2010年04月25日

EU3AAR連載第4幕第1回「エア トゥ ザ スローン」

さて今回からEU3の第4幕を始めていく。今回は神聖ローマ帝国加盟の君主制国家というのが今回の条件だ。第1幕でやったザクセンがまさにその条件にぴったり合う。リベンジも考えたが、第1幕の頃とはザクセンを取り巻く環境が大きく異なる。だから今回ザクセンを選ぶことはしなかった。

で、結局選んだのは「ヘッセン」である。

次回は周辺状況の確認と「エア トゥ ザ スローン」の新要素について書いていこうと思う。

2010年02月22日

連載中断のお知らせ

新PCがOSの再インストールに追い込まれてしまったため、EUローマAAR連載のデータが吹っ飛んでしまいました。

したがってAAR連載をここで一旦中断します。

再開するときは完全な仕切り直しになるはずです。その時はまたよろしくお願いいたします。

2010年01月23日

フィロシル・アフミス伝第2回「スフェットへの道」

前回は政治の世界に登場してから、さまざまな役職を経験していく様を描いてきた。30代になり、いよいよスフェットへの道も見えてくる。さてさてどうなりますことやら。

588年1月、エルダーの任期を終えたフィロシル・アフミスを待っていたのはキレナイカの総督という役職であった。キレナイカ総督の期間中彼の友人にとって不利になるような法案に彼は賛同した。それによって彼は一人の友人を失ってしまうこととなる。キレナイカの総督を2年勤めた後、彼は1年ほどあらゆる役職から解放される。

ワンポイント
いつの時期かははっきりしないんだけど、フィロシル・アフミスは足を悪くして軍事が1下がってしまった。そのため将軍や提督の地位には付けられなかった。フィロシル・アフミスは神祇官だったので必要無かったけど、役職から外す代わりに称号を付けてやると人民主義にはしる心配をしなくて済む。


591年、フィロシル・アフミスは海軍長老の役職に就任する。そしてその年の10月には息子マゴ・アフミスが16歳の誕生日を迎えた。

ワンポイント
海軍長老は海軍技術の上昇を促進する役割であって、技量に比べて軍事技能はそれほど重要ではない。あとこのあたりから役職をその場その場で変えていく方式から任期を終えた役職をいったん空にしてから人材を選んでいく方式に変更した。この方式には多少デメリットもあるんだけど、より能力値に応じた役職を選びやすくなる。


593年、海軍長老の任期を終えたフィロシル・アフミスは司法官に就任する。そして10月、マゴ・アフミスは神祇官として政界への第一歩を記した。

ワンポイント
司法官とは要するに社会政務官のことだ。将軍にするために供犠官→エルダーというルートを通ったフィロシル・アフミスをわざわざこの地位につける必要はなかったのだが、人もいなかったので就任させることにした。
もし「これは!」という人物がいたらいろんな職種を経験させるといい。と、いうか高い能力を持っていれば必然的にいろんな職を経験することになるだろう。いろんな役職を経験させておくことで人望が上がり、スフェットになりやすくなる。


594年1月、マゴ・アフミスはバエティカの総督となる。神祇官からバエティカの総督へ、マゴ・アフミスは奇しくも父と同じ道を歩み始めたのである。

ワンポイント
このときマゴ・アフミスはバエティカの総督を希望していたわけではなかったのだが、ちょうどバエティカの総督の地位が空いたので悪戯心を出してバエティカの総督に就任させてみた。ただマゴ・アフミスはフィロシル・アフミスに比べて軍事の能力値が低いので将軍ルートに進むことはないだろう。


595年、司法官の任期を終えたフィロシル・アフミスはシチリアの総督に就任する。シチリア総督の任期中、彼は生きているのがつらいと感じるようになっていった。それでも彼は重圧を感じつつもそれを乗り越えて生きていくことを選んだ。彼のその意思とは関係なく国家はある重大な決断を行った。

595年12月、隣国エジプトでジェドル・プトレマイオスが反乱を起こした。この反乱によってエジプトの国土は二分される。カルタゴ政府はローマと並ぶ仮想敵国たるエジプトの内戦を見逃さなかった。596年3月、当時のスフェットであるバール・アフミスはエジプト政府に宣戦を布告。待機していた大規模な軍団をコラニクラヌム(エジプトとの国境にあるキレナイカリージョン唯一のプロヴィンス)からキレナイカ、バルカ両プロヴィンスに侵入させる。反乱軍との戦いに全力をつぎ込んでいたエジプトにはこの侵攻に対応する余裕はなかった。カルタゴは必要以上に戦線を拡大する意図は無かった。597年8月、カルタゴはエジプトとキレナイカ、バルカ両プロヴィンス割譲で和平を結ぶ。

ワンポイント
EUローマを特徴付ける要素の一つにこの「内戦」がある。「内戦」が発生すると反乱勢力が組織され、それらはあたかも独立国のように振舞う。このエジプトの内戦はアフリカ側を政府軍が小アジア側を反乱軍が治める本当の意味で国土を二分する内戦となった。

この絶好の機会を逃す手は無い。イベントの結果キレナイカ(プロヴィンス)の領有権を主張しているので宣戦布告しても安定度の低下は無い。完全に叩く所までしなかったのは下手に反乱軍に肩入れしすぎて内戦を早期終結させれば逆に痛い目を見る可能性があると判断してのことだ。事実、今回のゲーム終了時点(601年1月1日)においてなおこの内戦は継続中だ。

それとこの戦争で気づいたことが一つある。拡張した領土に住んでいた市民は格下げされてしまう。普通は奴隷→自由民→市民へと順調に上がってバランスが取れていくのだが、現在わが国はシヴィタス・デセス法を施行しているので自由民から市民への移行が制限されている。

したがって現在各地で市民の不足が起こり始めているのだ。市民の不足がもたらす悪影響は技術進歩の遅れだから今のところは影響は見えない。だが今後は一体どうなるのか・・・。

しかもシヴィタス・デセス法を廃止するためには社会主義派か人民主義派政権である必要が有り、安定度1低下のリスクもある。(当然シヴィタス・デセス法の恩恵も受けられなくなる)実は社会主義派が政権を握ったときもあったのだが、その時はこの問題に気づいていなかった。


598年12月18日、マゴ・アフミスは周囲に推されて社会主義派のリーダーとなる。元老院は現在フィロシル・アフミス率いる商業主義派がかつての宗教主義派を凌駕する議席を確保している。マゴ・アフミスはそれに背を向けることになったのである。

ワンポイント
親子対決、というには元老院の議席数が圧倒的に違う。それにしても、バール・アフミス(いまだ健在)がリーダーではないにしても宗教主義派、フィロシル・アフミスが商業主義派のリーダー、マゴ・アフミスが社会主義派のリーダーと親子三代でこうも主義主張がばらばらだとは・・・


統治者となることを決意した、フィロシル・アフミスは599年7月のスフェット選挙に出馬する。このとき彼は圧倒的な元老院の支持を受けてスフェットの筆頭候補だったのだが、宗教主義派のアヒロム・アフミスに敗れることとなってしまった。だが彼はあきらめることなく2年後のスフェット選挙に向けて活動を開始する。

ワンポイント
筆頭候補で元老院から圧倒的支持を受けているのに統治者になれないというのは良く起こる事態。


600年2月13日には初孫のエウゴラス・アフミスが誕生。アフミス家の隆盛はいまだ終わらない。そして601年1月1日、物語はまだまだ続く。

2010年01月07日

フィロシル・アフミス伝第1回「立身出世」

では早速フィロシル・アフミス伝第1回(EUローマAAR連載第9回)をはじめましょうか。イタリックになっているのはゲーム的な人事のコツみたいなものの紹介です。

物語の始まりは彼が18歳になって最初に称号を手にするときから始まります。

AVC574年3月2日、かねてより希望していた神祇官の称号を得た。神祇官として宗教の仕事に触れることで、彼は宗教こそこの国を成り立たせる最も重要な柱なのではないかと考えるようになった。

ワンポイント
たいていのキャラクターが最初に希望するのはまずこの「称号」ということになるだろう。(たまに例外はあるけど)

称号には
軍団司令官軍団司令官(24)
会計検査官会計検査官(6)
平民造営官平民造営官(2)
卜鳥官卜鳥官(15)
神祇官神祇官(15)
の5種類ある。(カッコ内は定数)

なんとなくわかると思うけど軍団司令官の希望をかなえてやると「軍事主義」に傾き、会計検査官だと「商業主義」、平民造営官だと「社会主義」、卜鳥官と神祇官は「宗教主義」にそれぞれ傾いていく。だから人民主義にはまった若手には積極的にこの称号の希望を叶えてやることで再転向が期待できる。18歳で政界デビューしたときに人民主義にはしっていることは意外に多い。その理由はこうだ。

称号や役職を追い求めているのに無官だとそのキャラクターは徐々に人民主義へと染まっていく。そして個人が夢や野心を持ち始めるのは16歳からだが、実際に役職に就けるようになるのは18歳から。この2年間のブランクは意外と大きく、特に人民主義の牽引力が強いとかなりの確率で若者が人民主義へと偏向してしてしまう。ただ人民主義でなかったとしても称号の希望はなるべく早く叶えてやったほうが良い。そうすることで次の希望がより早く出てくる出てくることとなるからだ。(その後すぐ別の称号を欲しがる「称号マニア」もいるけど)

称号についてもう1点。上の3つは定数についてそれほど気にかける必要はない。平民造営官は2人しか付けられないからその辺をちょっと気にすればいいくらい。なぜかといえば役職につくと(若手の場合はたいてい地方の総督)これらの称号は自動的に外れてしまうからだ。すなわちこれらの称号は無官の人間に付けて人民主義に走るのを防ぐのが最大の目的といっていいだろう。

ところが宗教関係の2つの称号は役職に就いても外れることのない一生ついてまわる称号なのだ。だからこの2つは何も考えずに付けていくと定数を使い切ってしまい、叶えてやりたくても叶えてやれないという事態が発生することになる。(実はこの段階で卜鳥官を使い切ってしまい、希望を叶えてやれずに塩漬けになっているキャラクターがいたりする)


574年5月、彼は生まれ故郷であるサグントゥム(タラコネンシス)に程近いバエティカの総督を夢見るようになった。例年それらの人事考査は前任者の死去など特段の例外がない限り1月に行われる事となっていたが、彼はそれを待たずに元老院を動かし、バエティカの総督になった。そのときに彼は宗教よりも商業の力に強く魅せられるようになっていった。

その頃の我が国は他国の軍備増強に突き動かされ、大規模な軍事拡張路線へとむかっていた。

ワンポイント
「ヴァイア ヴィクティス」前だと役職の年齢制限とかは無く、能力値に応じた役職を配分した後はほったらかしておいても一向に問題は出なかった。だが「ヴァイア ヴィクティス」になってからはより計画的なライフプランを立てる必要が生じた。(共和制では特に)

年齢制限の関係上、最初の役職はほぼ例外なく地方の総督ということになる。「太閤立志伝」、「信長の野望」、「三国志」そして「クルセイダーキングス」は封建主義的な発想に基づいているため城主(伯爵)というのはきわめて高い地位にある。だが中央集権的な発想においては地方の総督というのは大して高い役職ではない。だから共和制のライフプランは基本的に

中央で簡単な仕事を任される

地方のどさ回り

中央に戻ってより重要な役職を任される。(状況によってはまた地方に赴任したり、人によっては地方巡りで一生を終えたりする)

最終的にスフェット(最高権力者)に
こんな感じになる。国家公務員や転勤のあるような企業に勤めてらっしゃる方とっては人事とは思えないであろう。ちなみに「〜の総督になる」という希望を叶えてやると技量(困難に直面しても的確に事を成す能力)が1上がり、商業主義に傾く。それは別にしても最低限一度は総督を任せた方が良い。理由は次のワンポイントで。


希望通りバエティカの総督となったフィロシル・アフミスではあったが、自らの傍らにいる女性がいない事に物足りなさを覚えるようになった。その年の11月、彼に縁談が持ち上がる。相手はモーヴ・バールハニス。商業主義派を率いるアッバール・バールハニスの一人娘だ。断る理由は無かった。AVC574年11月13日、フィロシル・アフミスはモーヴ・バールハニスと結婚式を挙げたのである。そして翌575年10月1日、長男マゴ・アフミスも誕生する。

ワンポイント
役職に就けると自分で勝手に相手を見つけてきて結婚する。逆の言い方をすると役職に就けてやらないといつまでも結婚できない。まあ身持ちがしっかりしていないと結婚できないというのは今も昔もそう変わらない、ということだ。結婚以外にも総督に任命してやることで達成できる野心というのはある。
・息子が欲しい→これは結婚の延長線上にある。運の要素も絡むが、うまくいけば宗教主義に傾く
・金持ちになる→総督にはちゃんと給料がある。それ以外にもキャラクターはリージョン内で不動産を持ち、そこからの収入も自己の財産に加えていく。だから総督に任命してそのままほうっておくとこの野心は自然に解決してしまう。これを達成すると商業主義に傾く。
だから称号を与えても転向しなかったと嘆く必要は無い、総督になってからも十分にチャンスはあるのだから。それに結婚して子供が生まれれば結果的に国の陣容は厚くなるのだから、人民主義といえども最低限1回は役職に就けたほうが良い。

AVC575年7月4日、現スフェットのケルベス・ペナミスが46歳で亡くなる。その後を伯父であるマハルバル・アフミスが再び政権を担う事となった。577年1月、フィロシル・アフミスはバエティカでの2年の任期を終え、生まれ故郷のサグントゥムを抱えるタラコネンシスの総督に赴任することになった。

敵国の侵略がすぐに起きないであろう後方地域のバエティカと違い、ローマとの最前線に位置するタラコネンシスは一部の軍が総督の管轄下に置かれている。非常時においてはこの軍の指揮も担当しなくてはならない。

ワンポイント
「ヴァイア ヴィクティス」になってから中央の兵権を担う将軍への道は極めて厳しくなった(共和制に限る)ので将軍の頭数は常に不足気味になる。ただ総督に兵権を渡すことで、将軍がいない軍というのをなくすことはできる。総督に軍を渡してしまうと総督が管轄するリージョンからは出られなくなるので、最前線の防衛部隊を任せると良いだろう。全土を駆け巡らなくてはならない機動部隊は中央の将軍を任命しておくといざというときの打撃力となる。そして軍事だけやたらと能力値が高い軍事バカを将軍になれるまでこういったところの総督を任せておくと能力の無駄遣いをしなくて済む。


AVC577年7月4日選挙の結果、新たなスフェットとなったのはマハルバル・アフミスの弟であるバール・アフミスであった。フィロシル・アフミスは父がスフェットになったという報を任地で聞くこととなった。それから2ヶ月ほどした577年9月、突如フィロシルの元に父バール・アフミスが訪れた。政庁に訪れるなり彼は言った。
「私はここにお前の父としてきたのではない。この国をあずかるスフェットとしてここへ来たのだ」
「ローマ軍に動きがあるという報告は受けておりません。領内も安定し、私が赴任してから税収は上がっています。お忙しい父上がわざわざこんなところに足を運ぶ必要などないでしょうに」
「税収は上がっている、か。それが正当なものであるならば何も言うことはないのだがな」
「おっしゃっている意味が良くわかりませんが」
「これは私がスフェットになった直後に届けられたものだ」
そういってバール・アフミスはパピルスでできた文を見せた。そこにはタラコネンシスでは賄賂が横行し、総督までもが積極的に関与しているという旨がしたためられていた。
「こんなものをお信じになるのですか」
「完全に信用しているわけではない。だが疑いの目がわずかでもある以上、確認しないというわけにもいかんのだ」
「ですが逆にお尋ねします。必要悪としての賄賂を受け取ることが罪だというのですか?中央でも賄賂の授受は普通に行われていると聞きます。父上だって清廉潔白のままスフェットになったわけではないでしょう」
「度を過ぎるなと言っているんだ!」
この国ではは確かに人民主義者などが「クリーンな政治」を掲げることはあるが、それほど「汚職」に厳しいわけではなかった。一応元老院議員の買収は違法であったが、見て見ぬ振りをすることも多かったのだ。ましてや地方行政においては中央の監視の目が届かない分、さらに賄賂が横行することにもなる。これも普段なら大きな問題にされることもないのだが、対立候補にとっては格好の攻撃対象になる。特に兄から弟への政権移譲ということで一族支配を懸念する声もあるのだ。
「で、私を解任するおつもりですか」
フィロシルはあくまで冷静だった。おそらく自分を解任するようなことはあるまいという余裕の表れであった。
「そこまでは考えてはおらん。だがせめてここでの任期を終えるまでは自重することだ」
「肝に銘じておきましょう。折角ここまで来たのですから孫の顔でも見に行ったらいかがですか?」
「そうさせてもらおう」
そう言ってからスフェットは政庁を後にした。
「どうなさるおつもりですか?」
スフェットが去った後、下級官吏の一人が入ってきてフィロシルにたずねた。
「どうもしないさ。父上が私に対して何もしないのと同様にね」
その時のフィロシルはすでに政治家の顔そのものであった。

ワンポイント
「腐敗した総督」というイベントを元にちょっと話を作ってみました。「クルセイダーキングス」でも「EUローマ」でも個人を対象にしたイベントは話作り(妄想)の格好の材料になる。今後ともこういう話はどんどんやっていきたいと思っております。


だがその時の説得が彼に届いてはいなかったのだろう。578年9月、買収の罪で捕まった支援者の一人をフィロシル・アフミスは全面的に支援した。その後、彼は579年ナルボネンシス(マッシリア)、581年シチリア、583年キレナイカと最前線の総督を歴任した。彼が順調に出世コースを歩む中、属国であったヌミディアで王権を巡る内戦が勃発し、反乱軍が勝利する。これによってヌミディアは献上金の義務から解放されたが、それは同時にカルタゴにとって同国を排除するための障害が消えたことを意味していた。580年1月、前年7月にスフェットに就任したばかりのアッバール・バールハニス(フィロシル・アフミスの義理の父親だ)はヌミディアに宣戦布告。増強された軍勢を用い侵攻を開始した。ヌミディアにカルタゴと戦う力があるはずも無かった。同年12月、領土の半減と賠償金支払いで和平を締結する。

AVC581年10月21日、フィロシル・アフミスにとって忘れられない出来事があった。長年、自らの政敵であったマゴ・バールハニスが同僚に殺されるという事件が起こったのだ。この一件に彼は関ってはいなかったが心の中で事件を起こしたものに対して喝采を送っていたのはいうまでもない。

フィロシル・アフミスは585年1月、供犠長への就任を命ぜられる。これは宗教全般を司る地位で任期は無い。だが実際は1〜2年で交代することが多く、その後は元老院監察官に就任することが多い。

ワンポイント
将軍になるためには通常3つのルートがある。(例外として戦争中のイベントとして元老院が特定のキャラクターを将軍に任命することがある)
・社会政務官経験者となる
・スフェットに就任する
・監察官経験者となる。
社会政務官になるためには35歳まで待つ必要があり、誰が次のスフェットになるかはその時の状況しだいでころころ変わるので当てにはできない。残るは監察官(エルダー)だが、このエルダーも就任の条件はすごく厳しい。年齢制限は18歳なのだが、前歴として
・社会政務官
・スフェット
・供犠長
のいずれかが必要となる。つまり自分から将軍を育てようと考えるとルートは
・社会政務官
・供犠長→エルダー
の実質2つしかないというわけだ。

前述のとおり社会政務官になるためには35歳まで待つ必要がある。その点供犠長からエルダーのルートは時間こそ3年かかるが、28歳で将軍になるための資格を得ることができる。ただ宗教関係の役職はプロヴィンスの改宗などにも関ってくるのでその辺との兼ね合いも必要になってくるのに加え、終身任期なのでいつ解任しても忠誠心の低下があるというのは留意せねばなるまい。


こうして彼は久々にカルタゴへの帰還を果たした。その年の11月には長女バツノアムも誕生。そして予定通り1年後の586年に彼は供犠長の地位を解任され、即日元老院監察官への就任を命ぜられた。フィロシル・アフミスが元老院監察官となった直後、時のスフェットであるケルベス・タウタリス(軍事主義)がヌミディアに再び宣戦布告した。587年3月、ヌミディアからの和平提案を受け入れる形で戦争は終結した。それとほぼ時を同じくして商業主義派閥を率いていたアッバール・バールハニスが息を引き取った。彼がその時次代のリーダーとして指名したのは義理の息子であるフィロシル・アフミスであった。同年7月、マハルバル・アフミスが再びスフェットの座に就く。

そして588年1月、フィロシル・アフミスのエルダーの任期が終了する、というところで次回に続く。

2009年12月24日

EUローマAAR連載第8回「連載再開」

さて新環境の下で連載再開だ。まず現在の状況を把握し、今後の対策を練ろう。

574年イベリア半島
これがイベリア半島情勢である。イベリア半島ほぼ全域の入植が完了しているのがわかるだろう。この方面で領土拡張を行うならば、必然的にローマとの戦争を覚悟せねばなるまい。

574年北アフリカ、南イタリア
北アフリカとシチリア島方面はローマ、エジプト、どちらとやりあうにしても大戦争だ。

574年マケドニア
一方、これが現在のギリシャ方面および小アジア地域の情勢だ。この方面にもローマの影が見える。ローマが押さえる前に進出すべきか・・・。

今後の方針は大きく分けて4つある。
・ローマと戦争をする
・エジプトと戦争する
・ギリシャ方面に進出する
・ひきこもる

ローマと戦争をするならイベリア半島方面、南イタリア方面からの多方面同時侵攻が有効だろう。だがそれをなすためには適切な機会を狙う必要がある。

エジプトとの戦争は相当なリスクを覚悟する必要がある。

陸路は侵攻ルートは一ヶ所しかない上にエジプトは現在わが国を上回る陸軍を保有している。海軍を使った強襲揚陸という策もあるが、手痛い反撃を受ける可能性はきわめて高い。これも内戦の時期を狙うなど何らかの策が必要になってくるだろう。

ギリシャ方面への侵攻は海軍による侵攻をせねばならないという難点を除けば比較的ローリスクで進出できる。だがこの輸送による陸軍の損耗は結構馬鹿にならない。あとこの方面の敵戦力が読めないのも痛い。

侵攻にリスクが付き物なのは当然。どこに向かうにしろ軍の準備だけは怠りなくやらねばなるまい。

次に国内の情勢だが、これは比較的安定している。
574年元老院
特筆すべきは交易路の空きが多い影響で商業主義派が宗教主義派と拮抗するくらいにまで勢力を伸ばしていることくらいか。ともあれ国内情勢の事はあまり考えずに行動が取れそうだ。

そして前回の予告通り今回からしばらく一人の人物を中心に描いていく。選考条件は以下の通り。
・574年1月の段階で16〜17歳であること
・その段階で派閥が人民主義ではないこと
この2つの条件に合致したのがこのフィロシル・アフミスだ。
主人公 フィロシル・アフミス
現司法官バール・アフミスを父に持ち、現スフェットであるマハルバル・アフミスは伯父に当たる。「執念深い」が「賢明」で「無鉄砲」という人物である。今後いろんな特性が付け加えられていく。果たしてこの人物がどういう運命をたどるのか?それは私にもわからない。一人の人物が大局に振り回されながら生きる様を少しでも感じていただければ幸いだ。

次回からこの人物を例にとって人事のコツなんかも書いていきたい。

2009年12月19日

新PC導入記第10回「ハーツオブアイアン」

これをやらなきゃ「新PC導入記」をやった意味がない。だから前回のタイトルに「終わり」とつけたのをちょっと後悔してるんだよね。

では「ハーツオブアイアン」、いきましょうか。

3日本語版
立ち上げ(ダブルクリックからメニューが表示されるまで)
旧環境 6分25秒86
新環境 3分7秒

選択(「戦争への道」で日本を選択してからゲーム画面に移行するまで)
旧環境 1分50秒86
新環境 23秒55

1ヶ月進行(「戦争への道」日本 1936年1月、グラフィックオプションはデフォルト、すべてをAIに委任)
旧環境 12分10秒49
新環境 2分12秒14

とにかく1ヶ月進行の差が致命的。ウェイトの低い1936年1月でこれだけ差があるとなると戦争が激化するにつれ、この差はもっと広がっていくことが予測される。ただ旧環境でもローマのときのような操作のもたつきはほとんどなかった。ただウェイトが増せばもたつきが出てくるかも。

2アーマゲドン日本語版(2.2.1パッチ適用済み)
立ち上げ(オープニングムービーをスキップしてからメニューが表示されるまで)
旧環境 46秒41
新環境22秒92

選択(「戦争への道」で日本を選択してからスタートまで)
旧環境 56秒18
新環境 29秒24(参考記録:実際にはもう少し時間がかかっているはず)

1ヶ月進行(1936年1月 日本、速度「きわめて早い」、生産スライダ委任)
旧環境 2分14秒18
新環境 30秒67

2も予想以上に差が出た。特に1ヶ月進行の差はやはり大きい。







グラフィックのオプションを切れば旧環境でも若干の高速化が図れるのではないだろうか。それでもこの差は埋められないだろうけどね。

これで「新PC導入記 AAR分室編」も本来の目的を果たしたというわけだ。あとは前回の予告通り、何か特筆すべき事があったら記事にするということで。
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2009年12月13日

新PC導入記AAR分室編第9回「とりあえずの終わり」

今日は恩恵の無さそうな国産ゲームと旧環境でも異常をきたしたゲームの試験的移行を行った。

ギャルゲ関係はとにかくセーブデータのありかを探すのに苦労した。検索をすれば余裕なんだけどね。そのほか特筆すべきことはこんなもの。

・「太閤立志伝V」がインストールできなかった。互換モードでもやってみたが異常が出るのですっぱりとあきらめた。

・「YsI、II」完全版と「M1 TANK PLATOON2」は起動に問題は無かったが、画面の色彩がおかしくなった。

・「ZWEI!!」はインストールは滞りなく成功したが、ランチャーにゲームの起動ボタンが表示されなかったので起動できず。

・旧環境で異常をきたしたもののうち新環境に移行して問題の無かったものは無し。ただし「CAESAR3」のみ文字がほんの少し崩れるくらいの異常なので問題無し、と判断。

・「SWAT2」はXP互換モードにしたらムービーがちゃんと再生された。それと「ジェダイアウトキャスト」は明るさの調整に異常がでたので互換モードに切り替えた。

・「Hidden&Dangerous」、「HEAVY GEAR2」、「CAESAR3」がゲームフォルダでゲームとして認識された。

ここまで終わって、移行できず惜しかったのは「スターランサー」と「太閤立志伝V」かな。「SWAT2」は「メックウォーリア3」の試験中に互換モードを使うことを思いついた。

アイスウインド・デイル、ガガーブ・トリロジー、いくばくかの非18禁美少女ゲーム、3TRUTH、4を除くシュヴァルツシルトなどまだ残っているのはあるけど、とりあえずこれで移行作業は打ち止め。

これで更新が止まっている「日々是雑感」側の新PC導入記を進められる。こっちはまた新しいことに気づいたら記事にしていきたい。
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2009年12月12日

新PC導入記AAR分室編第8回「日本ファルコム」

移行も国産ゲームに移ってきた。まずトップバッターは「Ys6」以降のファルコムゲームだ。国産PCゲームの中で新PCの恩恵を受けられるであろう数少ないゲームたちだ。

きりがないから動作確認は軽くするにとどめた。その結果、「空の軌跡」(FCからthe 3rdまで)、「イースオリジン」、「フェルガナの誓い」、「Ys6」、「ぐるみん」、「ツヴァイ2」すべて動作に問題は無かった。

Vistaが対応OSに入っている「ツヴァイ2」と「空の軌跡the 3rd」はご丁寧にもゲームフォルダに加えるかどうかをたずねてきた。それにしてもこの二つのゲームが「ワールド イン コンフリクト」より高いパフォーマンスを要求しているのはどういうことだ?

次回は恩恵がなさそうな国産ゲームの移行を取り扱う予定。書くことがなければスルーするかも。
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新PC導入記AAR分室編第7回「ゲームフォルダ」

Windows7のゲームフォルダにゲームとして扱われたものを紹介していく。

「コンバットフライトシミュレーター2」
「メックウォーリア4」
「スターランサー」
この辺は発行元がマイクロソフトなのでなんとなくわかる。だけどそのわりに「メックコマンダー2」が入っていなかったり。

「メダルオブオナー パシフィックアサルト」
「サブコマンド」
「サーティーン」
「ワールド イン コンフリクト」
EAとUbi。「ワールド イン コンフリクト」は当然。この中で入ったことが一番意外だったのが「サブコマンド」

「ジェダイアウトキャスト」
「スターウォーズ ギャラクティックバトルグラウンド」
この二つはルーカスアーツ、というより「スターウォーズ」だから入ってくるのは納得かな。

「ヒーローズ オブ マイトアンドマジック4」
「SWAT3」
ここら辺まではまあなんとなく理解できる。

「ヴィクトリア」
「ストロングホールド」
「ヘジモニア」
「トレードエンパイア」
この辺になるとよくまあ拾ってきたなぁ、感心せずにはいられない。でも「ヴィクトリア」があるのに「ヨーロッパユニバーサリス」も「ハーツ オブ アイアン」も無いというのはちょっと納得しがたい。

とりあえず国外のゲームは旧環境で問題が生じたものを除いて大体移行を完了した。さて次は国産のゲームだ。何からはじめるかな。
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2009年12月10日

新PC導入記AAR分室編第6回「問題あり」

ここまで多くのゲームをインストールしてきた。ほとんどが動作したが、問題を生じたものもある。今回はその辺を書いていきたい。ただ起動した、とは言っても軽い動作確認程度なので今後異常が発生する場合も多々ありうる。逆にこちらで異常があっても、他の人の環境では異常が無かったというのもありうるだろう。

起動時、互換モードのお世話になるもの
「アクトオブウォー」
互換モードで起動しないとエラーメッセージが表示される。そのまま起動しても問題は出なかったけど。
「SWAT3」
こっちは互換モードにしないと完全に起動しない。逆に言えば互換モードにさえしておけば問題なく起動する。

インストール時に互換モードのお世話になったもの
「メックコマンダーゴールド」
「ヘジモニア」
両方ともインストール時、setup.exeに互換モードを設定するだけで問題なくインストールできた。その後の起動試験も問題なくクリア。メックコマンダーに関してはムービーをスキップするとメインメニューが色化けを起こす。

起動に問題が生じたもの
「スターランサー」
「SWAT2」
「プールオブレディアンス」
「スターランサー」は原因不明だが、クラッシュやハングアップをよく起こす。「SWAT2」はムービーの再生が不可。実はそれ以外の問題って無いのじゃなかろうか。どちらも旧PCで環境的には問題ないので移行は行わない。
(12/11追記)
「プールオブレディアンス」は立ち上がりすらしなかった。互換モードも効果なし。

そのほか予想以外の効果をもたらしたものもある。
「メックコマンダー2」
以前これは起動のためにちょっと仕掛けをしなきゃならなかったのだが、その仕掛けをしなくても問題なく起動した。小さな問題も起こったが、影響はまったくなし。

「ストロングホールド」
「ストロングホールド クルセイダー」
これは新PCに移行してもそれほど効果は無いだろうと考えていたが、さにあらず。立ち上げが驚くほど早くなっていた。

次回はゲームエクスプローラーの話をしたい。
posted by uzi at 22:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 新PC導入記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

新PC導入記AAR分室編第5回「ヨーロッパユニバーサリス」

さて今回はヨーロッパユニバーサリスシリーズ。これらは現在AAR連載のメインコンテンツを張っているゲームなので環境の向上が今後の連載にも大きな影響を与えることが予測される。では早速EUローマから。

EUローマ(「ヴァイアヴィクティス」日本語版)の場合
立ち上げ(ダブルクリックからメインメニューが表示されるまで)
旧環境 4分43秒12
新環境 31秒86

ゲーム開始(国を選択してからゲーム画面に移行するまで)
旧環境 34秒43
新環境 5秒73

1ヶ月進行(471年1月エジプト 地形マップモード 最高速)
旧環境 17秒36
新環境 2秒86

ローマは確かに選択時にもたつきとかあったから、それが解消されて快適度が上がるだろうな、とは思っていたけどここまで差がつくとは。ただセーブデータを移行すると、任命した日付なんかがリセットされるみたいでこの辺が少し今後のAAR連載に影響するかな。

EU3(「インノミネ」日本語版ver1.3)
立ち上げ(オープニングムービーをスキップしてからメインメニューが表示されるまで)
旧環境 2分10秒86
新環境 1分17秒61

ゲーム開始(国を選択してからゲーム開始まで)
旧環境 24秒49
新環境 8秒61

1ヶ月進行(1399年11月ザクセン 地形マップモード 最高速)
旧環境 10秒49
新環境 2秒43

EU3でもこれだけ差がついた。

EU2(日本語版 参考記録)
立ち上げ オープニングムービーをスキップしてからメインメニューが表示されるまで)
旧環境 4秒67
新環境 2秒61

ゲーム開始
旧環境 14秒49
新環境 10秒24

1年進行(グランドキャンペーン1419年 ザクセン 最高速)
旧環境 1分18秒18
新環境 33秒92

さすがにEU3やEUローマよりは差が小さいけど、結構あるなぁ。

サイバーフロントはXPの頃から最新OSの動作確認表(でもなぜか「クルセイダーキングス」は無かったりする)を出している。だからEUも安心して移行作業に移れた。AAR連載を新環境で一元化するにはまだちょっとハードルがあるんだけど、ゲーム進行に関しては問題無いのでEUローマの連載も再開できるだろう。

次回はその他のパラドゲーやゲームの2次振り分けの様子なんかを。
posted by uzi at 10:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 新PC導入記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月09日

新PC導入記AAR分室編第4回「ワールド イン コンフリクト」

新PCの実力を測る第1候補に「ワールド イン コンフリクト」を使ったのはこのゲームがもともとVista(というかDirectX10)に最適化されたタイトルで最も新PCの恩恵がありそうなのが挙げられる。それに加えてベンチマークがあるので差が見た目でわかりやすいというのもある。
旧環境 中

新環境 中
画面解像度1920×1200(今のディスプレイのネイティブ解像度)、グラフィック詳細中で比較した結果だ。言うまでもなく上が旧環境で下が新環境でのベンチマークだ。(サムネイルの状態だと見にくいと思いますので、クリックして元のサイズで表示してください)差は歴然。

旧環境 非常に低い

新環境 高詳細
上が旧環境でグラフィックの負荷を一番かけていない状態。旧環境ではこれでゲームを進めていた。下が新環境でグラフィックに最も重い負荷をかけた状態。下のほうが若干低いが、実質的な差はほとんどなんじゃなかろうか。

まずこのワールドインコンフリクトに関しては新PCの効果を十分に確認することができた。

次回はEU3、EUローマを取り上げる。
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2009年12月06日

新PC導入記AAR分室編第3回「新PC導入!」

本日、新PCを導入いたしました。
http://www.dospara.co.jp/5goods_pc/pc_detail.php?h=g&f=g&m=g&mc=1152&lf=0
購入したのはHG 32bitモデルって奴。追加したのはCPU切り替え機とLANケーブル、USBフラッシュメモリくらい。後はその都度追加していけばいいだろうくらいの考えで何のカスタマイズもしなかった。

−−−−−−−ここまでは同じ文章−−−−−−−

次回からはAAR分室らしく各ゲームの移行状況を書いていきたいと思う。まずは「ワールド イン コンフリクト」から。
posted by uzi at 20:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 新PC導入記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月28日

新PC導入記AAR分室編第2回「手持ちゲームの分類」

初回は日々是雑感とそれほど差は無かったけど、今回からはAAR分室らしいことをやります。

まずは手持ちのゲームを4つに分類しよう。

A 新PC導入によって画質や快適度の向上が望めるもの
EU3以降のパラドゲーとワールドインコンフリクトが代表格。国産ゲームではツヴァイ2が唯一これに該当する。

B XP対応で画質や快適度の向上が望めないもの
大部分のゲームがこれに当たる。

C XP非対応だが、現PCで起動に問題のないもの
メックコマンダー、スターランサーなどが該当する。

D 現PCで起動に問題があるもの
数は少ないが、いくつか該当するものがある。



まずAだがこれはほぼ無条件で新PCへの移行を行なう。Bは「ヴィクトリア」や「ハーツオブアイアン2」などは最優先で移行するが、その他は一通り移行が完了してから。CはBと並行しての移行作業となる。Dは試験にとどまるだろう。

次回以降その辺の検証をメインにしていくが、新PCはWindows7になるのでAであっても移行に問題が生じる可能性は十分にありうる。64bit版にすればなおさら。
posted by uzi at 20:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 新PC導入記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月27日

新PC導入記AAR分室編第1回「購入事情PCゲーム編」

まず第1回はどういう事情で新PC導入を決意したかというところをつづっていきたい。

うちのPCも7年目を迎える事となった。ここ最近のゲームは最低環境ギリギリで、
「大丈夫だろうな」
なんて不安を胸に買うことが多くなった。(体験版がチェックできるものは多少安心できるのだが)

現在連載中のEUローマに関して言えばストレスを感じるほどではないが、お世辞にも「速い」とは言えない。そこに来てハーツオブアイアン3の発売。調べると最低環境がうちのPCとほとんど同等。カスタマイズによる対応もCPU周りとグラフィックボード周りの強化はほとんど不可能な状況。

かくて新PC導入と相成った訳です。というところで次回に続く。
posted by uzi at 18:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 新PC導入記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月22日

EUローマAAR連載第7回「マッシリア消滅」

アブドメルカルト・タウタリス(宗教主義)続き

ここでのトピックは551年4月、ワッカエイの東隣アレワキに入植完了した事くらいかな。

552年1月〜554年1月 マッタン・バールハニス(商業主義)
ここでのトピックはワッカエイの西隣、カルペタニの北にあるベトネへの入植が完了した事かな。

554年1月〜556年1月 マハルバル・ミルキラミス(商業主義)
557年7月、ローマがマッシリアに対して宣戦布告。圧倒的なローマ軍に対してマッシリアはなす術もなく、同年9月にはエンポリオン割譲、献上金支払いで和平を結ぶ。

これはまたとないチャンスだ。11月にマッシリアに宣戦布告。即座に首都カルタゴに待機させていた部隊をマッシリアに上陸させる。開戦の口実を作らないままの宣戦布告だから当然安定度は減少するが、「託宣者」の効果によって必要額は少なくて済む。

先のローマとの戦争の痛手から回復しきっていないマッシリアに抵抗する力は残っていなかった。翌月にはカルタゴはマッシリアを併合。ローマに楔を打ち込んだのである。
マッシリア捕虜 ピタゴラス・プロクティス
これがそのとき捕らえられた捕虜、ピタゴラス・プロクティスである。30前という年齢、軍事主義派、能力も比較的高いと条件が揃っているので彼も釈放し、我が国の一員に加える。

556年1月〜558年1月 ハンノ・ナラヴィス(軍事主義)
特筆すべきトピックは無し。

558年1月〜559年12月 エウゴラス・アフミス(宗教主義)
まず558年5月、セデタニの北イレルゲテスに入植が完了する。これでローマと国境を接する事になる。

そして559年8月我が国は「交易の機会」の原理を発見する。これは交易路を増やすものだ。これを機会にまた交易路を全面的に見直そうかとも思ったが、面倒なのでやめにした。そのせいで交易路が無駄に余ってしまったような気がする。

559年12月、エウゴラス・アフミスは老衰で亡くなる。

559年12月〜561年12月 ミルクヘレム・バルキス(商業主義)
ここはとりあえず特筆すべきトピックはないな。

561年12月〜562年7月 マハルバル・トゥッリウス(軍事主義)
半年あまりの期間の中で特筆すべきトピックは一つ。562年6月、「ローマを打ち破る」というミッションが失敗。続けて提示されたのは「マッシリアに神殿を建設すべし」だ。これは簡単に済むだろう。

562年7月、スフェットは老衰で死去。享年70。

562年7月〜564年7月 ヒミルコ・エシュバリス(軍事主義)
マハルバル・トゥッリウスの死後行なわれた選挙で政権の座に就いたのは彼と同じ軍事主義派のヒミルコ・エシュバリスだった。

寺院の建設ミッションを終え、次に提示されたのは「異端者を公職から排除せよ」だ。今やこの「異端者」たちも我が国になくてはならない存在だ。このミッションは無視する事にする。金銭的な余裕はあるし。

564年7月〜566年7月 マゴ・バールハニス(軍事主義)
3代続けての軍事主義政権。取り立てて書くべき事はないかな。

566年7月〜568年7月 マハルバル・アウダクシス(社会主義)
42年ぶりの社会主義派政権である。ここでやるべきことは当然、国策を変更する事である。

ここでは「奴隷解放」を選ぶ事にする。これは以前の「市民権」と対になるもので奴隷から自由民への格上げを促進するものである。これで国策は正常な状態に戻った。

あと566年9月、「建築様式」イベント発生。これは建設技術が一定のレベルに達すると起こる物で質素倹約を旨とするか荘厳華麗を旨とするかを選択するものである。ここでは荘厳さを選ぶ事にする。特に理由は無いんだけどね。

568年7月〜570年7月 ハスドルバル・エシュバリス(軍事主義)
569年1月、「異端者を公職から排除せよ」失敗で安定度が低下。だがすでに安定度上昇に必要な金額を貯蓄していたので即日上昇。

次に提示されたのは再び「ローマを打ち破る」ミッションである。さてどうすべきか・・・。

570年7月〜572年7月 ハンノ・ナラヴィス(軍事主義)
572年7月〜 マハルバル・アフミス(宗教主義)


とりあえずゲームスタートから100年が過ぎた574年1月で今回は幕。

次回は474年現在の世界(あくまで見える範囲だが)情勢、ここまでで培った人事のコツのようなものの紹介、主人公の選抜の模様などを書いていきたい。

2009年10月11日

EUローマAAR連載第6回「イベリア半島侵攻戦」

アブドメルカルト・タウタリス(宗教主義)続き

宣戦布告
早速ワッカエイに宣戦布告。再編したカンタブリ防衛軍を南下させてワッカエイを攻囲。そしてサグントゥム付近にいた通常編成軍をルシタニア侵攻の為に移動させる。

移動が完了した6月にはルシタニアにも宣戦を布告して侵攻を開始。


ワッカエイ併合
8月末にはワッカエイが陥落。そのままワッカエイは我が国の版図に収まった。

ワッカエイ捕虜
ワッカエイを併合した事で幾人かの捕虜を捕らえた。人民主義なら容赦なく処刑or追放しようと思っていたが役に立ちそうなので彼らにも働いてもらおう。

第1次ルシタニア戦終結
12月にはルシタニアともこの条件で停戦。献上金は後が厄介なので要求しなかった。

542年1月〜544年1月 ボウロメヌス・バールハニス(人民主義)
こいつは「職業軍人」を「託宣者」(安定度の上昇に必要な金額を下げる)に変更する。

この時期にイベリア半島カルペタニへの入植が完了する。

544年1月〜546年1月 エウゴラス・アフミス(宗教主義)
復讐の始まり
先々代のスフェット、アブドメルカルト・タウタリスに将軍エウゴラス・ハニスが襲い掛かった。なんとこの時アブドメルカルト・タウタリスはエウゴラス・ハニスを返り討ちにしたのだ。
エウゴラス・ハニスは軍事9の猛者だったにもかかわらず、だ。

あとは545年10月、サグントゥムの北、イレルカウォネスへの入植も完了する。

546年1月〜548年1月 ボウロメヌス・バールハニス(商業主義)
遠い復讐
エウゴラス・ハニスを返り討ちにしたアブドメルカルト・タウタリスだったが、彼もまたただではすまなかった。546年8月、そのとき受けた古傷が元でアブドメルカルト・タウタリスが亡くなる。

ここでのトピックはもちろんルシタニアとの平和条約が終わったことだ。
ルシタニア併合
547年2月、ルシタニア併合。

ルシタニア捕虜 
そしてこれがその際に捕らえられた捕虜だ。彼らにもしっかり働いてもらう。

これでイベリア半島におけるケルト部族掃討戦は終結だ。

戦闘が一段落したので、交易ルートを大幅に組み替える。自分でやっといてなんだが、なんか商業主義って感じにぴったりだな。

548年1月〜550年1月 マハルバル・トゥッリウス(軍事主義)
ここでのトピックは、イレルカウォネスの西隣にあるセデタニへの入植が完了した事くらいか。

550年1月〜アブドメルカルト・アフミス(宗教主義)





イベリア半島制圧戦終結
これが550年時点でのイベリア半島情勢だ。残った灰色の部分は無主の地ということになる。ガリア方面に勢力を伸ばしつつあるローマといずれは国境を接する事になろう。

さて次回いよいよ大国同士の激突が始まるのか?その辺の検討から次回は始まることになるだろう。





訂正:「託宣者」の解説が間違っていました。あとセデタニの位置関係も間違っていました。お詫びして訂正いたします。

続きを読む

2009年10月09日

EUローマAAR連載第5回「外征準備」

アドヘルバル(人民主義)続き
続きといってもあまりトピックは無い。先代のスフェットが亡くなったことくらいかな。

532年1月〜534年1月 アッバール・ミルキラミス(商業主義)
まず532年6月、サグントゥムの入植が終了し「サグントゥムを支配下に入れる」ミッションが終了する。

そして次に与えられたミッションがいよいよ「ローマを打ち破る」というミッションだ。軍備をそろえて準備を整えておこう。

もう一つのトピックが533年5月、「殖えよ、地に満てよ」の原理を発見した事。これは人口増加率を上昇させるもので今後の入植発展をさらに推し進める事となるだろう。

534年1月〜536年1月 ボオデス(人民主義)
人民主義者ボオデスの第二次政権は「市民権」を廃止して、「職業軍人」を採用する。

戦闘準備ということを考えれば、決して間違った選択とは思えない。

この時期のトピックは535年12月、「鉱業」の原理を発見した事にある。鉄、石、塩を産出するプロヴィンスに鉱山を設置できるようになる。鉱山を設置するとそのプロヴィンスの税収が増加する。(農産物を産出するプロヴィンスには潅漑地がそれに相当する)

536年1月〜538年1月 バール・ガレスティス(人民主義)
人民主義政権が続く。ここでのトピックは次々とスフェット経験者が亡くなった事かなぁ。

537年4月 ボスタル・マタニス
537年6月 ボオデス
537年11月 アドヘルバル
アドヘルバルにはもう1回くらい政権を担って欲しかった。

538年1月〜540年1月 ボミルカル・アフミス(軍事主義)
540年1月〜アブドメルカルト・タウタリス(宗教主義)

特筆すべき事は無し。




こうやって進めている間に戦争への準備は着々と進めている。陸軍は通常編成8、機動1の計9個軍をそろえ、海軍も99隻を数える。数は十分だろう。だが指揮官の質についてはいまいち。いささか不安な面はあるが一応外征への準備はほぼ整ったと言って良いと思う。


さて、外征に移ると一言で言っても、方向はいくつかある。
・イベリア半島のケルト人部族掃討
・ミッションに従ってローマと交戦
・陸路を通ってエジプトに侵攻
・海路を通ってギリシャ、小アジア方面への侵攻

540年時点でのイベリア半島
一番簡単なのは当然イベリア半島のケルト人部族掃討だ。ルシタニアは2プロヴィンス持っているので1度では潰せないが、これも平和条約失効後に侵攻すればいいだけの話。10年あれば全作戦を完了できるだろう。

これをまず片付けるとしても、その後どうするか?この辺はあと10年見てからだな。

2009年09月26日

EUローマAAR連載第4回「宗教主義者たちの油断」

では早速続きを。

ハンニバル(宗教主義)の続き
ミッションはEU3のような放棄はできないが、期限が設定されている。今回の南イベリア植民ミッション(オレタニ、キネテス両プロヴィンスの植民)は503年末までが期限だ。今が501年、ミッション期限まで秒読み段階に入ったといえる。

トライ&エラーをしたり色々と計算した結果、多少運の要素はあるが、ミッション達成は可能であるという結論に達した。

植民の為にはまずプロヴィンス内の蛮族勢力を減らす必要がある。軍団が蛮族のいるプロヴィンスに進入すると蛮族軍が暴発する事があるのを利用して、オレタニに軍団を移動させる。

その際、入植の基点となるトゥルデタニにも1個軍を配備する。これは打ち破った蛮族軍がトゥルデタニに侵入することを防ぐ為だ。(当然のことではあるが、攻囲されたプロヴィンスでは人口の増加率が減少する)

501年2月、オレタニに侵入したカルタゴ軍を蛮族軍が迎え撃つ。だが文明化、組織化されたカルタゴ軍の敵ではなかった。

時期は次のスフェットの時期にまたがるけど、トゥルデタニの文明度が50%となるのを待ってオレタニに入植を開始。

501年2月〜503年2月 ハスドルバル・ボスタリス(宗教主義)
彼の仕事は何か新しい事を始めることではなく、現在の状況を維持する事にあてられた。

ここで語るべき事はオレタニと同様の行動をキネテスにも実行し、入植の礎を築いた事くらいか。

503年2月〜505年2月 ボスタル・フィロシリス(宗教主義)

503年5月、南イベリア入植ミッションが成功する。

これ以降しばらくの間「○○に神殿を建設せよ」というミッションが続く。

宗教主義派議員たちはこの圧倒的な議席数による権力でわが世の春を謳歌していた。彼らは迫り来る危機に気付こうともしていなかった。

だが彼らは気付く事になる。自分たちの中にスフェットになり得べき人材がいないということに。

その事態に目を付けた者たちがいた。人民主義者たちである。


505年2月〜507年2月 パルティバール・バルキス(人民主義)
こいつは人民主義者のうえに能力値がこんな↓
パルティバール・バルキス
なのでEU名物反乱祭りが引き起こされる事になる。安定度が高いおかげで祭りといっても十分対処可能な規模で収まったが。(EU2AC日本プレイでの反乱祭りはまさに地獄)

それにしてもこいつが選んだ国策がよりにもよって「神格化」だったのは能力の無い奴が「オレは神だ!」とわめき立てるシーンを想像して妙に笑ってしまった。もうちょっと裏読み妄想すると宗教主義派が無能力な彼をそそのかしてこのような話をぶち上げたとも考えられる。

505年8月、マグナ・グラエキアから逃れてきてスフェットまで登りつめたアウルス・トゥッリウス・グラックスが亡くなる。

彼はスフェットから退いた後、騎兵軍を率いてアフリカ入植地域の蛮族と戦い続けた。死ぬ間際まで前線を離れる事をしなかった彼に親愛の情を抱いたものも少なくなかったという。


機動軍を率いて縦横無尽。場所が場所だけに「ロンメル」ってあだ名をつけたくなった。

507年2月〜509年2月 ハンニバル・バルキス(人民主義)

人民主義が続く場合はスフェットが変わっても国策変更は無い。

前の奴よりは多少能力値はまし。


509年2月〜510年3月 ハスドルバル(人民主義)
アグバル・バルキスの跡を継いだ人民主義派のリーダーがここでスフェットとなる。能力自体は平均的で見るべきところはない。

そんな彼も就任1年余りで病に倒れ、帰らぬ人となった。

510年3月〜512年3月 ボオデス(人民主義)
その跡を継いだのは能力値がパルティバール・バルキスよりちょっとまし程度のこの男だった。

彼が何もしない事が国のためになったって事で。

512年3月〜514年1月 ハンニバル(宗教主義)

度重なる人民主義派のスフェット就任に業を煮やした宗教主義派だが、結局新たな人材を見つけることができずリーダーであるハンニバルが4度政権を担う事となった。

その彼も寄る年波には勝てず、514年1月に60年の生涯を閉じた。マクシタニ戦争のきっかけを作り、宗教主義派の隆盛を築いた彼の事を後の人はどう評価するのだろうか?


南イベリアの植民ミッション達成後も折に触れて植民地を拡大してきた。第4時ハンニバル政権の時期、我が国に「サグントゥムを支配下に入れる」というミッションが与えられる。


サグントゥム・マップこれがイベリア半島南東部の拡大マップである。白い部分がサグントゥムだ。

サグントゥム・データ
そしてこれがそのサグントゥムプロヴィンスのデータ。蛮族の支配地にしてはやたらと文明度が高いのがわかると思う。

南のコンテスタニはつい一月前に植民地が完成したばかりで人口も文明度も最低限しかない。ミッションの期間は10年あるがまあ無理だろう。一応努力はするけどね。

514年1月〜516年1月 アドヘルバル(人民主義)
ハンニバルの死後政権を握ったのは人民主義派のアドヘルバルだった。

彼はまず過去の人民主義政権(特にパルティバール・バルキス)を批判し、パルティバール・バルキスの唱えた神権論を明確に否定した。

そして政治体制を正常に戻す事を念頭にさまざまな改革に取り組んだ。それは各所で軋轢を生むことになったが、おおむね成功したといえる。

脳内補完的に書けばこうなる。「神格化」を「市民権」に戻したのはナイス。やりたくても社会主義派が弱くてできなかったのよねぇ。

第1次アドヘルバル政権でのトピックは2つ。
一つ目は514年9月にローマからマニウス・ポンポニウス・マトが亡命してきた事。総督を希望したんで叶えてやったら次の野望が「統治者になる」だったのでなんて大胆な野郎だなんて思ってしまった。

二つ目は南部地域で最後まで残っていた未入植地モーリタニアの植民が終わった事。

516年1月〜518年1月 ハスドルバル・ボスタリス(宗教主義)
また宗教主義派が政権を握る。

政治的に大きなトピックは無いが、516年11月にハンニバル・バルキスが老衰でこの世を去る。この後立て続けに人民主義派のスフェット経験者が黄泉路へ旅立つ事になる。


518年1月〜520年1月 マゴ・アヒロミス(人民主義)
開始早々牢屋へぶち込んだマゴ・アヒロミスがついにスフェットの座に就く。彼は組織的採用を「騎兵重視」に切り替える。

目立つ活躍は無し。あと519年7月、パルティバール・バルキスが老衰で亡くなる。

520年1月〜522年1月 ハスドルバル・ボスタリス(宗教主義)
ハスドルバル・ボスタリス第3次政権である。
ここも動かなかったので政治的なトピックは無いが、520年2月、先代のスフェットであったマゴ・アヒロミスが72歳で死亡する。

522年1月〜524年1月 ボスタル・マタニス(社会主義)
宗教主義、人民主義以外から久しぶりのスフェット誕生である。491年のバール・バールハニス以来の社会主義派スフェットである。

この時期はミッション関係のトピックが多い。

523年2月には「サグントゥムを支配下に入れる」が時間切れ。ペナルティは多少有ったがまあ仕方ない。

523年11月に与えられたミッション「異端者を公職から排除せよ」は条件がちょっと飲み込めずに人事が少し混乱してしまった。


それに関連して以前述べたローマからの亡命者マニウス・ポンポニウス・マトが523年9月に亡くなった。おそらく彼も条件の一人だったのだろう。

524年1月〜526年1月 ボミルカル・アフミス(軍事主義)
軍事主義派もアウルス・トゥッリウス・グラックス以来のスフェット就任になる。ここで大きなトピックは2つある。

一つ目が525年3月、スクリボニウス・ナシカが死亡したことで先のミッションが達成できてしまった事である。ま、偶然に助けられたと言って良いんだろうな。ちなみにスクリボニウス・ナシカはカンタブリ族最後の生き残りである。

二つ目が526年1月、法案:「シヴィタス・デセス法」を可決した事である。この法案を可決する事で自由民から市民への格上げが制限されるが重歩兵の規律が上昇する。市民権のおかげでどうしても自由民が不足しがちになる。自由民の不足は人民主義を活気づけるので自由民不足解消の足しに少しでもなればと思って法案を通した。重歩兵の規律上昇もこの後に来る戦いのことを考えれば十分メリットはある。

ちなみに法案を可決すると安定度は1下がる。

526年1月〜528年1月 ハミルカル・フィロシリス(宗教主義)
ここで宗教主義が政権の座に返り咲く。トピックとしては3度政権を担った宗教主義派の重鎮ハスドルバル・ボスタリスが526年10月になくなったことくらいだろうか。

528年1月〜530年1月 ハスドルバル・ナラヴィス(宗教主義)

528年8月再び「サグントゥムを支配下に入れる」ミッション発動。今度はしくじらないぞ。

530年1月〜 アドヘルバル(人民主義)
再びアドヘルバルが政権の座に返り咲く。今回は「職業軍人」をはずして「関税」を国策に採用する。彼は今回もまた寡頭共和制の条件通りに戻したのだ。しかも関税は技能レベルが上昇した事で採用できる新しい国策だ。関税という名でわかるとおり交易収入を増加させる。「シヴィタス・デセス法」のおかげで重歩兵の規律に関してはそう神経質になることはないので「職業軍人」をはずす判断も間違っていない。

本当にこの男は人民主義派なんだろうか。







ゲームにもいい加減慣れてきたので次回以降、外征に移る準備を始める予定。

追記

2009年09月21日

EUローマAAR連載第3回「宗教主義の勃興」

まずは国策を選ぶ。まずは前回の初期戦略どおり「騎兵重視」、「組織的採用」を選ぶ。もう一つは「市民権」を選んだ。「市民権」は市民政策の一つで軍の人的資源を司る自由民を研究を司る市民に格上げするものだ。

ここでミッション「南イベリアを植民地化する」が与えられる。このミッションの達成のためにはイベリア半島にあるバステタニ、トゥルデタニの両プロヴィンスの文明度を50%まで引き上げる必要がある。そのために交易を使うのだ。

ここからは各スフェットごとに項目分けして書いていきたい。(以下の年号はゲーム中で使われているローマ紀元暦AVC)

474年〜475年5月 ハミルカル(商業主義)
まずはマゴ・アヒロミスという人物を逮捕した。この人物は軍事8、カリスマ7という人民主義派の大番頭的な存在だ。アグバル・バルキスを排除してもこの男が活動し続ける限り、人民主義派は危険なままだ。

475年5月〜477年5月 ハンノ・マタニス(社会主義)
ようやく人材の再配置ができるようになってくる。将軍や提督になれるのはスフェット経験者(現役含む)か元司法官だけなので、司法官にはなるべく軍事能力の高い人物を配する。

477年5月〜479年5月 ハンニバル(宗教主義)
このハンニバル第1次政権は取り立て見るべき所なく平穏無事に過ごす事になった。

479年5月〜481年2月 アグバル・バルキス(人民主義)
努力むなしく人民主義政権が誕生する。人民主義派のいやなところは勝手に国策を変えてしまうところだ。今回は「騎兵重視」を「国家の信仰」(吉兆効果を上げる)に変えた。

ここでちょっとロールプレイ的発想をしてマゴ・アヒロミスを釈放する。

ところが481年2月末、アグバル・バルキスは老衰で死去。その後人民主義派閥を引き継いだのはマゴ・アヒロミスでは無く、ハスドルバルという人物だった。このハスドルバルはカリスマもそれほど高くなく、人民主義者たちを率いるには力量不足であった。ここに人民主義者達の没落は決定付けられた。
投獄したり、評判を貶めたりした結果なんだよね、これは。

481年2月〜483年2月 ボミルカル・エシュバリス(宗教主義)
人民主義派から政権を奪ったのは宗教主義派だった。ここから宗教主義派の大躍進が始まる。

ここでのトピックはなんといっても対カンタブリ戦だろう。カンタブリというのはイベリア半島北部に存在する部族国家だ。1プロヴィンスしか持たないその国を攻撃した理由はたった一つ、そのカンタブリの産物が鉄だったからだ。

上陸戦だったが取り立てて苦労する事も無く482年1月、カンタブリとの戦いは完全併合で幕を閉じる。ま、遠出した艦船をしまい忘れて、全滅させるような痛いミスはしたけれど。族長も捕らえたが人民主義だし、能力もぜんぜんだめな人だったので投獄したまま放置。結局族長はそのまま獄死したようだ。

カンタブリとタプススという塩(連隊編成速度を上昇させる)を産出するプロヴィンスとの交易ルートに組み替える。それから順次民兵部隊を重歩兵部隊へと切り替える。ただ一部の民兵部隊はカンタブリ防衛戦力として総督管轄下におく。

483年2月〜485年2月 カルタロ・エウゴリス(軍事主義)
人民主義以外の4派はそれぞれに対応する国策に変更するとき安定度の低下をもたらさない。軍事主義が政権を握った事で人民主義によって変えられた国策を戻す事ができる。だが鉄が手に入った今、重視すべきは重歩兵だ。したがって国策は「職業軍人」を選び重歩兵の規律を上昇させる。

彼がスフェットの時代、イタリア半島ではマグナ・グラエキアがローマ軍によって陥落。

この混乱から逃れたアウルス・トゥッリウス・グラックスという人物が我が国に保護を求めてきた。この人物が後に政治の表舞台に立つとはこの時誰も予想していなかった。


ボドメルカルト・ミルキラミス(商業主義)
トピックとしては技術レベルが上がり始めたって事かな。基本的に技術レベルそのものにはあまり意味は無い。技術レベルが上がるとおきる原理の発見が重要なのだ。この辺は「ヴィクトリア」に近い。

「建設」技術が上がった事で色々と施設が作れるようになったが、月収入が3〜5くらいで1つ作るのに40〜50かかるから、まあ大体1年に一つ作れればいい方。

ハンニバル(宗教主義)
第二次ハンニバル政権はアフリカ南部未入植地域

アフリカ南部未入植地域
に入植すべく軍を進めた。大体は目論見どおりに進んで、これらの地域への入植は完了したのだがその副産物として現れた蛮族の軍勢にタプススを占領され、あまつさえ首都カルタゴへの侵入を許してしまった。

カルタゴからは何とか蛮族軍を撃退したが、タプススを占領した蛮族はそのままそこに新たな国、マクシタニを建国したのである。

この状態を放っては置けない。安定度が下がるのを覚悟で宣戦布告に踏み切った。

489年2月〜491年2月 ハミルカル(商業主義)
489年3月、カルタゴ軍はマクシタニ領タプススへ侵攻。その戦いでカルタゴ軍は手痛い敗北を喫し、カルタゴへと退却した。それを追撃したマクシタニ軍はカルタゴを包囲、489年6月、ついにカルタゴは陥落する。

カルタゴは後方にいた部隊を動かし、タプススに侵攻する。マクシタニ軍はあわてて引き返したが、時すでに遅し。先の戦いで士気も兵力も失っていたマクシタニ軍はその戦いで敗北する。シチリア島守備軍もカルタゴに逆上陸。489年7月、カルタゴ軍はカルタゴを奪還した。同年8月にはタプススも落城し、マクシタニは建国1年にも満たずに消滅した。

この戦争について前スフェットであるハンニバルの責任を問う声も聞かれたが、すでに元老院で圧倒的な議席を確保している宗教主義派(ハンニバルはそのリーダーである)はそれらの声を押しつぶした。

これが戦いの顛末である。このマクシタニ戦争(命名:筆者)は筆者が敵戦力を良く確認もせずに突っ込んだことに問題があった。その為に1個軍が消滅する憂き目にあってしまった。

そしてこの戦争の間、何者かがかつてのスフェットで社会主義派の重鎮ハンノ・マタニスを暗殺した。犯人はおそらくエジプトではないかと推測している。証拠が無いのでどうする事もできなかったが。

491年2月〜493年2月 バール・バールハニス(社会主義)
これ以降はある程度の蛮族対策はしていたので、燃え広がる前に鎮圧できた。

491年10月、シチリア総督アミテロス・アフミスを暗殺したかどでエジプトのフィロンが捕らえられた。そのままフィロンは投獄される事となった。これでエジプトと開戦する為の口実はできたが、敵に対する強襲上陸を行なえるほどの海軍力は無い。陸軍で正面きって殴り合うのもごめんこうむる。今回は投獄するだけで済ませておいた。

そして492年7月、軍事主義派のリーダー、カルタロ・エウゴリスが亡くなる。その後を引き継いで軍事主義派のリーダーとなったのがマグナ・グラエキアから逃れてきたアウルス・トゥッリウス・グラックスであった。

493年2月〜495年2月 ボスタル・フィロシリス(宗教主義)
残っていたアフリカ地域の入植もこの頃完了。この時期の元老院はすでに宗教派が圧倒的勢力を誇っていた。

495年2月〜497年2月 マッタン・バールハニス(宗教主義)
宗教主義から2代続けてスフェットを出す事となった。

トピックとしては495年4月、最初のスフェットだったハミルカルが老衰で亡くなったことだろうか。

497年2月〜499年2月 アウルス・トゥッリウス・グラックス(軍事主義)
史上初めてフェニキア人以外からのスフェット就任である。

この時、捕らえていたフィロンを釈放する。

彼の目的はローマで投獄されていた友人を救う事だったが、それはひとえにローマと戦う事だ。今の段階ではまだローマとは戦えない。

499年2月〜 ハンニバル(宗教主義)
ハンニバルの第3次政権である。まだ取り立てて語れる事は無い。








501年1月現在の元老院議席
民主党もびっくりな宗教主義派の議席獲得数である。

501年1月現在の元老院議席2
数字として表すとこんな感じだ。宗教主義派が全議席の4分の3を占めている。スフェット候補も全員宗教主義派から選ばれている。それこそ宗教主義派内での派閥抗争といったところか。

次回はそんな状況からのスタートとなる。
追記