットが破壊されれば、その分のポイントは残りポイントに繰り込まれる。このポイントが使用可能ポイントになることでまた兵器の購入が可能になって行くということだ。

これらの購入した兵器を使って偵察を行ったり敵を撃破したり、拠点を攻略したりしていく。



戦術支援パネル敵を倒したり拠点を攻略したり防御陣地(歩兵が入るトーチカではなく自動防御する固定砲台のようなもの)を構築したり車両を修理したりすると戦術支援ポイントというのが手に入る。この戦術支援ポイントはマップ外からの戦術支援要請に使われる。
この戦術支援にはさまざまなものが含まれており、対地支援砲撃と呼ばれるものだけでも3種類もある。

その他に航空機による偵察から空挺降下部隊の要請、戦闘機による対空支援、攻撃機による対地支援、破壊された橋の修復、果てはソロモンの悪夢戦術核攻撃まで18種類もの戦術支援が要請可能だ。



故に基本的な流れとしてはこんな感じになる。

兵器購入→敵撃破、拠点攻略→戦術支援ポイントの入手→損害の補填、戦術支援の実行

こうやってお互いの勝利条件を満たすまで戦い抜く。

次回はその勝利条件について取り上げたい。




EU3AAR連載第2幕第4回「飛躍」

1553年7月 ジャン・ガスポーネ・マラスピーナが我が国の新たな統領に

1555年8月 サルディーニャの要請を受け対サボイ、ミラノ戦に参戦
1557年9月 ミラノと属国化で和平
1555年10月 ジャン・ガスポーネ・マラスピーナ戦死。マクシミリアン・キジ、新しい統領に
1559年3月 サボイと痛み分けで和平

この対ミラノ、サボイ戦は序盤こそ少し攻められたが、傭兵の大量雇用で速やかな反撃を加えてミラノを制圧。これを属国化した。その後サボイと痛み分けで和平したが、その後のことを考えるとこの時点でニースを取って、後にリグーリアを取れるようにした方が良かったかもしれない。
あと、なんで統領が戦死したとはっきりわかるのかというと、将軍となった元首が戦闘で死亡すると安定度が下がるから。

1563年11月 ロッゲフェルトへの入植
1564年5月 グレートカルーへ入植

ロッゲフェルト、グレートカルー共に南アフリカ。特にロッゲフェルトは金鉱がある。

1567年2月 サルディーニャの要請を受け対サボイ戦に参戦

1569年10月 イテネスへ入植
イテネスは南米。南米の植民はポルトガルに対して、楔を打ち込むような入植活動となる。その画像は次回に掲載する。

1570年10月 サボイと痛み分けで和平
この時点で強く言ったほうが良かったかもしれない。どうも我ながらいつも消極的な行動が目立つなぁ。

1577年9月 サルディーニャの要請を受け対サボイ戦に参戦

1576年2月 エウスタチオ・マンチネッティ新たなる統領に

1581年4月 サボイがマントヴァ、ニースの割譲、アヴィニョンの独立で和平
これによってサボイはほぼ壊滅。サボイも後にフランスに併合された。この時点でニースが孤立し、「交易の中心地」があるリグーリアも取られてしまった。

1582年3月 小ナマカランドに入植
1582年5月 トランスケイに入植
1585年11月 チャコ・ボリエールに入植

小ナマカランド、トランスケイがアフリカ、チャコ・ボリエールが南米。この時点でポルトガル、スペイン、トスカナによる南米分割が終了。
まだ南米のマヤとかチムーとかは生き残っているが、ヨーロッパ諸国による袋叩きに生き残れるとは思えない。

トランスケイは入植に成功したものの、すぐに植民地が破壊され、その後別の国家が入植を果たした。(ヨーロッパの国じゃないよ)

1586年2月 シエナの要請を受け対ブルターニュ戦に参戦
1586年4月 ブルターニュと痛み分けで和平

何でシエナがブルターニュに宣戦布告してたのか疑問に思っていたのだが、南イタリア地域がアラゴンからブルターニュ領に変わっていたせいなのね。

1587年1月 フランチェスコ・ステファノ・ディ・メディチ、新しい統領に

1588年2月 シエナの要請を受け、対シチリア、アラゴン戦に参戦
1588年7月 シチリアと アプルツィ割譲で和平

ブルターニュから独立したシチリアを早速シエナが宣戦布告。我が国の主導の元シエナが圧倒的優位に戦争を進める。我が国もアプルツィ(アンコーナの南)に侵攻の手を伸ばしこれを占領する。我が国はシチリアが言ってきた条件を素直に受諾。シエナはシチリアの他の部分を占領していたが、戦争主導者の特権が物を言い、シエナの努力は無駄に終わった。

1593年2月 パルマが改革派に
1568年ブルターニュで始まった宗教改革はイタリア半島に広がりミラノ、モデナ、サルディーニャ、シエナ、そしてシチリアの各地がプロテスタントか改革派に鞍替えした。

もう教皇領ではないとは言え、なんとローマまで改革派の牙城となったのだ。(ただシエナは現在もカトリックを国教にしている)そのあおりでパルマが改革派になったのである。

1593年5月 シエナの要請を受け、対シチリア、アラゴン戦に参戦
1593年10月 シチリアとアプルツィに対する領有権取り下げで和平

まだマントヴァもニースも治まりきっていない状況でのこれ以上の領土拡張は危険と判断。最低ラインでの和平案を受諾。
1597年10月 大ナマカランドに入植

1598年6月 シエナからの対シチリア戦参戦要請を拒否
1599年2月 コルシカからの対シチリア戦参戦要請を拒否

シチリアと戦うと安定度が−1される。「塵も積もれば山となる」で安定度の減少分が回復に追いつかなくなったのでここは拒否させてもらった。

1600年2月 統治技術17に 「国立銀行」を国策に採用
ここまでの度重なる戦争はインフレ率を押し上げ、すでに10%を超えている。インフレ率を下げる「税務署」を作るには統治技術が22必要。その頃にはインフレ率は20%を超えるのは確実だ。それを抑制するためには「国立銀行」の採用が必要不可欠だった。

1600年9月 ノルウェーと同盟
コルシカ、シエナ両国との同盟関係が反故になったので新たなる同盟先を探していたが、ノルウェーが同盟を言ってきたのでそれを受諾。






この50年はまさに「飛躍」の50年だった。アフリカや南米への順調な植民で確保した資金と人的資源が本国での戦争を後押しし、確固たる基盤を築き上げることに成功した。だが宗教改革がイタリアで広がったことは不安要素といえるかもしれない。

そしてヨーロッパそして中米地域に強大な力を誇るフランスが我が国の脅威として頭に圧し掛かっているのも見逃せない。

ここまでキャプチャをあまり使ってこなかったから、次回は総集編みたいな感じで現在の状況を振り返ってから続けたい。


追記:税務署の必要統治技術の修正と、取りこぼしがあったので追加しました。

2008年05月07日

EU3AAR連載第2幕第3回「入植者たち」 

第1幕の時は入植しようと海に出た時にはもうすでに世界分割は終わっていたというのが現実だった。今回は最初から海沿いの国家なのでかなり早い段階から世界分割レースに参加している。

1511年7月 ミラノの要請で対ヴェネツィア戦に参戦

1512年8月 サオヴィチェンテに入植
サンタナの隣。

1513年3月 シエナの要請で対サルディーニャ戦に参戦
この戦争もそれほど考えることはなかった。対ヴェネツィアの片手間で十分処理できた。
1515年3月にはサルディーニャが属国となった。

1513年9月 パトスに入植
これもサンタナの隣。

1514年12月 モデナの要請で対ヴェネツィア戦に参戦
すでにミラノの要請による対ヴェネツィア戦争は進行中だ。パルマを落とし、何度か痛み分けでの要請を蹴って、こちらから賠償金のみでの講和をもちかけるがこれが相手から蹴られる。そんなこんなで黙ってみていると相手のほうからパルマ割譲という講和条件を出してきたので1516年5月和平を締結

1514年6月 統治技術9に 「合理的商慣行」を採用。
この「合理的商慣行」は商人たちの競争力を上げる。競争力が上がれば参入するための確率が上がり、蹴落とされる確率も下がる。

1515年4月 コルシカと同盟
はっきり言って忘れてた。何で結んだんだっけ?
1517年7月 トリニダードに入植
1519年8月 セントヘレナに入植
1527年9月 タペに入植

トリニダードは中米、セントヘレナは大西洋沖(ナポレオンが最期に流された所として有名ですな)、タペは南米。
セントヘレナに入植したのは以前のカーポヴェルデと考え方としては一緒。ここを起点にアフリカ南部への入植の足がかりにするためである。アフリカ大陸中央部は熱帯の厳しい気候に加えて、原住民も強力かつ非協力的なので足がかりにするには不向きなのだ。

中米はめぼしいところがスペインなんかに取られているのでちょっと厳しいけどトリニダードに入植したが、あえなく全滅の憂き目にあった。
タペは南米の内陸部。

1530年11月 統治技術11に 管理共和制に移行
管理共和制はちょうど管理君主制と対になっていると考えれば良い。管理君主制が生産効率にボーナスを加えるのに対して、管理共和制は交易効率にボーナスを加える。
商人の派遣費用が上がっても、そこから入る収入効率が良いほうが有利なのですぐに政治制度の切り替えを行う。安定度の低下も1で済むしね。

1532年8月 サルヴェストロ・サヴァラローラが新しい統領に

1532年11月 アラゴンの要請で対オスマン帝国戦に参戦
1533年6月 アラゴンとオスマン帝国痛み分けで和平
1538年6月 アラゴンの要請で対オスマン帝国戦に参戦
1539年2月 オスマン帝国と痛み分けで和平
1539年9月 アラゴンとオスマン帝国痛み分けで和平

この2度にわたる対オスマン帝国戦は同盟の維持のために宣戦を布告したが積極的な活動は行わず。2度目の戦争の時にオスマン帝国軍がパルマに上陸したが、たいした戦力ではなく即座に撃退。その直後に痛み分けでの講和の要請が来たのでそれを受諾。

1543年7月 アラゴンからの対スペイン戦参戦要請を拒否
スペインと戦うとなると当然植民地戦争になる。もともとアラゴンとは植民地の安全保障が目的なわけであるから、その安全保障を脅かすような行動はとるべきではない。故にここは同盟の解除を決断した。

1545年9月 ケープに入植
1545年12月 パンダ・オリエンタルに入植
1547年3月 リトルカルーに入植

ケープとリトルカルーが南アフリカ、パンダ・オリエンタルが南米。
ケープやリトルカルーは他のアフリカ諸地域に比べると気候も穏やかで原住民も温和なので入植の足がかりとしては最適なのだ。

1550年6月 統治技術14に 「総督制度」を採用
「総督制度」は海外領土からの収入を上げる。植民地運営には必要不可欠な国策だ。

1550年3月にはミラノの王位を巡るマントヴァとサボイの継承戦争が勃発。これでミラノの没落も決定付けられた。すでに北イタリアの国家でトスカナにかなう国はあるまい。我が国の直接的な脅威は旧ヴェネツィア領のかなりの部分を領有しているフランスだ。





さて次回の中心は植民か国内か。

EU3AAR連載第2幕第3回「北イタリア騒乱」

ゲームを開始してまずやったことは前回も述べた商人の自動派遣に対するセッティングだ。これさえやっておけばあとはほっといても自動的に商人を送り込んでくれる。

ここで以前解説が複雑になるから良いやなんて言った、内政設定のスライダについてちょっと解説しよう。
内政スライダ下の解説は一番上に富豪中心主義と貴族中心主義のスライダを富豪中心主義に1段階シフトした時の影響を表している。このスライダを動かすことで自分の望む方向に制度を定めることができるわけだ。

しかしこれは好きな時に好きなだけ動かせるという代物ではない。この中の一つを1段階動かすと安定度が1下がりこれを再び動かすまでには10年近い時間が必要になってくる。初手で私はこのまま富豪主義方向に1段階シフトさせた。せっかく上がった安定度を下げてしまうくらいなら、最初に下げてしまったほうが良い。そのほうが取り返しが効く。

ここからは前と同じような形で何年に何が起こったか、そしてそれについてどう対処したかを書いていく。

1453年6月 選帝侯に就任
我が国も一応は神聖ローマ帝国の構成国なので選帝侯までにはなれるが、神聖ローマ皇帝にはなれないはず。
1453年7月 シエナと同盟 
この同盟は勝手に宣戦布告してくれる国を増やしておきたいくらいの意義しかなかったりする。

1554年5月 イッポリト・ピッコロニーミ我が国の統領になる。
国王じゃないから一概に「死去」と言えない。政治制度に関係なく元首を将軍にできるんだけど、共和制の統領ならともかく聖職者が将軍ってのはいいのかねぇ。

1454年6月 統治技術1に上昇。「統一的交易方針」採用。
「統一的交易方針」は交易効率を上げてくれる。交易やる時の必須アイテムといって良い。

1554年10月 オーストリアが独立保証

1458年10月 アルベルト・テレーニ、新しい統領に

1464年5月 シエナの要請を受けて対ウルビーノ戦に参戦
この戦争は我が国の主導で行われた。この戦争で苦労することは何もなかった。1465年1月にはウルビーノを併合。アンコーナを取得した。

1465年2月 ヴェネツィアと同盟
ヴェネツィアはミラノとの戦争でパルマを手に入れ、北部イタリアにおいては大きな力を持っている。この同盟は安全保障の意味合いがより強い。が、これがあとで問題となってくる。

1466年9月 ヴェネツィアの要請を受けて対教皇領、ラグーサ、モデナ戦に参戦。
この戦争は1467年6月に教皇領は属国であるモデナを失い、アヴィニョンも独立させられるという教皇領の敗北で幕を閉じる。

1467年8月 シエナから対教皇領戦に参戦を要請されるがこれを拒否
教皇領とは平和条約中だぜ。さすがにこれは拒否させてもらった。それでもシエナは翌年にローマを制圧。教皇領を併合した。シエナとの同盟も11月には再締結。

1468年8月 フランチェスコ・ステファノ・ピエラルニが新しい統領に 
名前長いって・・・

1470年10月 マッテオ・ダスブルコ、新しい統領に

1471年5月 バイエルンが独立保証

1477年3月 ヴェネツィアの要請を受けてサボイ、モデナ、ラグーサ戦に参戦 
この戦争はヴェネツィアがサボイと痛み分けで和平を行った。

1487年5月 ジャン・カルヴァロ・ウルヴェッリが新しい統領に 

1489年5月 シエナの要請を受け、対サルディーニャ戦に参戦
相手も頑強な抵抗を見せ、こちらに逆上陸されたりしたので痛み分けで和平を締結した。まあ長々がんばれば勝てたんだろうけど。

1491年5月 統治技術5に上昇。国策に「新世界の探索」採用
この国策によって植民できる範囲が大幅に広がり、新大陸への道が開ける。手始めにカーポヴェルデというアフリカ西岸にある小さな島に入植する。ここに目立った資源はないが、抵抗するような原住民もいない。入植基地としては最適な立地条件ではある。ここを起点に新大陸やアフリカ南端に足を伸ばしていく予定だ。

1495年11月 ヴェネツィアの要請を受け、対コルフ戦に参戦
同盟を維持するために一応参戦したけど勝手にやってろ、というのが本音。

果てしない余談だがこのコルフという地は以前「クルセイダーキングス」をモスクワでやった時、どういう経緯かは知らないけど、領土となっていてそれ以降、ゲーム終了までここが西部活動の策源地になっていたという思い出がある。
 
1496年4月 シエナの要請を受け、対サルディーニャ戦に参戦
平和条約も切れたのでシエナも再度宣戦布告。もうサルディーニャに戦う力は無かった。シエナは同年10月にはサルディーニャを併合。

1496年10月 ジェノバと同盟
この同盟は役に立つ事無く、1501年10月にあっちから勝手に解消された。

1500年11月 ミラノの要請を受け対ヴェネツィア、モデナ戦に参戦

選択肢








何も考えずに同盟を組んでいるとこういうことはよく起こる。ただこれは予想すべきだったのかもしれない。結局ミラノのほうを優先したんだが、これは以下のような理由による。
・どちらも参戦しないという選択肢はない。
・ヴェネツィアは1485年にフランスと戦い、領土のほとんどを失っている。故にこれ以上の同盟にメリットはない。
・戦争によって受けられる恩恵がミラノと戦うより多い。
・安定度−1程度ならばデメリットとはいえない。
初動が遅くモデナはサボイに取られてしまった。しかし戦争を主導できていたおかげで1501年5月にはモデナの属国化で和平を結ぶことができた。

1506年5月 ミラノの要請を受け、対ヴェネツィア戦に参戦
懲りないねぇ。モデナを手に入れた以上、ヴェネツィアと戦う必要はあるまい。ヴェネツィアの「交易の中心地」は魅力だけどね。この戦争に絡んでフランスに領内での軍の通行を許可する代わりに、こちらもフランス領内へ軍の通行許可を受けた。

1508年3月 サルディーニャ独立。我が国に宣戦布告。
反乱が起きたまま放っていてたんだが、わざわざ維持するのはコストパフォーマンスが悪い。独立したいというならさせてやろうではないか。(だったら最初から属国化で和平すりゃ良かったじゃないか、と突っ込まれそうだが)ということで1509年1月に痛み分けで和平。

1509年6月 アラゴンと同盟
これは南イタリアがアラゴン領になった(例の”継承”によって)というのと同時に新大陸における安全保障という意味合いがある。

1510年8月 サンタナへの入植成功
この意味は南米への足がかりを作ったいうのと共に金鉱を手に入れたという意味合いを持つ。

金というのはゲーム的に特別な意味を持っている。通常の産物は交易市場に流れて、そのあがりが生産収入として国庫に流れたり、それらの商品を商人が取り扱うことによって交易収入をもたらしたりするのだが、金の場合はその生産分がダイレクトに資金として国庫に流れ込むのだ。

あまりこれに頼りすぎるとインフレ率を引き上げてしまうのだが、基本的にはメリットのほうがデメリットより多い。

1510年10月 イッポリト・キジ、新しい統領に











北イタリアではその他ジェノバがクリミアと戦争をして(ジェノバはクリミア半島近くの領土を持っている)コルシカを独立させざるを得なかったりと北イタリアはまさに騒乱の幕開けとなった。そんな中で我が国はアンコーナを手に入れ、モデナを属国にした。これで生きる目処は立ったといえるのか?

新大陸への足場は作った。次回は新大陸入植ってのがメインになっていくだろう。


2008年05月06日

EU3AAR連載第2幕第2回「商人と国家の関係」


トスカナ初期状態これが1453年の北イタリアの状況である。北イタリアは群雄割拠と言っていい。なんせこの時代は「法王でさえイタリア制覇をねらう、頭をまるめた戦国大名のような存在」(会田雄次「敗者の条件 戦国時代を考える」中公新書より)なんて時代だ。そんな中、トスカナはPISA(ピサ)とFIRENZE(フィレンツェ)を領有している状況だ。

正直いつ潰されてもおかしくない状況だ。ただ初期状態でミラノと同盟を結んでいるのが、一応の安全保障といえなくも無いか。


ここで話を大きく変えて「交易」に関する話をしていきたい。国家が交易の中心地に商人を送り込むと、そこで個々の商人が商売を行い、その収入が自国に流れ込むと言う仕組みだ。
交易中心地これが交易の中心地のウィンドウである。各「交易の中心地」には20個のスロットがあり、一番上の「独占」が可能になるまでは一つの「交易中心地」に5人まで同時に配置できる。
20個埋まったら、新規参入のためにはよその商人を蹴落とすしかない。これはまた逆のことも言えるわけで、自国の商人がよその新参商人に蹴落とされる可能性もあるわけだ。

派遣費用はいろんな要因が絡むので具体的に「いくらだ」とは言えないが、「自国から近いところのほうが安い」って事だけで十分だと思う。あと自国の商人がもたらしてくれる収入も「交易総額が多いところがたくさんの収入をもたらす」って事で十分だ。

ここまでグダグダと書いてきたけれどあんまりこの「交易中心地」に関する事は意識する必要は無い。「交易商人の自動派遣」にチェックを入れとけば、セッティングこそ必要だが、それさえ済ませればある程度自動で送り込んでくれるからだ。それよりも考えなければならないのは国家の運営が「交易」にも大きな影響を与える、という至極当たり前のことだ。

年間の商人の増加数には安定度が関わる。安定度がプラスならその分追加の商人が送り込める。

戦争は安定度を下げるだけではなく、商人の増加数にもマイナスの影響をもたらす。そして「交易禁止令」を発せられれば、その国にある「交易の中心地」に商人を送り込めなくなり、その上既存の商人からの収入もストップする事になる。

つまり、「貿易立国として生きるのならば平和が一番」という日本人としては身につまされる話になって行く訳だ。

ここでトスカナの状況に戻る。トスカナは現在「重商共和制」を採っており、この効果は商人を送る込むのに必要な額が下がるというものだ。前回も言ったが共和制は交易にボーナスが入るものが多い。そして領土からの租税が期待できない以上、交易が重要となってくるだろう。そのためある程度生きていく目処が立つまではなるべく戦争せずに済ませたい。その際にミラノとの同盟は下手をすると足かせになるかもしれない。(なんか現代の日本を見ているようだ・・・)

だが、生きていく目処を立てるためにはどこかで戦争をしなければならないのも事実。同盟国として参戦するのならば安定度の低下率も低いので、基本的な行動スタイルとしては「よその戦争に便乗して領土拡張」がメインとなっていくだろう。

一応生き残るためのグランドデザインとしてはこんなところだ。後は状況に応じて臨機応変に対処していくことになるだろう。

さて、次回からいよいよゲームがスタート。

2008年05月05日

EU3AAR連載第2幕第1回「君主制と共和制」

まず確認の意味を込めてのオープニングコールから。

この連載は「ヨーロッパユニバーサリス3 ナポレオンの野望」の平凡なプレイ風景を淡々と描くものです。過度な期待はしないでください。

さて、急遽始まった第2幕ではあるが実はやる事はもう決まっていたりする。

ミラノ、ザクセンと2回に渡って西ヨーロッパの君主制国家を扱ってきた。だから今回は「西ヨーロッパ」というところは同じでも共和制の国家でやってみようと考えたのだ。

実は「ヨーロッパユニバーサリス2 アジアチャプターズ」で一度ヴェネツィアで通しプレイをしたことがある。だが、EU2においては政治制度というのは重要ではなかったというかそもそもどんな政治制度だったかという表記も無い。ところがEU3では政治制度はかなり大きな意味を持つ。

では共和制とはどういう制度なのだろう。政治学的な定義論をここでやっても意味はあるまい。ここで重要なのは「このゲームにおいての共和制」がどういうものかという事に尽きる。

まず重要なのは君主制で使えた外交オプションである「婚姻」が使えないことだ。関係改善のための選択肢が狭まるというのはデメリットだが、同時に以前説明したような人的同君連合や継承戦争といった継承に関するごたごたが起こらないというのはまあメリットと言えるだろう。

これは別に共和制に限ったことではなく、「君主制ではない」国家に共通した特徴だ。教皇領を代表格に聖職者が政治を動かしている国だってあるわけだ。そういう国だって「婚姻」という外交オプションは使えない。

そんな中で共和制独自の特徴としてはやはり有力市民が治めるという政治制度のせいか、交易関連にボーナスが付くというのが挙げられる。

1453年のヨーロッパで共和制国家というのはいったいどのくらいあるのか?

まずヴェネツィア、トスカナ、シエナ、ジェノバの北イタリアの都市国家。そしてスイス、ラグーサ、ハンブルク。最後に東欧のノヴゴロド。

この中から選んだのは「トスカナ」である。規模は小さいし、難易度も高いが、まあ共和制はほとんどこんなもんだ。

ゲームオプションも前回と同じでいいだろう。

次回はまた前回と同じように自分と周りを見て国家のグランドデザインを決めていこう。その時に以前説明できなかった部分の解説も行おうと思う。

「ワールドインコンフリクト」ゲーム解説第2回

このゲームは1勢力対1勢力で行われる。つまりアメリカとNATO軍が同時に参加するようなマップは無いという事だ。

じゃあ囲碁や将棋のように完全に1on1マッチなのかというとそれも違う。

このゲームでは一つの対戦に16人(つまり8対8)まで参加できる。このゲームの対戦の面白いところは出入りが自由だということだ。戦闘中でも人数に空きがあるサーバが有ったらぱっと入って戦えるし、ちょっと都合が悪かったり、ラグ(PINGの数字は出るんだけどね)がひどいなと感じたらさっさと抜けても良い訳だ。

まずプレイヤーは4つの担当から1つを選んでプレイする事となる。それは以下の通り。
・歩兵
・機甲
・支援
・航空
これはキャラクタータイプの選択くらいに考えてくれると分かりやすいんじゃないかと思う。変更も自由で、戦況を見つつ担当を変えていくというのも戦術オプションとして存在している。基本的には読んで字の如くなんだが、それぞれの担当を具体的に見ていくことにしよう。

・歩兵
歩兵である。このゲームではトーチカを作れる訳ではないから、既存の森や建物に潜んで相手を狙うのがお仕事。

輸送車両を使って前線に歩兵を展開し攻撃を援護したり、拠点防御の為にこもったりと活躍の場は慣れてくるとなかなか広い。あくまで慣れてくると、だけど。

・機甲
陸上戦の花形、戦車を扱うのがお仕事。陸上兵器相手には無類の強さを誇るが、航空部隊は苦手。

とにかく前線でゴリゴリと相手を削るのが主任務。

・支援
支援はとかく忙しい。支援には3つの仕事があって、それら全てに気を配らなきゃならないからだ。まず第1に砲兵部隊による援護、第2に対空兵器による対空防御支援。そして最後に修理車両を用いた後方支援だ。

慣れるまで大変だけど、使いこなせればかなり活躍できるのでやりがいはある。しかし、対戦では使っている人が多くて、あんまり使う機会が無かったりする。

・航空
ヘリ部隊を扱う。ご想像の通り、すばやく移動して対空支援の無い機甲部隊を殲滅し、対空部隊が来たら速やかに逃げるような機動力を活かした戦いが基本となってくる。


一般的なRTSに比べると各担当に役割がはっきりしているから連携がかなり重要になってくる。実際はそんなこと気にしてられないけどね。

次回はゲームのルールについての解説になるだろう。

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2008年05月03日

「ワールドインコンフリクト」ゲーム解説第1回

まず「ワールドインコンフリクト」とはどんなゲームなのか。

まずゲームの舞台は冷戦時代末期。ソ連がヨーロッパ、そしてアメリカ本土に侵攻するという歴史の「if」を描いた近代戦RTSである。

オンライン対戦はアメリカorNATO軍VSソ連軍で争われる。

勢力間に「アクトオブウォー」ほど差があるわけではない。それだけ純粋に戦術連携の差が物を言う事になる。

ここで取り扱うのは基本的に対AIによる訓練である。ここから本番に向けた何かしらの戦訓を得られればと思っている。

次回は基本的な流れを見て行きたい。