2009年09月20日

EUローマAAR連載第2回「国と人」

予告どおりまず自分と周りを見て、これからのグランドデザインを決めていこう。

内政、軍事、人物の3つの視点から国家を俯瞰していこう。

内政
内政は交易と国策という二つの要素に分割できる。

まずは国策から見ていこう。
国策選択
これは国策の選択画面だ。色がついているのが現在選択可能な国策だ。技術レベルの向上と共に国策の選択の幅は増えていく。

寡頭共和制国家政策
ここには寡頭共和制が選べる国策の種類が示されている。寡頭共和制は軍事、経済、市民の各政策を一つずつ選べるということを知っておいて欲しい。これに反した選び方(例えば宗教政策を選択するなど)をすると国家体制のボーナスが得られなくなる。

寡頭共和制の国家体制ボーナスは個人の財産の増加なので、こちらのメリットはほぼ無いと考えて良いと思う。となれば国策をどう選んでいくかということだ。
何を選ぶかの具体的なところは次の軍事に譲りたい。

交易ルートの構築はまずイベリア半島の文明度向上を最優先で考える。これはカルタゴに与えられる最初のミッションに関わってくる。交易はさらに次の軍事に大きく関わる問題を抱えている。

軍事
カルタゴ第1軍カルタゴ第2軍
これはゲーム開始時点での軍団編成だ。この他にトライリーム12隻で編成された第1艦隊がある。軍事に関しては問題山積み。まず第1に馬と鉄を産出するプロヴィンスが国内に無いので、騎兵も重歩兵も傭兵でしか雇えない。その上将軍の頭数が絶対的に不足している。(ゲーム開始時点で将軍、提督になれるのは現指導者ハミルカル一人だけ)

馬は属国であるヌミディアとの交渉で楽に手に入る。鉄が手に入るようになるまでは重歩兵の事はとりあえず考えない。当然軍事政策も「騎兵重視」を選んでおく。

指揮官の頭数に関してはそれこそ時間が解決してくれるのを待つしかない。地方総督に軍を委ねて、防衛は任せる。

そしてカルタゴは鉄が手に入らない代わりにテベステで戦象兵が手に入る。これを利用しない手は無い。

以上の条件から軍団編成は
民兵8、弓兵4
騎兵10、弓騎兵2
民兵6、象兵2、弓兵4
を基本単位とする。民兵は鉄が手に入り次第、重歩兵に切り替えていく。経済政策で「組織的採用」を用い軍の召集を早める。

人物
元老院はスフェット(指導者)が誰になるかを決めるのに加え、指導者の政治運営にいろいろと注文をつけたりする。
ゲーム開始時の元老院議席
元老院には100議席有り、軍事(赤)、商業(黄)、宗教(青)、社会(緑)、人民(黒)の5つの党派がせめぎあっている。このうち人民主義は扇動政治家の率いる「何でも反対」党といったところで政権を取ったら取ったで色々ペナルティはあるわ、野党となって勢力を伸ばしすぎれば内乱を誘発するわ良い所の無い連中だ。(この人民主義という訳語は○○とか○○○○○とか○○○などの国々を想像してしまって妙に合っていると思ってしまった)見ての通りゲーム開始時点では5つの派閥はほぼ拮抗している。
各派閥の政治牽引力
それを動かしていくのが、この各派閥の牽引力だ。何が影響するかは表示されているので分かると思う。ここで注目すべきは人民主義の牽引力が高いことだ。
要注意人物アグバル・バルキス
それを引き起こしているのがこの男、アグバル・バルキスだ。軍事的才能は0だが、カリスマが8。まさに扇動政治家になるために生まれてきたような男だ。こいつが人民主義者たちを引っ張っているのだ。速やかに排除したいところではあるが、下手に逮捕しようすると亡命されたり内乱を起こされたり色々と大変な事になる。亡命されるならまだしも内戦を起こされたらたまったもんじゃない。暗殺という方法もあるが、決して安くは無い金をつぎ込んでも成功する確率は高くない。それに金は軍事力の整備につぎ込むべきで、こんな事に無駄遣いできる余裕は無い。

今の段階でこいつに対してできることは評判を貶めて政権の座につき難くする事くらいか。これだって金はかかるが、暗殺に比べれば半分以下の出費で済む。

それ以外の人物についてできることは人民主義者の人物に以外の称号を与えて、人民主義に走るのを防ぐ事くらいしか無い。いろいろ出来るようになるのは2年経って官職をペナルティ無しで異動できるようになってからという事になるだろう。



国内情勢を一通り俯瞰してみた。とりあえず外征は将軍の頭数が揃ってからということになろう。

いよいよ次回から本格スタートだ。予定としてはまず「ヴィクトリア」でやったような方式を取る。そして70年くらい経ったら、一人の人物を主人公に描いていくような形に挑戦してみたい。

2009年09月13日

EUローマAAR連載第1回「古代世界への旅立ち」

まずやるべきことは世界を俯瞰し、どこの国ではじめるかを決めることだ。

勢力としては以下の3つに大きく分けられる。

・この世界を主導する大国
・規模の小さい文明国
・文明化されていない部族国家

大国と呼ぶべき国はローマ、カルタゴ、エジプト、セレウコス朝シリア、マケドニアの5つがある。今回のAAR連載はこれらの国で始める事としたい。

この5つの国はまた大きく二つに分けられる。ゲームスタート時点で共和制である国(ローマ、カルタゴ)と君主制である(エジプト、セレウコス朝シリア、マケドニア)国だ。

今回は共和制に挑む事にする。理由は以下の通り。

・以前のテストプレイで君主制のマケドニアを選んだので目先を変えたかった。

・「ヴァイア ヴィクティス」となって共和制に色々な独自システムが生まれた事。

共和制ということになると、ローマかカルタゴかということになる。ローマは確かにこのEUローマの主役だが、ここはあえてその主役に背を向けてカルタゴを選ぶのが、このAAR連載らしいと勝手に決め付けたのでカルタゴを選ぶ事にする。

あと今回のローマはさらにPC環境が厳しく、安定性がちょっと悪い。(「クルセイダーキングス」よりはましなようだが)その辺でAAR連載が遅れたりする可能性があることをあらかじめ述べておきます。

次回はいつも通りまず自分と周りを見てこれからのグランドデザインを決めて行きたいと思う。



2009年05月28日

ヴィクトリアレボリューションAAR連載Side A最終回「軌跡、そして新たなる世界へ」

まずは自国史を中心とした年表を示していきたい。

年表
1836年1月 サルディーニャ・ピエモンテ チュニスに宣戦布告
1836年10月 チュニス併合
1838年2月 第1次イタリア統一戦争勃発。サルディーニャ・ピエモンテ、モデナに宣戦布告。パルマおよび教皇領、サルディーニャ・ピエモンテに宣戦布告
1838年3月 パルマ併合
1838年5月 モデナ併合
1938年8月 フェラーラで行軍中の部隊の一つが反乱を起こす
1839年5月 第1次イタリア統一戦争終結。
1845年4月 サルディーニャ・ピエモンテ全土で自由主義革命運動が始まる。
1846年1月 オーストリア、スイスに宣戦布告(各国の外交圧力に押され、軍事行動には移らず)
1846年3月 フランス、スイスに宣戦布告(〜1847年5月)
1846年3月 フランス、イギリスに宣戦布告(〜1855年11月)
1846年5月 選挙法施行、初めての議会選挙始まる。
1847年3月 シュレスヴィヒ問題を巡ってオーストリア、デンマークに宣戦布告(〜1847年4月)
1849年1月 第二次イタリア統一戦争開戦。サルディーニャ・ピエモンテがトスカーナに宣戦布告
1849年4月 トスカーナ併合
1849年5月 教皇領に再び宣戦布告
1849年8月 教皇領を併合
1849年9月 両シチリア王国に宣戦布告
1849年10月 ナポリ陥落。サルディーニャ・ピエモンテ、イタリア王国建国を宣言
1850年3月 自由主義革命運動、下火に。イタリア王国反動政治始まる
1851年2月 反動政治終わる。選挙法再施行。
1856年4月 フランス、スイスに宣戦布告(〜1856年6月)
1856年10月 ロシア、オーストリアに宣戦布告(〜1856年11月)
1863年1月 オーストリア、デンマークに宣戦布告(〜1863年1月)
1863年2月 プロイセン、デンマークに宣戦布告(〜1864年3月)
1866年1月 普墺戦争勃発。プロイセン、オーストリアに宣戦布告(〜1867年1月)
1866年5月 イタリア、独自にオーストリアに宣戦を布告
1867年5月 イタリア軍、ウィーン入城。イタリア、オーストリアと和平(筆者命名:ウィーン条約)
1870年6月 普仏戦争勃発
1872年1月 普仏戦争終結。ドイツ帝国成立
1884年5月 イタリア、オーストリアに宣戦布告
1884年11月 イタリア、オーストリアと和平
1885年4月 選挙の結果、政権が穏健主義派から国家自由主義派に移行する
1890年1月 穏健主義派、政権を奪還
1891年6月 モンテネグロがオーストリアに宣戦布告。これをきっかけにドイツ、ロシアもオーストリアに宣戦布告。(〜1891年11月)
1894年10月 再び国家自由主義派が政権を担う
1901年5月 フランスと軍事同盟を締結(〜1906年)
1905年6月 アブダビ併合
1905年8月 オマーン併合
1915年11月 ドイツとロシア、オーストリアに宣戦布告(〜1916年2月)
1918年11月 フランスと軍事同盟を締結(〜1923年11月)
1919年1月 ロシアと軍事同盟を締結(〜1929年4月)
1920年1月 ネジド併合
1928年5月 ロシア、オーストリアに宣戦布告。イタリア参戦(〜1928年10月)
1928年5月 エチオピア併合
1929年1月 ロシア、オスマントルコに宣戦布告。イタリア参戦(〜1929年4月)
1929年8月 イタリアで全国ラジオネットワーク設立
1930年2月 トリポリ併合
1934年4月 ロシア、オーストリアに宣戦布告(〜1935年6月)

この年表を元にSide Bのショートストーリーを組んでいく予定だ。


コンバート結果

ハーツオブアイアンへコンバートした結果(マップ)








ハーツオブアイアンへコンバートした結果(技術)ハーツオブアイアンへコンバートした結果(政治)








ちょっとプレイしてみたら、イタリアがいきなりフランスに宣戦布告されたり、ロシアとオーストリアがトルコと戦争を始めるなど、いつに無く騒がしい展開が目の前で展開されていた。なんかこのまま続けても面白そうな気がしてきた。

まあ、今のところやる予定は無いんだけどね。

ついでに今後の予定ですが、Side Bはかなりのんびりしたペースでやるつもりなので、長期連載と並行させるつもり。

長期連載はどちらも新パッチがリリースされた、「EU3」か「EU:R」かどちらかになる予定。

では今後ともよろしくお願いいたします。 
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2009年05月24日

ヴィクトリアレボリューションAAR連載Side A第8回「これが最後の・・・」

ずいぶんと間があきましたが、ヴィクトリアAARもいよいよ最後の追い込み。がんばっていきましょう。

まず手始めにエチオピアへの侵攻を画策する。その為に少しアフリカ方面軍を増強する。そして1922年7月エチオピアに植民地戦争の宣戦を布告する。この戦争について語るべきことは無いな。1923年3月にはいつも通り首都以外の全領土割譲と屈辱で和平を締結する。そして獲得した領土に鉄道を整備する事も忘れずに。1928年にはエチオピアを完全併合。

続いてアフリカに唯一残った非文明国であるトリポリにも1924年3月に宣戦布告。同年11月いつもの条件で和平を締結。こちらも1930年には完全併合した。

実は前回書き忘れていたが、我が国はロシア、フランスと個別に同盟を結んでいた。フランスとの同盟はすぐに切れてしまったが、ロシアとの同盟が我が国を戦争へと導く事となる。

1928年5月、ロシアはオーストリアに宣戦を布告。我が国にも参戦の要請が舞い込んでくる。とりあえずロシアとの同盟を尊重し、参戦する。だが我々はすでに国境要塞の建設を終え、安定期に入っている。したがって動員も行なわず、バルカン半島方面に軍をわずかに進めたのみで後はロシアにお任せ。

1928年10月、同盟の主導国たる我が国にオーストリアから和平の提案がなされる。我が国にもクロアチア方面とドイツ方面の一部領土を割譲する条件だ。ロシアには悪いが断る理由は無い。

続いて1929年1月、ロシアはオスマントルコに宣戦を布告。同様に我が国にも参戦要請が来る。これは快諾。だが北アフリカ方面にもアラビア半島方面にもほとんど軍を配備していなかったのでそこら辺が結構侵食されてしまった。だがロシアが普通に侵攻してくれれば問題は無い。北アフリカ方面に新編成の正規軍(新開発の航空機部隊が付属している)を派遣し、反撃を開始する。

1929年4月、また我が国に和平提案が持ち込まれる。これを受諾する事で我が国はアラビア半島の全域と北アフリカの一部を手に入れる。

ここでアラビア半島の国家をいくつか自治領として独立させる事とする。取り立てて大きな理由があるわけじゃない。独立国家を作れば好戦性が下がるけど、それだって焼け石に水のレベルだ。

戦争が終わったらロシアは同盟の更新を止めやがった。ずいぶんと勝手なもんだ。

その後は戦争を起こす事も起こされる事も無く、平和裏に過ごす。ロシアはまたオーストリアに宣戦を布告したようだが、それはもうこちらのあずかり知らぬ事だ。1929〜1933にかけての「大恐慌」もこちらにそれほど大きな影響をもたらす事は無かった。

この期間に資本家たちが新設を始めた工場は以下の通り。
1922年11月 ワイナリー(ティロル)
1923年1月 汽船製造所(ピエモンテ)
1923年5月 製紙工場(ナポリ)
1923年8月 飛行機工場(ウンブリア)
1923年12月 ガラス工場(ロンバルディア)
1925年8月 高級服工場(サルディーニャ)
1927年3月 製材所(ラティウム)
1927年8月 製紙工場(トスカーナ)
1927年9月 高級服工場(ナポリ)
1927年10月 電気部品工場(ピエモンテ)
1929年2月 衣料品工場(ロンバルディア)
1929年10月 製鉄工場(ウンブリア)
1929年11月 自動車工場(ティロル)
1929年12月 飛行機工場(ナポリ)
1931年3月 ラジオ工場(ピエモンテ)
1931年12月 蒸留酒製造所(トスカーナ)

最終結果
1935年12月のヨーロッパ1935年12月のアフリカ







1935年12月のアラビア半島







これが最終的なイタリア領だ。そして下のキャプ画像が最終順位を表したものだ。
順位表








我が国の順位はイギリスとドイツについで3位となった。
結果詳細






より詳細な結果がこれ。

ゲームを終えたところで、反省会だ。まず何よりも最終回のアップが遅れてしまったのはお詫びのしようもない。それにつれて最後も結構やっつけになってしまったのも反省せねばなるまい。

まだまだ見切り発車的なところがあったな、というのが総括となるかな。そこら辺は今後の検討課題としよう。

ゲーム的な反省点はそれほど多くない。イタリア統一に至る過程は何べんもテストプレイをしただけあって、ほぼ完成されていると言っていい。その後の展開も何回かトライ&エラーをしたとはいえ、ほぼ理想的な形でのイタリア領回復となった。さらに上を目指すならば、更なる積極性が必要となってくるだろう。

次回はイタリアの歩みを中心にした年表を記し、今回の結果を「ハーツオブアイアン」にコンバートしたらどうなるかを示して最終回としたい。

この年表がSide Bの元となるはずだ。
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2009年03月30日

ヴィクトリアレボリューションAAR連載Side A第7回「資本家たちの世紀」

次の目標に定めたのはエジプトでもエチオピアでもなく、ネジド(サウジアラビア)だ。理由は色々あるんだけど、大きいのはネジド領の一つがイベントでわが国の領土とみなされたのが一番大きな理由。

ネジドには1901年2月に宣戦布告。特に苦戦することもなくその年の11月には首都以外の全領土割譲と屈辱で和平を結ぶ。このネジドを併合したのは1920年になってから。

1905年にアブダビとオマーンに止めを刺す。6月にアブダビ、8月にはオマーンを併合。

選挙の結果は相変わらずの国家自由主義派政権だし、戦争を起こす気も無いので、あまりやることが無い。(実際の歴史だと第1次世界大戦とかあって、忙しかった時代だけど)だからいつもの植民地開発とインフラ整備以外に以下の事を行なった。
・海軍の増強。
今までスルーしてきたんだけど、ようやっと余裕ができてきたので、艦船の建造を始める。海軍技術はフランスやスペインあたりから買えばいい。

・国境要塞の建築
独仏墺各国境地帯に要塞を建造する。もちろんそこに部隊を配備して、不意の戦争に備える。

退屈しているプレイヤーをよそに資本家達は大忙しだ。
1901年4月 爆薬工場(パルマ・モデナ)
1902年6月 機械部品工場(ナポリ)
1903年4月 製紙工場(ピエモンテ)
1905年3月 家具工場(パルマ・モデナ)
1905年9月 衣料品工場(トスカーナ)
1906年8月 染料工場(ウンブリア)
1912年11月 燃料精製所(ピエモンテ)
1913年3月 大砲工場(ウンブリア)
1913年9月 汽船建造所(トスカーナ)
1914年1月 高級服工場(パルマ・モデナ)
1914年1月 家具工場(シチリア)
1914年6月 ガラス工場(ラティウム)
1914年7月 ワイナリー(ピエモンテ)
1916年12月 蒸留酒製造所(サルディーニャ)
1917年7月 汽船建造所(ラティウム)
1917年12月 製紙工場(シチリア)
1918年5月 衣料品工場(ピエモンテ)
1918年10月 ワイナリー(ロマーニャ)
1919年4月 高級家具工場(ロンバルディア)
1919年4月 電気部品工場(ティロル)
1920年6月 高級服工場(ピエモンテ)
1921年7月 製材所(シチリア)
新設の工場だけでこれだけある。このほかにも既存の工場を拡張したり、鉄道整備を肩代わりしたりしている。ここまでたくさん工場ができると作業員の確保に一苦労。作業員確保の為に農民や鉱山労働者を転職させたり、4万人以上のPOPを分割したりして対応しているが、それでも限界がある。特にティロルの電気部品工場は工員の確保が事実上不可能なので、製材所を一旦閉鎖して電気部品工場に送り込んだ。(電気部品は自動車などの利幅の大きい製品の原材料となる)木材の生産が落ち込んだ分はナポリの製材所の拡張で補おうとしたんだけど、シチリアの資本家がいち早く反応しやがった。

あと汽船建造所作りすぎだ!どうしても人員が賄えなくなったら、一番に閉鎖してやる。

トピックとしては1910年あたりから旧オマーンやアブダビあたりでRGOが石油に変わった事とか、イギリスからプロヴィンスを買い上げたりしたことくらいかな。結局エチオピアにもトリポリにも手を出さなかったし。

このヴィクトリアレボリューションAAR連載Side Aも次回いよいよ最終回。気を抜かずに最後までやり抜こう。
posted by uzi at 10:26| Comment(0) | TrackBack(0) | ヴィクトリア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月12日

ヴィクトリアレボリューションAAR連載Side A第6回「果たすべきこと」

20世紀になる前に果たすべきことは2つ。
・イストリアとティロル全域(これはできればでいい)を領土とする。
・ソマリランドの領有主張

1番目はオーストリアともう一回戦争をすれば、事足りる。2番目は簡単そうだが、問題が一つある。それがこれだ。

ソマリランド1881見ての通り、ソマリランドにはオマーンの交易所が一ヶ所あるのだ。これを取り除かねばソマリランドの領有主張はできない。先遣建築物を持つことができるステートは4つまでなので、ここで一つ食いつぶされるのはよろしくない。

方法としては手軽な方法と面倒な方法の二通りがある。

手軽な方法としては戦争に訴えること。この方法は極めてお手軽だが、国威の消費も激しい。その上戦勝+領有主張での上昇分だけでは、失った国威は取り戻すまでには至らない。

面倒な方法はお金や技術で土地を買い上げる事。この方法では国威の下降は無い(+植民地領有主張で国威が上昇)が、成功率を上げるためには大量のお金と外交ポイントが必要。

結論としてはお手軽に戦争に訴えるほうを選ぶ。だがそれは今じゃない。もうちょっと先の話だ。まずはオーストリアを片付けよう。

だが、その前にやることがある。兵士を除隊させ、生産体制を整えるのだ。正直言ってこれをやるのを忘れてた。代表的なのはローマのPOPだ。

ローマPOPローマは住民のほとんどが兵士になってる・・・。これは何とかしなきゃいけない。

戦争を控えた今のタイミングでこれをやるのがベストなのか?という疑問は付きまとう。しかし、世論で穏健主義派を猛追している国家自由主義派が政権を握ると、軍事政策が「攻勢主義」になって兵士の除隊ができなくなる。故にタイミングとしてはここが最後なのだ。その他でも兵士POPが複数のところがあるので、それもできる限り除隊させる。最後にパルマとモデナは兵士POPが一つしかないが、抱えている数が多いので分割して、除隊させる。ローマの兵士を大量除隊させると失業者があふれる事になるが、そこはRGOの拡張で解決する。でもローマのRGOは果物なんだよな・・・。

それが終わったら防衛予算を最大に引き上げる。これで人員確保は問題ない。その上、指揮官の登用もできるようになる。

続いてスペインと技術交換をする。なぜ金銭での買取では無く、技術交換なのか?そしてその相手先がなぜスペインなのか?

こちらから出せる技術が無いので、フランスとは技術交換できないという事情がある。戦争のことを考えると金銭の消費は最小限に抑えたい。故に交換での技術取得になる。ただし、スペインともそうそう技術交換はできない。いずれ、主な取引先はフランスに戻るだろう。開発自体は陸軍技術中心のシフトにする。当然これは次の戦争を見越してのことだ。指導力も20になりしだい、どんどん将軍を登用していく。

植民地の開発の兼ね合いなどで、動員令を発令したのは1884年の1月だった。動員部隊の集結が完了した、1884年5月にオーストリアに宣戦布告。

圧倒的戦力で侵攻したわが軍の前にオーストリア軍はなす術も無かった。1884年11月、イストリア(トリエステ、イドルスコ、ポーラ)、ティロル全域(ブレゲンツ、インスブルック、リーエンツ)そしてフィウメ、ポストイナ、リュブリャナの各プロヴィンスをオーストリアが割譲することで和平が成立した。結局、戦争自体は1年とかからなかった。

これでしばらくはオーストリアと戦争する必要も無いだろう。ちなみにティロルの工場は「製材所」と「製紙工場」(工員POPが無いので、ただの箱状態だが)でイストリアは「蒸留酒製造所」だった。


国家自由主義派の政策




1885年4月の選挙で、国家自由主義派に政権が委ねられた。国家自由主義派の政策は経済政策と貿易政策は穏健主義派と同じ「介入主義」で「保護貿易」だが、宗教政策とマイノリティ政策は「信教の自由」と「完全な市民権」となり、より開明的になる。軍事政策は先に述べたとおり、より攻撃的な「攻勢主義」になる。

1885年6月、マウレタニアステートを領有。そのままオードステート(マウレタニアの西隣)に進出を開始。
8月、コモエステートを領有。
9月、ギニアステートに進出、ウォロドゥグステート領有。

1886年1月、カザマンスステート(セネガルの南)に進出。
進出もこれでひと段落。いよいよ対オマーン戦の準備にかかる。相手は所詮非文明国、正規軍は増強するが、予備役を動員する必要は無い。

国内ではパドヴァとパレルモで失業者が発生するが、これはあえて放置する。こういう失業者を放置しておくと、奴らは勝手に職を求めて、移住を始めるのだ。行き先はイェブティ。新天地を求めての旅立ち、といえば聞こえはいいけど、要するに職にあぶれて食い詰めた連中が働き口を求めて海を渡っただけなんだよな。

1886年11月、オマーン侵攻軍を乗せた艦隊がアンガマ湾、そしてオマーン湾に到着した。この時点でオマーンに植民地戦争を布告。その直後に軍は上陸を敢行。オマーンの首都マスカトはほとんど抵抗できぬまま陥落する。

オマーンと同盟を結んでいたアブダビも参戦するが、全く問題なし。それどころか手間が省けて、ラッキー。海軍の維持費は最低のままだが、海戦にも全く支障なかった。

1886年12月、モゲデシュを手に入れたことでソマリランドステート全てにイタリアの先遣建築物が建った。これでソマリランドステートが領有できる。

全領域を占領するのに少し手間取ったが、1887年12月には両国と首都以外の領土の割譲と屈辱で和平を結んだ。反乱対策の為に2部隊をオマーンに残し、残りはソマリランドへと移る。次なる植民地戦争の目標はエチオピアかエジプトか。

1889年9月、進化論のイベントが起こる。このイベントによって聖職者が持っていた研究ポイントへのボーナスが少なくなる。現在の政策は「信教の自由」なので、聖職者を還俗させることができる。いくつかの例外を除いて、聖職者を農民や鉱山労働者に変更する。やっぱりローマには聖職者がいないとね!

1890年の選挙では穏健主義派が勝利する。これは聖職者の還俗が影響を与えたのだろうか?

だが次の選挙では国家自由主義派が勝利する。

1898年4月、我が国で「国粋主義と帝国主義」の開発が終了する。この技術によってさらに生存性の下限が下がり、今まで入植できなかったところにもいけるようになる。

1899年の選挙も国家自由主義派が勝利。

失業者は移民するに任せて、アフリカへ植民、鉄道の敷設をしながら、19世紀を終わらせる。

次回からいよいよ20世紀に突入する。











この20年で資本家が建て(始め)た工場(括弧内はステート)
1883年1月 家具工場(ピエモンテ)
1884年1月 製鉄工場(トスカーナ)
1887年3月 蒸留酒製造所(ピエモンテ)
1890年8月 ワイナリー(ロンバルディア)
1891年12月 製紙工場(パルマ・モデナ)
1893年11月 汽船製造所(ウンブリア)
1900年9月 高級家具製造所(ピエモンテ)
1900年9月 汽船製造所(ヴェネツィア)
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2009年03月07日

ヴィクトリアレボリューションAAR連載Side A第5回「取り戻す為の戦い、そして未知の大陸へ」

1866年1月、イタリアはプロイセンがオーストリアとの戦いに踏み切ったのを機に動員令を発令する。

政府は南部オーストリアに圧力を加える為だとコメントした。しかし、その言葉を額面どおり信じる者など、誰一人いるはずは無かった・・・

まぁ、やったことはこの文章の通りです。

1861年5月、イタリアはオーストリアに宣戦布告、全軍を挙げてオーストリア領に進撃を開始した。

プロイセンとの戦いの為にイタリア国境の部隊を引き抜いていたオーストリアは完全に虚をつかれ、大した抵抗もできぬままイタリア軍の侵入を許す。

プロイセンとの戦いを終えた時はすでに、イタリア軍はウィーンに迫っていた。

1867年5月、イタリア軍はウィーン入城を果たす。同月、ウィーン条約を締結。これによってイタリアはイストリア地方を除く、「未回復のイタリア」を取り戻したのである。

これが「取り戻す為の戦い」の顛末である。この戦いはかなりあっけなかった。あからさまに軍を国境に集結させたのにそれに対する備えもしないで、対プロイセンに戦力をかけるオーストリアAIの馬鹿さにかなり救われた。

だが、これでオーストリアとの戦いが終わったわけではない。まだイストリアも残っているし、トレントとボーツェンはティロルステートの一部に過ぎない。これを取り戻してようやく、オーストリアとの戦いは一段落ということになるのだろう。

ちなみにステートを丸ごと手に入れると、そこに建てられている工場も手に入る。今回手に入れたロンバルディアステートには「織物工場」が、ヴェネツィアステートには「ガラス工場」がそれぞれ建てられていた。

この後は相変わらずの工業化と鉄道敷設だ。まずピエモンテステートにある製鉄工場の拡張(介入主義では新規の工場の建設はできないが、既存の工場を拡張させることは可能)を行なう。鋼鉄はまだまだ必要だ。
世界市場のスライダを調整して、工員と事務員を作れるようにした。(ちなみに工員を作る為には1000£とタバコ、コーヒー、紙が10、衣料品が5必要。事務員には2400£と紙が10、貴金属、ワイン、衣料品、家具が5、高級家具と高級服が1必要)

それと研究ポイントが余り始めてきたので、フランスと技術の取引を行なう。

1874年1月にトスカーナのガラス工場が壊滅した他は平穏な時代であった。

転機が訪れるのは1875年9月に「機関銃」の応用科学が開発された時だ。この「機関銃」の技術は陸軍の防御力を引き上げてくれるだけではなく、入植に必要な生存性の下限を引き下げてくれる。(微妙にいや〜な気持ちがするのは気のせいだな、うん)

これでかなりのプロヴィンスに先遣建築物を建てることができる。まずはイェブティとルックタウンに要塞を建てる。両方とも1プロヴィンスに先遣建築物を建ててしまえば、植民地として領有主張できる。しかもイェブティはソマリランド(史実ではイタリアの植民地となった)に隣接し、ルックタウンのRGOはコーヒーなので、工員を作る為にコーヒーを輸入する必要が無くなる。なぜ要塞なのか?それはね、まだどこも汽船を輸出してくれないのよ・・・。ウチの資本家どもは汽船製造所を建ててくれないし。(要塞以外の先遣建築物には汽船が必要)

そんなことを言っていたら1877年6月、ナポリの資本家が汽船製造所の建設を始めてくれた。ナポリなら工場で働く為のPOPの確保も問題ない。(ほんとはラティウムかトスカーナに作って欲しかったんだけど、贅沢は言ってられめぇ)

汽船を作ることができれば、先遣建築物を建てることができる。まず、以下のプロヴィンスに先遣建築物を建てることにする。(括弧内はステート名)

ヌアクショット(マウレタニア)
ドゥータ(ウォロドゥグ)
ブク(コモエ)
ダカール(セネガル)
ベルベラ、アビア、ウビア(ソマリランド)
ソマリランド以外はアフリカ西岸のステートだ。

そんなこんなで1880年まで終わらせる。次回は20世紀に入る前にこなしたいことが残っているので、その辺からスタートとなる。
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2009年03月02日

ヴィクトリアレボリューションAAR連載Side A第4回「反動主義への回帰」


未回復のイタリアイタリアが統一された、とはいってもそれがすべてではないということを我々は知っている。緑の部分が現在オーストリアに占拠されている、「未回復のイタリア」である。その中にはミラノ、ヴェネツィアなど現代の我々がイタリアの町として認識している場所がオーストリア領となっている。

これを取り戻すのがイタリアの次なる目標だ。

今までの戦いは力押しでも何とかなってきたが、オーストリア相手だとそうは行かない。より戦略的な戦争運営が必要となってくるだろう。

まずは足場固めの内政だ。そのためにまず予算を組み替える。しばらくは戦争をする必要もないから、陸軍の維持費と防衛予算を下げられるところまで下げ、出来る限り収入を得るようにする。その収入でまずは戦争で出来た借金を返済しよう。

そして輸出入も調整をかける。鋼鉄、セメント、木、木材は鉄道敷設に必要なので出来るだけ蓄積しておくようにする。

問題はまだある。南イタリアには工員の失業者が大量にいる。「介入主義」の経済政策では新規に工場を建てられないし、資本家は金を持っていてもなかなか工場を建ててくれない。ここは多少強引でも政府主導で工場を建てるようにするしかない。


自由主義革命の終焉1850年3月、”自由主義革命の終焉”が発生する。このタイミングを見計らって、政権与党を「復古主義派」に戻す。その上で選挙権を剥奪し、政権を固定する。反乱発生のリスクは上昇するが、工場の建設が終わるまでもってくれれば良い。



自由主義革命の沈静化を見て、一部の反動主義者が宮廷革命を起こしたくらいに脳内補完しておきましょう。(この辺はSide Bに関わってくるので)

ともあれ、ナポリステートに製鉄、セメント、肥料、製材、弾薬の各工場を建設する。

この反動主義体制は1856年1月まで続く。その後の総選挙で再び穏健主義派が政権の座に返り咲くこととなる。

ローマ遷都話がちょっと前後するが、イタリア統一後、こういう選択を迫られる。これは気分的な問題だけでは無く、戦略的な側面からもトリノからローマへ首都を移すべきだ。





次に行なったのは動員兵力の拡充と、鉄道の敷設だ。1857年2月、「実験的鉄道」の応用科学の研究が終了する。ここで溜め込んだ資源を用いて、全土への鉄道の敷設を行なう。
1858年4月までに全土への鉄道敷設が終了した。鉄道の敷設することのメリットは大きい。資源や工場の生産効率は良くなるし、軍隊の移動速度も速くなる。

かくして1865年まで我が国は、工業化と動員戦力の拡充にまい進する。1866年1月、プロイセンがオーストリアに戦いを挑んだことで我が国の運命は大きく動くこととなる。

ドイツ統率ここで我々にプロイセンと同盟を組んで戦うか中立を保つのかの選択肢が突きつけられる。

プロイセンと同盟を結べば、オーストリアとの戦いも楽になる。



だが、ちょっと待って欲しい。このプロイセンとの同盟には大きなデメリットもあるのだ。それは以下の点だ。

・和戦の主導権がプロイセンにあるため、勝手に和平される場合がある。この場合当然分け前は少なくなり、下手をすると骨折り損のくたびれもうけなんて事にもなりかねない。

・プロイセンと同盟を結ぶということは、当然この後に来るフランスとの戦いに巻き込まれてしまう。

1番目はともかく2番目のフランスとの戦争はできる限り避けたい。故に我々はここでプロイセンとは同盟を組まないという決断をする。

だが、攻め込むチャンスであることは確かだ。次回はその辺からのスタートとなる。
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2009年02月27日

ヴィクトリアレボリューションAAR連載Side A第3回「選挙、そしてイタリア王国の誕生」


立憲君主制この選挙法の改正によって、わが国には立憲君主制国家として生まれ変わる。






選挙法導入前の反乱発生率これが選挙法導入前の反乱発生率の状況である。赤が濃くなるほど反乱の発生率が高い。で、緑が反乱の心配が全く無いところである。





導入後の反乱発生率選挙法を導入することでこうなる訳だ。







民衆の選択選挙は9ヶ月にわたって行なわれる。この間、このような選択肢が出ることがある。これはある土地の住民が色々な国内問題についてどう考えるかを問うものだ。たいていの場合、この選択が選挙を大きく左右するということは無い。だがこの小さな積み重ねが後々大きなうねりを起こすことはありうる。



選挙結果選挙の結果、穏健主義派が政権を担うこととなった。





穏健主義派の政策これが穏健主義派が掲げる政策だが、ここで重要なのが経済政策である。「介入主義」ではプレイヤーが工場を建てることができなくなる。その代り資本家というPOPがあるステート(プロヴィンスが幾つか集まったもの)では資本家ががある程度の資金をためると、勝手に工場を建てることがある。この頻度は「自由放任主義」より低く、「国家資本主義」(これが以前の政策)より高い。

その他の政策は今のところそれほど重要ではない。急進性(反乱の発生率に関わる)が上昇するリスクはあるが、与党は結構簡単に変えられる。



フランスからの同盟要請この選挙期間中、フランスからの同盟要請が来る。この狙いははっきりしている。イギリスとの戦いに参加して欲しい、って事だ。我々の大目標はイタリア統一だ。イギリスと戦っている暇など無い。当然ここは拒絶させてもらう。ただ、フランスとの関係は今後とも良好に保ちたい。




時は来たれり!1849年1月、トスカーナとの同盟期間が終了。ついに時は来た。イタリア統一最終作戦を発動する。





対トスカーナ戦まずトスカーナに宣戦を布告。同時に動員令を発動し、予備役部隊を招集する。この動員部隊はトスカーナ戦には間に合わないが、続く教皇領、両シチリア王国戦には間に合うだろう。
グローセットに駐屯した部隊はシエナとリヴォルノに侵攻。モデナ、ボローニャ、リミニでトスカーナを包囲していた部隊はそのままフィレンツェに突入する。


トスカーナ併合この戦いは苦戦することも無かった。1849年4月、トスカーナは併合された。




1849年6月、トスカーナ戦を終わらせた部隊がローマ突入部隊に合流するのを待って、教皇領に宣戦布告。予備役部隊はまだ間に合わないが、この戦力で十分だろう。案の定、1849年8月にはローマは陥落し、教皇領も消滅した。

両シチリア王国戦1849年9月、ついにイタリア統一最後の戦いである両シチリア王国戦が始まる。ナポリを落とせば、イタリア統一イベントの条件を満たす。




同年10月、ナポリ陥落。

イタリア統一その月のうちにイタリア統一イベントが発生し、両シチリア王国と、放置されていたルッカがイタリア王国の版図に収まった。(ほんとはイタリア統一イベントにしたかったけど撮り損ねちゃったのよ)





次回はこの生まれ変わったイタリア王国の地盤作りと問題の洗い出しがメインとなるだろう。


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2009年02月22日

ヴィクトリアレボリューションAAR連載Side A第2回「リソルジメントと政治改革への道」

ここでイタリア統一の第1段階に取り掛かる。目標は小国群だ。

最初の問題はどこに宣戦布告をするかだ。これの決定の為には同盟形態が重要になってくる。
現在の同盟形態は次の通り。

パルマ
モデナ、ルッカ、教皇領

モデナ
パルマ、教皇領

ルッカ
パルマ、トスカーナ、両シチリア王国、教皇領、スペイン、フランス

ルッカは論外。パルマとモデナの差はルッカの参戦があるか否かだが、ルッカはイタリア統一イベントのトリガーではないので無視してかまわない。しかもルッカ陸軍1部隊が結構厄介。

なので今回はモデナに宣戦布告をする。モデナに宣戦布告をすればかなりの確率で教皇領はこちらとの同盟を無視して参戦してくる。

小国群のみならば常備戦力だけで十分だが、教皇領との戦いになればそれだけではちょっときつい。だがこれはオーストリアの介入無しに教皇領と戦うチャンスでもある。そのための動員戦力だ。


パルマ併合1838年3月 パルマ併合






モデナ併合同年5月末、モデナ併合。そのまま教皇領に進撃する。







ここで面白過ぎる事態が発生する。動員した部隊の一つが軍服を脱ぎ捨て、反乱を起こしたのだ。同時に旧チュニス領アフリカヤでも現地民による反乱が勃発する。反乱は程なく制圧された。この影響でわが軍の歩みは多少遅れたが、影響としてはそれくらいだ。1839年3月、教皇領の首都であるローマ陥落。4月にはアンコーナで教皇領派のレジスタンスが蜂起したのでその鎮圧の為に1部隊を派遣する。同年5月、教皇領とローマ以外の全領土割譲、教皇領の恥を全世界にさらすことで教皇領と和平した。

これでリソルジメント第1段階は終結した。

第1次統一戦争終結これが第1次統一戦争終結時のイタリア半島情勢である。サルディーニャ・ピエモンテが北イタリア一帯を完全に制圧しているのが分かるだろう。

この戦争の間に「実用蒸気機関」の開発が終了する。これで鉄道と汽船への道が開ける。

次に研究するのは「戦艦密集ドクトリン」である。
海軍は必要としていないんじゃなかったか?と問われそうだが、この「戦艦密集ドクトリン」は「汽船」開発の為のトリガーになっているのだ。

また戦争に勝利したことで、我が国の国威は大幅に増加し、サルディーニャ・ピエモンテは列強の末席に名を連ねることになった。

これでしばらくの間、戦争をする必要は無い。動員は解除してかまわないだろう。予算を組み替え、開発に影響する教育関連の支出を最大に増やし、防衛予算も収支ギリギリまで増加させる。陸軍の維持費はチュニスの事を考えると下げる訳にはいかない。

パルマとモデナのRGO(プロヴィンスが生産する資源)は鉄、旧モデナ領マッサのRGOは木。これらに加え、アヌシーで産出される石炭は工業化に必要不可欠な資源だ。これで北イタリアは工業化への道を邁進できる。戦争をしない間(開始時の同盟が切れる1849年まで)は統一作戦最終段階のための軍拡とこの工業化を同時進行で行なうことになる。

パルマとモデナが鉄を産出するとは言っても、それだけでは必要量をまだ賄うことができない。そのためには生産量を増やす必要がある。

方法は色々あるが、とりあえずできる事からやっていこう。パルマとモデナには兵士POP(国民)が2つあり、数の少ないほうを復員させて鉄の生産に回す。

1841年3月、「汽船」の開発が終了する。ここで「石炭の精錬」の技術が選択可能となる。次の開発は当然これだ。これは石炭だけではなく鉄の生産量も伸ばしてくれ、それを増進させる発明(イベント)のトリガーともなる。

1842年6月「石炭の精錬」開発終了。これで鉄の供給量が需要を上回った!

ここから工業化にまい進する為に工場建設に取り掛かる。鉄鋼はすでに工場があるから、まずセメントと木材だ。

技術開発は陸軍を中心に遅れている分野を補う形での開発にいそしむ。


1845年4月、我が国で自由主義革命の火の手が上がる。

同年6月、ボローニャで暴動が発生。
1846年2月にはリミニで同様の暴動が発生する。
革命の嵐が過ぎ去るまでの反乱祭りには付き合ってられない。


総選挙!同年6月、我が国は制限選挙法(選挙権を富裕階級のみに限定)を発布する。そして同日、初めての議会選挙が行なわれることになった。


次回はこの議会選挙と統一戦争最終段階の模様をお送りすることとなるだろう。
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2009年02月21日

ヴィクトリアレボリューションAAR連載Side A第1回「初期設定&対チュニス戦」

まずゲーム面の初期設定は難易度は「標準」、AIの性格は「攻撃的」という設定にした。これがデフォルトなので、変える必要もないだろう。

サルディーニャ・ピエモンテを選択して、早速ゲームスタートと行こう。

まずは情勢の確認だ。
グランドキャンペーン開始時点の中央ヨーロッパ勢力図イタリア半島の北西部フランスとの国境に面したちょっと大きめな国が我がサルディーニャ・ピエモンテである。

現在イタリアはサルディーニャ・ピエモンテ、教皇領、両シチリア王国の3つの大国とパルマ、モデナ、トスカーナ、ルッカの小国がひしめいている状況だ。まず最初の大目標はこの情勢を何とかして、イタリア王国を成立させることにある。

まずは目の前のことから手を付けて行こう。

ゲーム開始時点の予算配分予算の配分はこんな感じにした。一応説明していくとまず税率は50%をわずかに切る位でおさめる。関税は最大限かけて、出来る限り収入を増やす。治安維持の支出は今のところは必要ない。教育はいずれ経済に余裕ができたら上げるつもりだが、今のところはこのままでいいだろう。

イタリア統一までは多くの戦いが続くが、そのほとんどは陸戦だ。海軍をそれほど必要とはしない。だから海軍の維持費は最低にまで下げても問題は無いだろう。

次にやるべきは技術の開発をどれにするかだ。

研究の選択こうやってリストアップされた「応用科学」の中から一つを選んで、研究に取り掛かる。

ここは「実用蒸気機関」を選ぶしかない。これを研究しなければ鉄道も汽船も取れない。







すぐにイタリア統一戦争に取り掛かるには、戦力が心もとない。そこでチュニスに侵攻する。作戦目的は動員可能人員の確保である。

確率としてはそれほど高くないが、チュニスにオスマントルコが独立保証をかけることがある。独立保証をかけるということはオスマントルコが侵攻した相手(つまり我が国)と戦争する事になる。チュニスだけなら楽なもんだが、文明国であるオスマントルコが相手となるとかなり分が悪い。実は最初これをやられて、捨ててしまった。やり直した2回目はオスマントルコの参戦はなく、1月に始まった戦争も10月にはチュニス併合で幕を閉じた。

当然の如く、しばらくの間はチュニスでは反乱の危険性がある。反乱対策に部隊を一つ残して、残りは本土へ引き揚げる。

動員可能人員チュニスを併合したことで動員可能人員が増加することになった。これを利用して、先の戦争の損害の補填と、もともと不足していた兵力の補充を行なう。

常備軍の継戦能力の補充を終わらせれば、防衛予算を最低まで落としても問題はない。次にやるべきは国際市場からは缶詰と小火器40ずつ買い込むことだ。これで動員戦力を増強する。

とりあえずの準備は整った。次回いよいよイタリア統一の第1段階に取り掛かる。
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2009年02月19日

ヴィクトリアレボリューションAAR連載を始める前に 

「ヴィクトリア」のAARは当分室開設当初からやるつもりだった。しかし私の怠慢のせいで、ここまで延び延びになってしまった。「ヴィクトリア」のAARを求めて、ここにこられた方がいたことを考えると平謝りするしかない。

今回はどういう形態で行なうか?これも開設当初からやることはほぼ決まっていた。それが以下の通り。

・グランドキャンペーン 選択国:サルディーニャ・ピエモンテ
・Side A
通常のAAR。記載方式はEU3よりクルセイダーキングスに近くなるだろう。

・Side B
起こった出来事を元にしたショートストーリー。

ショートストーリー込みのAARってのは「クルセイダーキングス」でもやろうとしたことなんだけど、具体的な青写真無しにやってしまったというのがあの時の失敗の原因だったように思う。

今回はかなり具体的な形の青写真があるので、以前のようにはならないと思う。最悪でもSide Aは完走できるだろう。

では次回から早速始めていきましょう。
posted by uzi at 15:27| Comment(0) | TrackBack(0) | ヴィクトリア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月15日

アクトオブウォー2on2 ハード

前回の予告どおり、まず「アクトオブウォー」から始めます。

考えてみれば前2回でタスクフォース・タロンとコンソーシアムはやったけど米陸軍をやってなかったので、今回は米陸軍にした。

形式は前回と同じ2on2だけど、設定が今までと同じではつまらんし、ここのところAIのレベルをハードに上げてもクリアできるようになってきたので、AIレベルをハードに引き上げることにする。

で、今回のマップと初期設定はこんな感じ。
【マップ】
Four Lakes

Four Lakes今回のマップはだいたい左右対称になっており、建物も少なく銀行もない。このゲーム、影響のないところが微妙に訳されていない。このマップはまさにそれ。






【レギュレーション】
チーム1
プレイヤー 米陸軍
AI:ハード ランダム

チーム2
AI:ハード ランダム
AI:ハード ランダム

【初期戦術】
油井を一つ確保して、そこに防御ラインを敷く。おそらく味方を支援する余裕はないだろう。

【結果】
初期位置左下の赤いのがプレイヤーの初期位置だ。まず北の一ケ所を確保してそこに防御ラインを敷く。今回は味方AIがコンソーシアムで敵がタスクフォース・タロンとコンソーシアムだった。

この防御ラインに入り込んできた敵を叩いて、捕虜を捕っていこうというのが今回の作戦だ。

それは上手くいっていた。だが2つの出来事によって、大きなピンチを招くことになる。

当初味方AIがかなり優勢に事を運んでいたので、結構安心していたのだが、気が付いたら味方AIが壊滅していた。その上、対戦術兵器の配置が間に合わず、2度も本拠地が戦術兵器の洗礼を浴びたのである。しかも2度目の戦術兵器の攻撃はこちらの捕虜収容施設(米陸軍の場合は野戦病院)まで破壊していった。これで敵が本拠地を総力で攻撃していたら、こちらの敗北は免れなかっただろう。

だが敵は防御ラインの方を攻撃してくれた。すでに鉄壁の防御ラインを構築していたわが軍は味方AIを壊滅させたタスクフォース・タロンの主力部隊を撃退。散発的に襲ってくる敵を撃退しつつ攻撃戦力の増強に励む。

米陸軍戦術兵器米陸軍爆撃機






そうしているうちに戦術兵器と航空爆撃部隊が出揃ったので右上のタスクフォース・タロンの本拠地をまず集中攻撃した。

戦術兵器と航空爆撃の集中攻撃によりタスクフォース・タロンは大した抵抗もできぬまま壊滅する。壊滅後、わが軍はコンソーシアム攻略に移る。

だが、ここで二つほどミスを犯す。一つは攻撃戦力の逐次投入、もう一つは防御が手薄だった本拠地に敵の侵入を許すというどちらも初歩的なミスだ。

だがその程度のミスを犯したところで、戦況が大きく動こうはずもない。本拠地に侵入してきた少数の部隊を簡単に撃退し、戦術兵器と爆撃機を雨あられの様に撃ち放ってから大規模な陸上部隊を突入させる。程なくコンソーシアムも壊滅した。

【戦訓】
2回目の戦術兵器を受けた時は完全に負けを覚悟し、投げ出そうかとも思った。だがここで勝負を捨てずに戦い抜き、最終的には勝利をもぎ取った。まさに粘りの勝利だった。AIの馬鹿さに救われた部分もあったんで褒められた勝利ではないけど、今回の勝因はやはり米陸軍の特性である粘り強さだったと思う。これがコンソーシアムやタスクフォース・タロンだったらこう上手く行ったかどうか・・・。

勢力ごとの戦い方の指針なんてのもやってみたいなぁ。
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2009年01月03日

EU3AAR連載第3幕第12回「反省会」


オリッサAAR最終結果これがオリッサの最終的な領土である。今回もこちらからあまり積極的に仕掛けることは無く、売られたけんかを買うことでここまで勢力を伸ばしてきたのだから、もう少し積極的に仕掛けていればもうちょっと勢力を伸ばせたのかなというのが正直な感想だ。

それとここでは書いてこなかったけど、軍の維持費に結構な額を持ってかれたのはかなり痛かった。これに関してはもう少し効率的な軍の配置を行なっていればかなり節約できたのではないかと思う。



オリッサAAR交易状況それとこれがオリッサが最終的に独占した交易中心地の数々だ。この収入が今回大きな助けになった。最終的には自国内に交易中心地を持つことを目標の一つにしていたのだが、先ほど述べた軍の維持費なんかで資金がたまらず結局その目標が達成できなかったのは残念無念。







次はAAR記載に関しての反省点を。

後半、かなりやっつけ的になってしまったのは自分でも反省しなきゃならない。戦略、戦術という年表からだけでは見えてこない物をどう記述していくのか、これが最大の懸案事項だろう。その辺も含めて記載フォーマットはまだまだ改善の余地はありかな。


反省はこのくらいにして最後は全体的な総括を。

こうして今回ヨーロッパを離れてインド地域でプレイしてみたのだが、普段のヨーロッパでのプレイとは一味違ったなかなか新鮮な感触があった。

世界的に見ると、今回ヨーロッパが「インノミネ」の影響をもろに受けていたと思う。普段なら独立なぞしない(してもお話にならないほど小さく収まってしまう)南北アメリカ大陸が独立を果たし、あまつさえヨーロッパに逆侵攻したり、過去のAARの時には成立しなかったロシアが誕生したりヨーロッパ情勢はそれこそ自国そっちのけで眺める程楽しかった。

となれば、次にやるならばその変化を体感する為にまたヨーロッパ諸国に戻ることになるだろう。

だが、今はここで一旦おさらばとしたい。さて次の企画はどうしようかな。

2009年01月02日

EU3AAR連載第3幕第11回「信仰は何を残したか?」

さていよいよ最後の追い込み。だが我が国は現在パンジャブとの人的同君連合の下位構成国の地位に甘んじている。果たしてこれがいつまで続くのだろうか?


1752年11月18日 パンジャブとの人的同君連合解消。バヌデヴァ5世即位。
人的同君連合は2代で終わった。

1753年1月 ビジャープル併合
属国化していたビジャープルもここで併合した。だがこれが思わぬ問題を生み出すことになる。

1753年12月 トラヴァンコールの要請にしたがって、マイソール、モルディブ戦に参戦
1754年7月 ラージプートの要請にしたがって、対ネパール、ガクワール、マドゥライ戦に参戦。同戦争を主導する。
1755年1月 ネパールと痛み分けで和平

これも望まぬ戦争だった。さっさと痛み分けでの和平を受け入れる。

1758年3月 ラージプートの要請にしたがって、対パンジャブ、ティムール、シンド、デカン戦に参戦

1767年4月 マイソールを属国化
以前の戦争で領土を減らしたマイソールをここで属国化する。併合はするかどうか・・・

1773年9月3日 摂政評議会の統治始まる

1778年5月13日 カルアデヴァ6世即位

1782年12月 統治技術17に上昇。国策に「神の福音」を採用
ビジャープル領だったライチュール・ドウアーブは領民の宗教がイスラム教に改宗されていた。

これを何とかする為に宣教師を送り込む必要があるが、現在我が国には宣教師がいない。

そこで新たな国策に宣教師が増える「神の福音」を選び、宣教師を増やすことにする。

だが、たかが1ヶ所の改宗の為に国策スロットを一つ無駄にしたのは懸命な判断だったのかどうなのか・・・

1786年4月 施政方針:キリスト教禁止令
1788年10月 施政方針:ディニ・イライの導入


これは両方とも宗教の施政方針。「キリスト教禁止令」でも宣教師の増加量は増えるんだよねぇ。やはりあの国策選択は無駄だったのか。

ちなみに「ディニ・イライ」は技術にボーナスが加わるが、生産効率が下がるものだったはず。

1789年4月 ライチュール・ドウアーブ、ヒンズー教に改宗
「インノミネ」では改宗と入植のルールが変わり、一度送り込むと継続的に行動するようになった。

だから、宣教師は一人いれば事足りるんだよねぇ。

1794年3月19日 チャクラプレターパ3世即位

1797年6月3日 ナーラシマ・ジャナ2世即位

1813年8月 アーマドナガルにて施政方針:徴兵局の設立
徴兵局を設立すると暴動発生率が上昇するものの、軍の編成が短い時間で終わるようになる。

1814年6月 統治技術18に上昇。政治体制を管理君主制に移行

1815年10月 イベント:我が国で「ナーラシマデヴァ・デオ」が発生。
普段ならこれはスルーするようなイベントなんだけど、今回は少し頭を悩ませたので取り上げる。

このイベントは国威を上昇させるか安定度を上昇させるかを選択するんだけど、普段なら大して悩まずに済む。国威が大して下がっておらず、安定度が低いなら安定度の上昇を選べばいい。逆に安定度が+3なら国威の上昇を選べばいい。

だが今回は前回の管理君主制への移行による安定度の低下に加え、国威も中核プロヴィンスを失ったことでマイナスに落ち込んでいる。

安定度の上昇と国威の回復どちらを優先すべきなのか。悩んだ結果、国威を回復させることにした。国威は安定度の回復率にも影響を与えるので、それを考えた選択だ。

1818年12月31日 チャクラプレターパ4世即位















ゲームとしてはここで終わり。最終回はいつも通りの反省会に一枠設ける事とする。

2008年12月22日

EU3AAR連載第3幕第10回「門をこじ開けろ」

ゲームも18世紀に突入し、いよいよ終盤戦。だが、まだまだ気を抜くには早すぎる。

さあ、気合を入れて再開だ。

1702年2月 マイソールの要請にしたがって、対ヴィジャヤナガル戦に参戦
このヴィジャヤナガルは残されたフランスの橋頭堡が独立してできたものだ。これで西ヨーロッパ諸国の橋頭堡は全て無くなったことになる。そしてこのヴィジャヤナガルもあっという間にマイソールに併合されることとなる。

1704年7月 オーストリアが我が国の商人に対し、市場を開放
ヨーロッパは現在我が国の商人を締め出しているので、商人を配置するには市場開放を要求せねばならない。

ヨーロッパ諸国ならば力による市場開放という手段をとり得るが、我が方にはその選択肢は無い。

オーストリアと我が国の関係はヨーロッパ諸国の中ではかなり良好だったので、簡単に市場を開放してもらえた。オーストリアは何ヶ所かの「交易の中心地」を持っている。オーストリア一国の市場開放だけでも我が商人達の活動領域はかなり広がる。

もっと門戸を開かせたいが、それ以外の国とは関係があまりよろしくないので、これ以上の解放はできるかどうか・・・。

1706年6月 ビジャプールを属国化
ついにビシャプールもわが国の軍門に下った。

1708年6月 タウング継承戦争勃発。ビハールが我が国に宣戦布告
この継承戦争は領土拡大を狙う我々には渡りに船だった。ビハール領にはイベントで3ヵ所ほどの領有主張があり、軍の展開もすでに終わっている。やるべきことはビハールを攻め立てる事だけだ。南のマドゥライが敵方に加わっているのが多少心配の種ではあるが、それほど気にすることも無いだろう。

1708年8月 プタラーブルドラ7世即位

1708年12月 パンジャブと痛み分けで和平
1709年2月 マドゥライと痛み分けで和平
同月 マニプールと痛み分けで和平
1709年3月 明と痛み分けで和平
1709年5月 ビハールとジャールカンド割譲、タウングと我が国の人的同君連合承認、チベットの独立で和平

戦争は順調に進み、ビハールの同盟諸国が次々に脱落していく。

最終的にはほぼこちらの思惑通りで和平が叶った。

1711年11月 トラヴァンコールと同盟
これも断る理由は無いな。でもあまり役には立たなかったが。

1725年10月 ラージプートの要請にしたがって、デカン、ビハール、マニプール、パンジャブ、シンド、トラヴァンコール戦に参戦

1725年11月 ラージプートの要請に従って対ネパール、ガクワール、マドゥライ戦に参戦、同戦争を主導する。
自分から仕掛けたものじゃないんだけどね・・・。望まぬ戦争ってやつ。

1726年5月 ネパールと痛み分けで和平
この二つの戦争共にあまりうまく進まず、痛み分け持ち込むのがせいぜいだった。

1726年12月30日 ガンガーダル・デヴァ1世即位

1731年12月 ラージプートの要請にしたがってパンジャブ、ビハール、デカン、ブンデルカンド戦に参戦
ビハールを結構攻め立てたんだけど、これもラージプートが主導国だったんで得るところは無し。

1732年11月14日 パンジャブとの人的同君連合における下位構成国となる
ここで人的同君連合の下位構成国に落ちるのかぁ・・・。しかも今まで戦争やってた敵国じゃん。

1736年6月17日 ゴビン3世即位
人的同君連合いまだ解除されず










橋頭堡は失われたが、まだヨーロッパ諸国の脅威が完全に去った訳ではない。それでも今のところはインド、東南アジアでの争いに焦点を絞って構わないだろう。

この連載も残りあと1回か2回。しっかりと駆け抜けよう。

2008年12月13日

EU3AAR連載第3幕第9回「商業王国オリッサ」


1651年イベリア半島情勢この画像は前回の最後に紹介した摩訶不思議なイベリア半島情勢である。

青がフランス、ちょっと濃い緑がポルトガル、黄土色とでも言うべきかともかく中央部にあるのがカスティーリャ、それよりちょっと薄い黄色がグラナダ、イベリア半島のちょうど角のところにある赤みがかった茶系の色のところがガリシアという国である。

で、薄い緑色がブラジルで茶色がケベックだ。

ポルトガルは交易の中心地があるアンダルシアこそ押さえているが、イベリア半島では領土分散の憂き目にあっている。かつて、このイベリア半島のほとんどを制圧していたポルトガルがこのようなことになるとは、これを栄枯盛衰というのか。

だが、そんなこと今の我々には関係無い。先へ進めよう。

1653年2月 ラージプートの要請にしたがって対ティムール、シンド戦に参戦
1653年7月 ティムールと痛み分けで和平
1658年2月 ラージプートの要請にしたがって対ティムール、シンド戦に参戦

シンドはヒンズー教区域に残る唯一のイスラム教国家だ。一応参戦はしたものの国境が直接接している訳では無いので軍は動かさず、傍観に徹する。

ティムールには結構押されたようだが、どうやら痛み分けですんだようだ。

1663年5月19日 カピレーシュヴァラ・ガジャパティ3世即位

1667年4月 ラージプートの要請に従って対デカン、クジャラート戦に参戦
1667年10月 デカンと痛み分けで和平

この戦いでは我が国は少しだけ動いた。だが主導国ではないので、さっさと痛み分けで和平を結ぶ。

1669年1月 ラージプートの要請にしたがって対ティムール、デュラニ、シンド戦に参戦
しつこいって・・・

1678年5月 マハラシュトラを併合
なんだかんだで塩漬けになっていた、マハラシュトラだったがここでようやく併合と相成った。ただここはまだ中核プロヴィンスになっていないので、しばらくは反乱に要警戒。

1684年4月 統治レベル11に上昇。国策に「合理的商慣行」を採用
ここで新たな国策の採用が可能となる。「合理的商慣行」を採用して、商人の活躍を促進する。

1685年10月6日 ナーラシマテヴァ8世即位

1685年11月 「アグラを征服」ミッションを放棄
放棄する機会を狙っていたのだが、なかなか国威が上昇する機会がなかったのでそのままにしておいた。

イベントでようやく国威が上昇したので、ここでこのミッションを破棄する。

1693年2月 マイソールと同盟
南インドはまた混迷の度合いを深めていた。新たに独立したマイソールと同盟を結ぶ。

1697年2月 交易レベル15に上昇
これで「交易の中心地」の独占が可能となった。交易による収入もこれで更なる増加が見込める。












月収入の多くを交易に頼る商業国家という国家のグランドデザインがここに来てようやく固まった感じがする。だが、これをさらに推し進めるとなると、商業圏の拡大が急務となってくる。特にヨーロッパ方面への市場参入はぜひとも成し遂げたい。

加えて国内や近隣もまだまだ波乱含み。ここからどう進んでいくのか。次回は冒頭で今回のおさらいめいたことをしてから先に進めて行きたいと思う。

2008年12月06日

EU3AAR連載第3幕第8回「理解不能な事象の数々」

我が国がやるべきことは国内の安定と軍事力の強化だ。ヨーロッパ諸国はまだ橋頭堡を確保したのみだから、積極的には打って出たりしないだろう。

1606年4月 ラージプートの要請にしたがってブンデルカンドに宣戦布告

1609年7月6日 ナーラシマデヴァ6世即位

1610年4月 タウング継承戦争勃発。クメールが我が国に宣戦布告
1610年8月 ラージプートの要請にしたがって対明戦に参戦
1610年12月 クメールと賠償金支払いとタウングとの人的同君連合を認めさせる事で和平
1611年2月 明と痛みわけで和平

どちらの戦争においても我が国は積極的な行動には出なかった。と言うか、出る必要性が無かったというのが本当の所か。それでもタウング継承戦争には勝ったし、明とも痛み分けで済んだ。


1611年11月4日 ゴヴィンダラジャ・ヴィディヤーダラ5世即位

1623年4月 チベット継承戦争勃発。満州が我が国に宣戦布告
1623年9月 アッサムの属国化、コチ、シルヘット、ナガの領有主張取り下げでアッサムと和平
1623年11月 モンゴル汗国と痛みわけで和平
1624年1月 チンと痛みわけで和平

継承戦争になると時々、「えっ、こんなところと戦争になるのか!」と思うような事がある。特に仏教、ヒンズー教、神道、儒教がひとまとめの宗教グループとして扱われる東方地域はその傾向が強い。チベットを巡って満州と継承戦争になるってどんなだよ・・・。ともあれ起こった事には対処しなきゃならん。戦争方針としてはアッサムが敵方として参戦しているので、当面はそれを叩くことにする。

予定通り、アッサムを手早く制圧。属国化で手を打つ。

その後、次々と脱落していく国と痛み分けでの和平を受け入れていく。

だが朝鮮と満州はなかなかしぶとく、和平に応じようとはしなかった。

1625年7月29日 ナーラシマデヴァ7世即位

1627年10月 朝鮮と痛みわけで和平
1628年6月 満州と痛みわけで和平

朝鮮の軍がチベットに入り込んだが、これは何とか撃退。

こちらは戦争税を一切かけていないから厭戦感情(戦争を継続していると上昇していく。高くなると反乱が発生しやすくなったりする)の上昇率も大したことは無い。

だが敵はそうではなく、厭戦感情は着々と上昇していた。まあ、良くがんばったほうじゃないのか?

1639年4月 「ダドラを征服」のミッションを放棄
開戦理由をでっち上げれば達成も不可能ではないのだろうが、先の戦争での国威上昇などで国威は十分にあったのでこの段階でミッションを放棄する。

1641年8月 ラージプートの要請にしたがってパンジャブ、ビハール、ガクワール、ネパール戦に参戦
1642年3月 パンジャブと痛みわけで和平


1645年1月 「アグラを征服」のミッション発動

1645年11月3日 カピレーシュヴァラ・ガジャパティ2世即位

1645年11月 ゴンドワナ、アウド、テリンガナに施政方針:土地の囲い込みの促進を適用
この施政方針は1プロヴィンスのみに掛かる物で反乱の発生率が上昇するリスクがあるものの、税収がアップする。










ヨーロッパ諸国はこちらが思っていたほど進出してこなかった。フランスは2つ持っていたプロヴィンスのうち一つを失い、ポルトガルにいたっては橋頭堡すら失ってしまっていた。


何でそんな事になったのか?

その理由はヨーロッパ方面を見ると良く分かった。かつてはイベリア半島のほぼ全域を制圧していたポルトガルが、現在ではその支配権のほとんどを失っているのだ。カスティーリャ、グラナダの独立というのは理解できるけど、何でブラジルとか、ケベックなんて名前がイベリア半島にあるんだ?

ま、こういう摩訶不思議な現象もこのゲームの魅力ではあるんだけどね。

この摩訶不思議ヨーロッパ情勢はヨーロッパ諸国の介入を防いでくれている。だがこれもいつまで持つことやら・・・


最後に今回はちょっとコメントは少なめにしました。

2008年11月27日

EU3AAR連載第3幕第7回「カチマケ」

またどんどん継続していきましょう。


1552年5月 ラージプートの要請にしたがって、対ティムール、シンド戦に参戦

1553年1月 ゴンドワナ併合
イベントで中核プロヴィンスとなったゴンドワナに併合を打診すると、一発で併合要請を受け入れた。

1553年9月19日 カピレーシュヴァラ・ガジャパティ1世即位

1558年6月 マイソール継承戦争勃発。デカンが我が国に宣戦布告
1558年11月 デカンと痛み分け


再びダドラ征服ミッションを達成できるチャンスが訪れた。だがこの戦争で我が国はかなり不利を余儀なくされ、痛み分けでの和平提案を受け入れざるを得なかった。

人的同君連合を組むはずだったものを放棄したのだから、この痛み分けは負けといっていい。国威はがた減りして、それを取り戻すのにかなりの時間を費やすことになる。

1560年2月 政治制度を封建君主制に変更
「統治」技術が封建君主制を採用できるレベルに達したので、専制君主制から政治制度を切り替える。

すでに安定度は+3だったが、安定度はマイナスされ0を下回る。それでもあまり大きな影響は受けなかった。ただメリットとしては微妙なんだよなぁ。

同月 ラージプートの要請にしたがって、対ティムール、シンド戦に参戦

1560年8月7日 チャクラプレターパ2世即位

1562年1月 タウングの要請にしたがって、マラッカに宣戦布告

1565年5月 ラージプートの要請にしたがって、対ティムール、シンド戦に参戦

1566年8月 チベットと同盟
この同盟にはあまり意味は無かった。

1567年3月 タウングの要請にしたがってマラッカに宣戦布告

1570年5月 ラージプートの要請にしたがって、対ティムール、シンド戦に参戦

1573年9月 摂政評議会の統治

1574年2月 ラージプートの要請に従ってマールワに宣戦布告

1575年12月 ゴンドワナ独立
ゴンドワナの独立は思わぬ副産物をもたらす。ゴンドワナはアウドとアラハバードという2つのプロヴィンスを巻き込んで独立したのである。

1576年12月1日 プタラープルドラ5世即位

1577年7月 ゴンドワナを再併合
ゴンドワナを再併合する事でアウドとアラハバードも我が国の版図に収まった。だがこの二つは中核プロヴィンスではない為、しばらくは反乱に悩ませられる事となるだろう。

1592年5月24日 プタラープルドラ6世即位

1594年9月 パンジャブ継承戦争勃発 チベットが我が国に宣戦布告
1595年3月 日本と和平
1595年4月 マニプールと和平
同月 クメールと和平
1596年4月 パンジャブとの人的同君連合の形成および賠償金支払いでチベットと和平


このパンジャブ継承戦争の影響でチベットとの同盟は反故となった。

この戦いでは我が国はチベットを圧倒する。ただチベット領に対する領土的な野心は無いので、この条件での和平を決めた。








2度巻き込まれた継承戦争は一勝一敗。まさに「カチマケ」というわけだ。(順番的に言うと「マケカチ」だが)

そんなコップの中の争いに気を取られている我々に大いなる脅威が迫っていた。そう、西ヨーロッパ諸国という名の脅威が。すでにポルトガル(イベリア半島のほとんどを掌握している)とフランスがインドに橋頭堡を確保している。

今後、彼らが我々をどんな運命に導くのだろうか?














追記:現在、インドでのテロ事件が大々的に報道されている。

今回インドを舞台としているのは全くの偶然だが、色々と考えさせられる部分もある。

一番強く感じるのはこのゲームが扱っている時代の影響は確実に残っていて、それが現在の国際情勢に色濃く影を落としているのだって事。

私が今やっている事は歴史の授業でも国際情勢論でもなく、ゲームのAARにすぎない。故にそんな深いことまで考えてやるつもりは無い。それでも今回の事件が立ち止まって考えるきっかけとなったのは事実だ。

2008年11月16日

EU3AAR連載第3幕第6回「継承は山あり谷あり」

2週間ぐらい間を空けちまいましたが、さっさと継続しましょう。


1501年1月 ミッション「コンカンを征服」を破棄
同月 ミッション「ゴンドワナの属国化」発動
1502年11月 マハラシュトラを属国化
1510年7月 ゴンドワナと同盟
1510年10月 ゴンドワナを属国化


マドゥライとは戦いたくなかったし、国威もこの時点で確か+2か+3はあったので−5のペナルティも問題ないと判断して、ミッションを放棄する。

次に提示されたのが「ゴンドワナの属国化」だが、これも同盟さえ結んでしまえば結構簡単にクリアできた。

1511年1月 ペグーの要請にしたがって、対タウング、チャンパ戦に参戦

1511年4月 マドゥライと同盟
1513年10月 マドゥライの要請にしたがってクジャラート戦に参戦
この時マドゥライとの関係改善ミッションが進行していた事もあり、同盟を断る理由は無かった。クジャラート戦に参戦するが、さしたる成果は無し。

1515年1月15日 ラムチャンドラ・デヴァ4世死去。摂政評議会の統治始まる
1515年1月21日 オリッサ継承戦争勃発。ペグーがマドゥライに宣戦布告
1519年2月22日 オリッサ継承戦争終結。我が国がマドゥライとの人的同君連合の下位構成国となる。
1521年5月13日 ムットゥ・ヴィラッパ1世死去。マドゥライとの人的同君連合解除。チャクラプレターパ1世即位。
1521年6月 マドゥライが同盟を破棄


オリッサ継承戦争の選択肢自国で継承戦争が勃発すると自分たちがどちらの国を支持するかを選択しなければならない。

ヒンズー教国のマドゥライと仏教国のペグー、心情的にも実利的にもマドゥライと組んだほうが良いに決まっている。

結局この戦争でペグーはいいところ無く、継承権をマドゥライに譲り渡す事となった。幸いにしてというかなんと言うかこの人的同君連合は1代限りで終わった。

1523年2月 ミッション「バスタールの返還を要求」
1523年8月 「バスタールの返還を要求」のミッションを破棄

バスタールとは要するにゴルコンダの事だ。これも−5のペナルティは問題無しとして破棄したが、これは破棄する必要は無かったかなぁ。

1531年4月27日 チャクラプレターパ1世死去。摂政評議会の統治始まる
1531年5月2日 第二次オリッサ継承戦争勃発。ラージプート、マドゥライに宣戦布告
1532年6月 第二次オリッサ継承戦争終結

今度はラージプートときた。この戦争で我が国はまともに戦わず、なすがままにしているとラージプートが賠償金をマドゥライに払っただけで終わり、我が国が人的同君連合の下位構成国になることは無かった。それが良かったのか、悪かったのか。

1533年1月 ミッション「ダドラを征服」発動
1533年5月 マドゥライの要請にしたがって、デリー、デカン戦に参戦

ダドラはハンデシュから独立したデカン領だ。マドゥライが早速仕掛けたのでその尻馬にのってダドラを制圧したものの、主導国でないのが災いして領有までは至らなかった。

1534年7月30日 ゴルコンダと同盟
1534年7月31日 ゴルコンダが我が国との同盟を解消

外交併合をもくろんでの同盟要請だったのだが、受けといての即日解消かよ。

これで外交併合の道は断たれたと見て、ゴルコンダへの侵攻を決意する。しかし今は摂政評議会統治で宣戦布告はかけられない。

1535年9月28日 摂政評議会の統治終わる。カルアデヴァ4世即位

1535年11月 ゴルコンダに宣戦布告
1535年12月 ゴルコンダを併合
1538年8月 マドゥライと痛みわけで和平

摂政評議会の統治が終わり、宣戦布告を仕掛けられるようになったのでゴルコンダ併合作戦を発動した。ゴルコンダにはマドゥライの独立保証がかかっており、この戦争にはマドゥライも参戦した。

我が国はゴルコンダを速やかに併合。積極的な攻勢をかけてこなかった(できなかった?)マドゥライに侵攻。

そうこうしているうちに、マドゥライが痛み分けでの和平を持ちかけてくる。ゴルコンダ併合という当初目標は達成しているので、断る理由は無い。

その後マドゥライはトラヴァンコールの再独立などで、大きく国力を減じることになる。

1545年6月7日 カルデヴァ4世死去。カルデヴァ5世即位

1550年12月 ブンデルカンドと人的同君連合を形成。上位構成国となる 
インド北部で新たに独立した国、ブンデルカンドと人的同君連合を組むことになる。




今回は2度の継承戦争、自分の国が人的同君連合の上位構成国になるなど継承について色々あった回だったな。

まさに「継承は山あり谷あり」といったところか。

11/21:連載回数に誤りがあったので訂正しました