2016年05月18日

久々のEU3

「マスケティアーズ」に刺激されて、EU3日本語版をウィンドウズ10動作チェックも兼ねてフランスで完走。久々だったけどやっぱり楽しいわ。EU4は一応持ってはいるけど、あまりやらないなぁ。ウインドウズ10での問題も確認できず。

AARをやるつもりでプレイしてなかったので、記録は取ってません。

2010年08月11日

EU3AAR連載第4幕第7回「復活のローマ帝国」

最終回はいつもの年表形式ではなく、軽く流す感じで。

1762年1月、ヘッセンは加盟各国に不上訴特権の廃止を提議した。グルノーブルで行われた帝国議会における採決の結果は賛成16票、反対7票で加盟各国の不上訴特権は廃止された。これにより帝国に加盟する各国は皇帝への絶対の忠誠を要求されることになる。

ほとんどの国は皇帝への忠誠を認めたがデンマークとバーデンの2カ国は皇帝への忠誠を拒否した。これによりヘッセンはデンマークおよびバーデンと戦争状態へと突入する。(ちなみにデンマークは先の投票では賛成票を投じている)

デンマークには同盟国のノルウェーが、バーデンにはバーデンの同盟国であるオーストリアとバイエルンが我が配下であるにもかかわらず参戦した。

バーデンもデンマークも所詮帝国の敵ではなかった。
1762年6月にバーデンと同年12月にはデンマークと和平を結び、この戦争は終結した。このとき領土をいくらか獲得してそれらのプロヴィンスを神聖ローマ帝国に加盟させて皇帝の権威を高める。

それからミュンスターを独立させる。こうすることでさらに皇帝の権威は高まる。

こうした準備が整った1763年7月、我が国は帝国復興のための議会をフェラーラで開催する。

結果は
賛成17票(コルシカ、アンハルト、アンスバッハ、ボヘミア、ブレーメン、マインツ、マイセン、ミュンスター、ヴュルツブルク、ヴュルテンベルク、アクイレイア、教皇領、シエナ、トスカナ、ウルビーノ、ブラバント、フリースラント)

反対6票(ホルシュタイン、クールラント、フランス、オーストリア、メクレンブルク、ピサ)
で神聖ローマ帝国は皇帝を中心とした統一国家として生まれ変わることになった。

神聖ローマ帝国成立
ヨーロッパ中央部、灰色の部分が神聖ローマ帝国の領土だ。当然これ以外に海外の植民地も持っている。

これ以降は各所での反乱をプチプチとつぶしたり(手の出せないような植民地の反乱は一部無視したが)、バーデンやウクライナなんかにちょっかいを出したり、帝国内の未カトリック州の改宗なんかをした。












とりあえず第4幕もここで終幕。ではいつもの通り反省会だ。

年表形式はやはりだらだらした感じになるというのは今回特に感じたことだ。年表は最後に大まかな流れを描くときのみに抑えたほうがよさそう。AAR記載の反省点はこんなところかな。

正直な話をすると神聖ローマ帝国の復興までいけるとは思ってなかったんで、ゲーム的には今回できすぎな感じ。

次回以降はどうしようか。その辺はいろいろと考えてからだな。

2010年07月05日

EU3AAR連載第4幕第6回「帝国は蘇るか」

飛躍的に領土を拡大し、権威を得た我がヘッセンは皇帝の地位をより強固にするためにさまざまな改革に乗り出すこととなった。今回はその辺を中心に追いかけていこう。

1702年1月 施政方針:宮廷裁判所の改革。
1702年1月 「シュトラールズント議会」

これは皇帝が帝国を改革するために発動する動議だ。加盟各国はこの改革に賛成か反対かを投票することとなる。

その投票の結果、賛成12、反対9で宮廷裁判所の改革は実行される事となった。

1703年7月 マインツに対してヘッセン-マインツ名誉戦争を開始。
1703年8月 マインツが和平提案を受諾。

1703年11月 対バイエルン、デンマーク戦を我が国が主導。
1704年3月 デンマークがウィダを奪取。

1704年12月 マグデブルクが和平提案を受諾。
1704年12月 ハンブルク、メクレンブルク、マイセンがマグデブルクからの独立を宣言。

1704年12月 対教皇領、コルシカ戦を我が国が主導。
1705年11月 我が国がメクレンブルクの側に立ってアンハルトに宣戦布告。
1705年11月 バーデンがアンハルトの側に立って対メクレンブルク、ヘッセン戦に参加。

1705年11月 ユトレヒトがアンハルトの側に立って対メクレンブルク、ヘッセン戦に参加。

まあこの辺の戦争も大きな問題なく進んだ。

1708年10月 施政方針:一般税の制定。
1708年10月 「コペンハーゲン議会」

今度は加盟各国に一般税を求めるものだ。
結果は賛成16、反対12。

1710年2月 対ブラバント戦を我が国が主導。
1711年6月 我が国がハンブルクの側に立って対マグデブルク戦を主導
1712年7月 マグデブルクが我が国の寛大な和平提案を受諾。
1712年7月 ブレーメンがマグデブルクからの独立を宣言。

1715年2月 我が国がウルビーノの側に立って対教皇領戦を主導。
1715年10月 教皇領が和平提案を受諾。

1717年3月 我が国がシエナの側に立って対シチリア戦を主導
1719年3月 シチリアが和平提案を受諾。
1719年3月 トスカナ、ピサがシチリアからの独立を宣言。

先の戦争でもそうだができる限り独立を認めることで皇帝の権威はさらに上がる。それだけではなくこの戦争で我が国は南イタリアの一部を領土とする。

1721年1月 施政方針:永久ラント平和令。
1721年1月 「ニース議会」

永久ラント平和令は加盟国間同士の大義名分を無効にするものだ。

結果は賛成15、反対11。

1724年7月 カメルーンへの植民成功。
1725年1月 イベント:「奴隷」発生。


1729年9月 施政方針:帝位世襲制の宣言。
1729年9月 「リューネブルク議会」

ついに選帝侯の地位を廃止し、帝位を世襲制へと移管するための動議を発動する。

結果は賛成16、反対11で帝位はヘッセンの君主が世襲で担うこととなった。

1731年1月 総督制度を「国策」に採用。
1739年10月 大陸軍を「国策」に採用

この頃から「神の福音」や「国立銀行」などをもっと役に立つ国策へと切り替えていく。

1742年12月 イベント:ヘッセンが「境界線をめぐる争い」において「あくまでも領有権を主張しよう」を選択。
1743年1月 我が国がシチリアに対してパレルモ再征服を開始。
1743年10月 シチリアを併合

これでシチリアに止めを刺した。

1746年1月 ウィルヘルム 1世 キルコフ(6−8−5)が我が国の新たな元首に。

1756年2月 アンスバッハを属国化。

1757年4月 ブルターニュの側に立ってティムール、ブルネイに宣戦布告。

1759年2月 大海軍を「国策」に採用。











さて次回はいよいよ最終回。真の帝国復興まであと一息というところまでたどり着いた。果たして帝国の復活はなるのだろうか?

2010年06月07日

EU3AAR連載第4幕第5回「皇帝は海を渡る」

さて、17世紀だ。神聖ローマ皇帝の地位を手に入れた我がヘッセン。ある幸運によって大きく揺れ動く事となる。

1606年2月 摂政評議会の統治。
1606年2月 神聖ローマ帝国がアドルフ 1世を皇帝に選出。

1614年10月 アドルフ 1世 フォン・ツヴァイブリュッケン(4−7−8)が新たな元首に。

1621年7月 ミラノの側に立ってヴェネツィア、サルデーニャ、ヴュルツブルクに宣戦布告。

1621年8月 イベント:「ラグーザの帝国加盟」が発生。
神聖ローマ帝国への加盟国が領土を拡張すると、プロヴィンス単位で神聖ローマ帝国への加盟を申請する事がある。

1627年4月 ミラノの側に立ってアクイレイア、マントヴァに宣戦布告。

1631年5月 マグデブルクの側に立ってバーデン、イギリス、ブレーメンに宣戦布告

1633年9月 統一的交易方針を「国策」に採用。
経済関係よりも軍事関係の方が良かったかもしれない。

1631年9月 ミラノの側に立ってブルターニュ、ヴェネツィアに宣戦布告。
1633年10月 オーストリアの側に立って対クリミア、ノガイ、シビーリ戦を主導。


1635年11月 我が国がフランスの側に立ってオーストリアに宣戦布告。

1636年9月 オーストリアが我が国の寛大な和平提案を受諾。
1637年2月 ミラノとの同盟を解消。

オーストリアと和平をした直後にミラノから対オーストリア戦への要請がある。

だけどこれは断るべきだろう。「国威」も問題ないし。

1637年5月 バイエルン、チロル、スティリア、ボスニア、アテネ、クロアチア、モルダヴィア、クレーフェがオーストリアからの独立を宣言。
フランスとの戦いの結果、オーストリアは多くの国家を独立させた。これは皇帝たる我が国にとって大いなるメリットでもある。

1646年12月 バイエルンに対する大義名分「再征服」を獲得。
1646年12月 バーデンに対する大義名分「再征服」を喪失。

プファルツの所有権がバーデンからバイエルンに移る。当然の事ながら大義名分もバーデンからバイエルンに移る。

1647年12月 ルードヴィヒ 2世 キルコフ(5−3−3)が我が国の新たな元首に。
1647年12月 神聖ローマ帝国がルードヴィヒ 2世を皇帝に選出。

ツヴァイブリュッケン家は絶え、キルコフ家がヘッセンそして神聖ローマ皇帝の地位へと就く。

1650年3月 摂政評議会の統治。
1650年3月 神聖ローマ帝国がカール 1世を皇帝に選出。


1657年5月 オルデンブルクの玉座を継承。
1662年1月 アラゴンの玉座を継承。

ここで立て続けに継承が起こる。オルテンブルクの継承により海に面するプロヴィンスを手に入れた。

アラゴンの継承は今までに無い規模の継承劇だ。

1662年12月 カール 1世 キルコフ(5−6−8)が我が国の新たな元首に。

1663年1月 バイエルンに対して第3次プファルツ再征服を開始。
1664年3月 バイエルンが我が国の寛大な和平提案を受諾。
1664年3月 アンスバッハがバイエルンからの独立を宣言。
1664年5月 バイエルンに対する大義名分「再征服」を喪失。

この戦争も全く問題なし。

1664年12月 黄金海岸の先住民が植民地を襲撃。
アラゴンから継承した黄金海岸をここで失う。

1667年3月 施政方針:ピレネーにて神聖ローマ帝国への加盟を決定。
我々が継承した旧アラゴン領も次々と神聖ローマ帝国の版図とみなされる。

1668年9月 オルデンブルクが改宗。

1670年12月 アンスバッハの側に立って対バイエルン戦を主導。
1671年9月 バイエルンが我が国の寛大な和平提案を受諾。


1674年1月 我が国がユトレヒトに対して侵略戦争を開始。
オルテンブルクの継承によって海に面するプロヴィンスを手に入れたものの、首都とつながっていないために新世界への入植ができない状況にある。

この戦争の目的はオルテンブルクとヘッセンを陸続きにすることにある。幸いユトレヒトは目立った同盟を結んでいない。開戦理由は無いが、安定度−2のペナルティはたいした問題でもない。

1674年8月 摂政評議会の統治。
1674年8月 神聖ローマ帝国がカール 1世を皇帝に選出。


1675年7月 ユトレヒトが和平提案を受諾。
1675年7月 ホラントがユトレヒトからの独立を宣言。

この戦争はほぼ思うとおりに推移して、オスナブリュックを取り、オルテンブルクとヘッセンは陸続きになる。ついでにホラントを独立させ皇帝の権威をさらに増した。

入植を進めるために国立銀行あたりを新世界の探索にシフトすることも考えたが、もう少しで新しい国策を取れそうなのでここはじっと我慢することにした。

1684年9月 新世界の探索を「国策」に採用。
1685年4月 ウィダへの植民成功。
1685年5月 モスキートへの植民成功。
1685年11月 バハマへの植民成功。

「統治」技術が上昇し、ついに新世界への入植準備は整った。

早速カリブ海(バハマ)、アフリカ(ウィダ)、中南米(モスキート)へと入植者を派遣する。

1685年8月 サルハンがヘッセンからの独立を宣言。
サルハンは小アジアにある。ここも旧アラゴン領だったが反乱鎮圧か困難なので独立させることにする。

1686年5月 カイエンヌへの植民成功。
1686年11月 ウィダの先住民が我が国の植民地を襲撃。

カイエンヌは南米。ウィダはこの後も原住民に襲われる。

1687年3月 カール 1世 キルコフ(5−7−5)が我が国の新たな元首に。

1687年12月 オスナブリュックが改宗。

1688年12月 スリナムへの植民成功
1688年12月 トゥクジュランディアへの植民成功。

スリナム、トゥクジュランディアは共に南米。

1692年8月 イベント:「コーヒー」発生。
「インノミネ」から入植した時点では特産品が何になるのかがわからないようになった。

入植地がある程度発展するとこうやってイベントが起こり交易品が明らかとなる。

1694年3月 バレアレス諸島が改宗
これで再び新教徒の改宗が終了した。

1694年12月 イベント:「砂糖」発生。
1695年1月 イベント:「艦船用装備」発生

カイエンヌでは砂糖がトゥクジュランディアでは艦船用装備が交易品となる。艦船用装具工場にボーナスが付く艦船用装備がきたのはうれしかった。

1695年11月 イベント:「黄金」発生。
スリナムで黄金が産出される。経済的には黄金に頼るまでも無いが、なんとなくうれしかったり。

1699年12月 シエナが教皇領からの独立を宣言。
1701年2月 ヘルダーラント、ブラバントがユトレヒトからの独立を宣言。










オルテンブルク、アラゴンの継承によって領土を飛躍的に拡張した我がヘッセン。神聖ローマ皇帝はその名にふさわしい権威を得ることができるのか。残りは約120年。

2010年05月25日

EU3AAR連載第4幕第4回「宗教改革を乗り越えろ!」

この100年、戦争したり皇帝になったりいろいろな事があった。

そんな中、わが国を襲った出来事がある。それが宗教改革だ。今回はそんな宗教改革と一つ取り上げ忘れた事があったのでそれを追いかけていきたい。

1506年12月 ミュンスター 改革派
1507年6月 トリアー プロテスタント
1509年3月 コブレンツ 改革派
1510年1月 ナッソー 改革派
1510年4月 ミュンスター 改革派
1517年6月 ナッソー 改革派
1518年5月 テューリンゲン 改革派

各所で宗教改革の影響が始まっている。それに対して我が国は宣教師を各所に送り込んで対応する。

1521年5月 コブレンツが改宗

1521年12月 コブレンツ プロテスタント
1527年5月 ミュンスター 改革派

改宗した先からこれだよ・・・

1528年4月 トリアーが改宗
1532年8月 コブレンツが改宗

それでもあきらめずに改宗を続ける。

1533年6月 神の福音を「国策」に採用
そんなことをしているうちに宣教師の数が足りなくなってきたので国策に「神の福音」を選んで対応する。

1534年3月 ナッソーが改宗
1535年9月 ミュンスターが改宗
1538年2月 ミュンスターが改宗


1538年12月 宗教的内戦において「寛容な社会を築くために努力しよう」を選択

1543年6月 ヴォルムスが改宗
1550年2月 テューリンゲンが改宗


1550年6月 宗教的混乱が収束
かくて宗教的内戦の効果は消え、我が国は宗教改革の嵐を乗り切ったのだ!

1571年5月 トリアー プロテスタント
と、思ったら思い出したかのようにトリアーの宗教が変わる。

1575年7月 ヘッセンに交易中心地を設置
前回書き損ねたのがこれ。これで国内流通を我が国が握ることができる。

1594年12月 トリアーが改宗
20年以上かかったけど、大きな混乱も無くトリアーの改宗も終了。



次回からは通常通り進めていく。

2010年05月20日

EU3AAR連載第4幕第3回「皇帝の座」

1502年1月 リューネブルクが我が国の影響圏に入る
1502年1月 ハーガン・ミュンゼンがミュンスターに到着

この二つは前回紹介し損ねた「エア トゥ ザ スローン」の新要素になる。影響圏は全くの新概念で、影響圏下にある国家にちょっかいを出した国に対して大義名分が得られるようになる。

宮廷顧問は今までだと運に頼らざるを得なかったが、今回の拡張によって文化的伝統の数値を消費することによって好きな宮廷顧問を作り出す(見つけ出す)ことができるようになった。

1502年4月 摂政評議会が現在、我が国を統治

1502年8月 我が国がボヘミアの側に立ってフリースラント、ブラウンシュバイクに宣戦布告
1505年12月 我が国がボヘミアの側に立ってリトアニア、ハンガリー、ブルターニュ、アラゴンに宣戦布告


1516年6月 クリスティアン 1世 フォン・メクレンブルク(3−7−8)が我が国の新たな元首に

1521年1月 プファルツに対してヘッセンによる第2次プファルツ再征服を開始
1521年1月 ボヘミアが我が国の側に立って対プファルツ戦に参加

この対プファルツ戦は徹底的に押し込んだが、戦争目的であるプファルツの割譲は果たせず。(首都なので割譲不可)その代わりバーデンを独立させることとしたが、バーデンはプファルツを飲み込んで大きくなってしまった。

1530年1月 神聖ローマ帝国がヘッセンのクリスティアン 1世を皇帝に選出
ヘッセンがついに神聖ローマ皇帝の座に就く。

1532年9月 対教皇領戦を主導
1532年9月 我が国がモデナの側に立って教皇領に宣戦布告


1533年6月 神の福音を「国策」に採用
荒れ狂う宗教改革の嵐に対抗するためにはどうしても宣教師が必要だったので今回は「神の福音」を取る。

1534年1月 アンスバッハを長とする人的同君連合の下位構成国になる
フォン・メクレンブルク王朝はついにここで絶えてしまった。神聖ローマ皇帝の座からも滑り落ちることになる。

1535年7月 教皇領が我が国の寛大な和平提案を受諾
今回から戦争において「敗北を認める」という新しい和平のオプションができた。こちらの国威を消費し、相手の国威を上昇させるだけのものだ。

1556年5月 フィリップ・ルートヴィヒ1世 フォン・ツヴァイブリュッケン(8−5−5)が我が国の新たな元首に。
1556年5月 アンスバッハとの人的同君連合を解消

メクレンブルク王朝に取って代わったのはツヴァイブリュッケン朝だった。

1556年10月 イベント:我が国で「俗世の罪」が発生
1556年10月 フィリップ・ルートヴィヒが新たな継承者に

このイベントは「クルセイダーキングス」でいうところの
美しい村娘が目にとまりました。どうしますか?

獣欲に身を委ねる

私生児

って感じのイベント。

1562年7月 フランスを下位構成国として人的同君連合を形成
1562年7月 神聖ローマ帝国がヘッセンのフィリップ・ルートヴィヒ1世を皇帝に選出
1562年8月 フランスが我が国との同盟を解消
1562年12月 フランスがフランス-ヘッセン帝国主義戦争を開始
1562年12月 マグデブルクが我が国の側に立って対フランス戦に参加
1562年12月 ミラノが我が国の側に立って対フランス戦に参加

フランスを人的同君連合の下位構成国にしたまではよかったのだがそれが一代限りで終わり、帝国主義戦争に持ち込まれてしまった。当然フランス相手では徹底的に押し込まれた。

1563年3月 摂政評議会が我が国を統治
1563年3月 神聖ローマ帝国がヘッセンのフィリップ・ルートヴィヒ 1世を皇帝に選出

王朝の概念のおかげで摂政評議会の統治下でも神聖ローマ皇帝になれるようになった。

1563年11月 フランスが和平提案を受諾
ミラノ領を割譲させることによって、こちらの腹は全く痛む事無く戦争を終わらせることができた。

1569年1月 国立銀行を「国策」に採用
なんとなく「国立銀行」を取っちゃったけど、不要だったかなぁ。

1571年10月 フィリップ・ルートヴィヒ 1世 フォン・ツヴァイブリュッケン(8−4−3)が我が国の新たな元首に

1584年8月 摂政評議会が我が国を統治
1584年8月 神聖ローマ帝国がヘッセンのレオポルト 1世を皇帝に選出


1585年12月 ボヘミアの側に立ってユトレヒト、プロイセン、ポメラニアに宣戦布告
1585年12月 対教皇領、コルシカ戦を我が国が主導
1585年12月 我が国がトスカナの側に立って教皇領、コルシカに宣戦布告
1586年9月 コルシカの和平提案を受諾
1587年8月 ユトレヒトの和平提案を受諾
1589年8月 教皇領の和平提案を受諾
1590年1月 我が国がミラノの側に立ってヴェネツィア、シチリア、アクイレイア、フェッラーラに宣戦布告
1590年7月 ヴェネツィアの和平提案を受諾

この一連の戦争はあまり利益をもたらしてはくれなかった。

1597年4月 レオポルト 1世 フォン・ツヴァイブリュッケン(8−8−8)が我が国の新たな元首に

1597年5月 フランスと軍事同盟を締結

1597年8月 管理君主制に変更

1600年2月 バイエルンの側に立ってクレーフェに宣戦布告
1600年8月 クレーフェが我が国の寛大な和平提案を受諾






次回はこの裏で起こった宗教改革について取り上げる。

2010年05月06日

EU3AAR連載第4幕第2回「で、結局何が新しくなったのよ?」

まず君主制国家で大きく変わったのが<王朝>の概念ができたことだ。
王朝
今までだと国王はただ「ヘルマン2世」となるはずのものが「ヘルマン2世 フォン・ヘッセン」となっているのがわかるだろう。つまりこの人物は「<ヘッセン王朝>のヘルマン2世」なわけだ。

そしてその下に「正統継承者なし」という文字が見える。「クルセイダーキングス」ではないので王の親戚がどうこうというところまでは突っ込まないけど、正統継承者がいればここに表示され、現在の国王が亡くなれば後を継ぐこととなる。だが正統継承者の正統性は「強い」、「普通」、「弱い」の三段階あり、正統性の弱い君主が即位したりすると王位僭称者が反乱を起こしたりする。

王朝の概念について解説した後は周辺情勢の確認だ。
ゲーム開始時のヘッセン周辺情勢
わかると思うが中心部の少し明るくなった青い部分がヘッセン領だ。首都ヘッセンを中心にカッセルとナッソーという3つのプロヴィンスで構成されている。周辺諸国はブラウンシュヴァイク、クレーフェ、マインツ、ヴュルツブルク、ケルン、トリアーなどの小国で構成されている。BERG(クレーフェ領)の北にはミュンスター、西にはブラバント、トリアー、マインツの南にはプファルツがある。大国と呼ぶべき国は結構離れているのでまずはこれらの小国家群を相手にすればいい。

だが一つ問題がある。周辺諸国のうちケルン、トリアー、ヴュルツブルク、マインツ、ミュンスターは大主教領で<婚姻>のオプションが使えない。これらの方面で領土拡張を行うには何らかの策が必要となってくるだろう。

では早速始めていこう。やり方はいつもの年表形式だ。前の反省点をどこまで活かせるかは疑問の残るところだが、ほかにいい方法が見つからなかったと言うのが正直なところ。

1399年10月 ヴュルツブルクと軍事同盟を締結。
1399年10月 ミュンスターと軍事同盟を締結。

3プロヴィンスを保持しているヘッセンには多くの国からの同盟提案が舞い込んでくる。直接的な安全保障の意味合いでヴュルツブルクとミュンスターの同盟のみ受諾する。あんまり役にはたたなかったけど。

1402年10月 イベント:「地方の安定度が低下」が発生。
このイベントは政策スライダを地方分権から中央集権に1動かしたとき起こったもの。「イン ノミネ」から中央集権に寄せれば寄せるほどメリットは大きくなる。今までは政策スライダを1動かしたときのペナルティは例外なく安定度−1だったが、今回からは
中央集権スライダの影響
このように3つのうちどれか1つが起こることになる。

1402年12月 施政方針:祝祭
祝祭は文化的伝統を上昇させる。それに加えて確率にはなるが国威も上昇させてくれる。おそらくは一番お世話になる施政方針だろう。文化的伝統の施政方針を実行するためには政務官を消費する必要がある。政務官は政治体制や施政方針で上昇率を上げることができる。

1403年5月 、バイエルンを長とする人的同君連合の下位構成国になる。
ヘルマン2世は後継者を残さずに亡くなったためにバイエルンとの人的同君連合を組まざるを得なくなった。今までは代替わりしてみないとわからなかったものが「王朝」、「後継者」のシステムによってある程度事前に結果が読めるようになった。

1410年8月 ウィルヘルム1世 フォン・ブラウンシュヴァイク・リューネブルク(4−8−5)が新たな元首に。
人的同君連合の継続と解消もより明確に結果がわかるようになった。

1412年10月 ブラバントの王位を要求
今までは姻戚関係さえあれば王位の要求は無制限に使えた。だが今度の変更により王位の要求は後継者がいないか、正統性が弱い後継者でなければ使えないようになった。だから王位を要求できる国は限られてくる。その辺はアラートに表示されるので注意深く見ておくといい。

1412年12月 イベント:我が国で「愛された継承者の死」
1412年12月 正統なる継承者、ウィルヘルムが死去

当然、統治者の前に後継者が死んでしまう場合もある。

1412年12月 ブラバントに対して継承権をめぐる戦争を開始
王位を要求したことでブラバントに対して大義名分ができた。大義名分さえあれば神聖ローマ皇帝の介入無く戦争を進めることができる。ブラバントはわが国と国境を接していない。だがブラバントはトリアーとクレーフェというわが国に隣接した2カ国と同盟を結んでいる。このどちらか(ないしは両方)が主たる目的である。

1415年5月 トリアーと和平
1415年7月 ブラバントと痛み分けで和平

結局のところクレーフェは参戦せず、トリアーのみと戦った。ブラバントの支援を受けられないトリアーなど物の数ではなかった。トリアーとはコブレンツを取り属国化で和平した。ブラバントとは痛み分けで和平したのだが人的同君連合という目的は果たせなかったので国威が下がってしまった。

1416年1月 施政方針:ヘッセンにて土地改革
土地改革は名前でわかるようにプロヴィンス単位の施政方針で税収を効率的にしてくれる。土地改革の効果はゲーム中ずっと有効なので早めにやっておこう。ちなみにプロヴィンス単位の施政方針にも政務官が必要になる(土地改革には2人)。

1423年6月 ミュンスターの王位を要求
1423年7月 ミュンスターに対して継承権をめぐる戦争を開始
1423年7月 クレーフェがミュンスターの側に立って対ヘッセン、バーデン戦に参加
1424年11月22日 クレーフェを併合
1425年5月28日 ミュンスターと人的同君連合で和平

大司教領だったはずのミュンスターがいつの間にか君主制国家に変わっていた。しかも王位の継承に困っているご様子。しかも同盟国はクレーフェ(ミュンスターと我が国は直接国境を接していないがクレーフェはちょうど通り道にある)。これは王位を要求しない手は無い。その当時の同盟国であるバーデンも一応参戦したが必要も無かった。あっという間にクレーフェを併合、ミュンスターも相手にはならなかった。ミュンスターとの人的同君連合で手を打つ。これは戦争目的にかなった行動(国威の上昇率が高い)だし、人的同君連合には大きなメリットもある。

1425年8月7日 イベント:「ライバル国に対する要求!」が発生
このイベントでブラウンシュバイク領ブランズウィックとプファルツ領プファルツの請求権が手に入る。

1427年11月24日 スウェーデンと軍事同盟を締結
1428年8月11日 スウェーデンの側に立ってボヘミア、リトアニア、リガに宣戦布告
1429年7月1日 借入
1430年3月13日 ボヘミアの和平提案を受諾

このくらい領土を増やしてくるとだんだん大国からの同盟提案が舞い込んでくる。まずは北のスウェーデンだ。だがスウェーデンが神聖ローマ帝国加盟国であるリガと戦争を始めたためにボヘミア(神聖ローマ皇帝)と戦うことになってしまった。結構やられまくったのでかなり厳しい条件が来るかなと思ったが、クレーフェの独立とスウェーデンとの条約破棄という条件だったのでさっさと飲む。だがこの戦争を維持するために多重債務状態に陥ってしまった。

1440年12月 ようやく借金を完済。

1446年4月 施政方針:ヘッセンにて人口調査
人口調査はその名の通り人的資源や税収に影響する。この施政方針は定期的に行わなければならない。

1448年8月 トリアーを併合

1450年12月 ミュンスターの玉座を継承

これも「エア トゥ ザ スローン」からの仕様なのか、両国の関係が良好だと人的同君連合→継承のコンボが入る。併合だと50年たたないと中核プロヴィンスにならないが、継承だとすぐに中核プロヴィンスとなるのでかなりお得。これを期待できるので先の戦争では人的同君連合で手を打ったのだ。

1450年12月 ウィルヘルム 1世 フォン・ブラウンシュヴァイク・リューネブルク(6−3−5)が新たな元首に

1458年6月 フランスと軍事同盟を締結
次はフランスとの同盟だ。だがすぐにフランスがブルゴーニュの侵攻を始めた。この戦争に参戦するとまたボヘミアと戦わなくてはならないので参戦を拒絶する。国威は減るが命には代えられない。

1469年11月 正統なる継承者、ルードヴィヒが死去
1469年11月 オットーが新たな継承者に
1472年7月 正統なる継承者、オットーが死去
1473年10月 ウィルヘルム2世 フォン・メクレンブルク(4−4−8)が新たな元首に
1474年10月 ウィルヘルムが新たな継承者に

かくしてブラウンシュヴァイク・リューネブルク朝は絶え、メクレンブルク王朝がヘッセンを統治することとなった。

1479年12月 ハンザに対してブランズウィック再征服を開始
1480年1月 ハンザが我が国との通商同盟協定を破棄
1482年4月 ハンザと和平

ハンザはブラウンシュヴァイクなどを飲み込み大勢力を誇っていたが、教皇庁より破門され、各方向から攻め込まれていた。このチャンスを逃す手は無い。ハンザに対する開戦理由は破門と再征服(ブランズウィック)と2種類あるがこの戦争の目的は領土拡張なので再征服を選択する。抵抗はほとんど無く、ブランズウィックとテューリンゲンの割譲という本来の目的にかなった条件で和平がかなった。

1488年5月 イベント:「継承者、病に倒れる」が発生
ささやき→えいしょう→いのり→ねんじろ!
継承者は助かりました。

1488年8月 イベント:「帝国からの提案」が発生
ここで我が国が選帝侯となる。

1492年9月 ボヘミアと軍事同盟を締結
ここにいたるまでずっと神聖ローマ皇帝だったボヘミアとの同盟は大きな利益をもたらしてくれるだろう。

1494年3月 正統なる継承者、ウィルヘルムが死去
1494年3月 フリードリヒが新たな継承者に

1499年6月 プファルツに対してプファルツ再征服を開始

1499年8月 フリードリヒ 1世 フォン・メクレンブルク(7−6−7)が新たな元首に
1499年12月 プファルツの和平提案を受諾
対プファルツ戦は何か手間取ってしまって痛み分けに持ち込むのが精一杯だった。でもまだ次がある。

1501年6月 クリスティアンが新たな継承者に。

1500年12月 重大イベント:ハンブルクにて「プロテスタント革命」が発生

まず第1の大きな山、宗教改革が来る。

2010年04月25日

EU3AAR連載第4幕第1回「エア トゥ ザ スローン」

さて今回からEU3の第4幕を始めていく。今回は神聖ローマ帝国加盟の君主制国家というのが今回の条件だ。第1幕でやったザクセンがまさにその条件にぴったり合う。リベンジも考えたが、第1幕の頃とはザクセンを取り巻く環境が大きく異なる。だから今回ザクセンを選ぶことはしなかった。

で、結局選んだのは「ヘッセン」である。

次回は周辺状況の確認と「エア トゥ ザ スローン」の新要素について書いていこうと思う。

2010年02月22日

連載中断のお知らせ

新PCがOSの再インストールに追い込まれてしまったため、EUローマAAR連載のデータが吹っ飛んでしまいました。

したがってAAR連載をここで一旦中断します。

再開するときは完全な仕切り直しになるはずです。その時はまたよろしくお願いいたします。

2010年01月23日

フィロシル・アフミス伝第2回「スフェットへの道」

前回は政治の世界に登場してから、さまざまな役職を経験していく様を描いてきた。30代になり、いよいよスフェットへの道も見えてくる。さてさてどうなりますことやら。

588年1月、エルダーの任期を終えたフィロシル・アフミスを待っていたのはキレナイカの総督という役職であった。キレナイカ総督の期間中彼の友人にとって不利になるような法案に彼は賛同した。それによって彼は一人の友人を失ってしまうこととなる。キレナイカの総督を2年勤めた後、彼は1年ほどあらゆる役職から解放される。

ワンポイント
いつの時期かははっきりしないんだけど、フィロシル・アフミスは足を悪くして軍事が1下がってしまった。そのため将軍や提督の地位には付けられなかった。フィロシル・アフミスは神祇官だったので必要無かったけど、役職から外す代わりに称号を付けてやると人民主義にはしる心配をしなくて済む。


591年、フィロシル・アフミスは海軍長老の役職に就任する。そしてその年の10月には息子マゴ・アフミスが16歳の誕生日を迎えた。

ワンポイント
海軍長老は海軍技術の上昇を促進する役割であって、技量に比べて軍事技能はそれほど重要ではない。あとこのあたりから役職をその場その場で変えていく方式から任期を終えた役職をいったん空にしてから人材を選んでいく方式に変更した。この方式には多少デメリットもあるんだけど、より能力値に応じた役職を選びやすくなる。


593年、海軍長老の任期を終えたフィロシル・アフミスは司法官に就任する。そして10月、マゴ・アフミスは神祇官として政界への第一歩を記した。

ワンポイント
司法官とは要するに社会政務官のことだ。将軍にするために供犠官→エルダーというルートを通ったフィロシル・アフミスをわざわざこの地位につける必要はなかったのだが、人もいなかったので就任させることにした。
もし「これは!」という人物がいたらいろんな職種を経験させるといい。と、いうか高い能力を持っていれば必然的にいろんな職を経験することになるだろう。いろんな役職を経験させておくことで人望が上がり、スフェットになりやすくなる。


594年1月、マゴ・アフミスはバエティカの総督となる。神祇官からバエティカの総督へ、マゴ・アフミスは奇しくも父と同じ道を歩み始めたのである。

ワンポイント
このときマゴ・アフミスはバエティカの総督を希望していたわけではなかったのだが、ちょうどバエティカの総督の地位が空いたので悪戯心を出してバエティカの総督に就任させてみた。ただマゴ・アフミスはフィロシル・アフミスに比べて軍事の能力値が低いので将軍ルートに進むことはないだろう。


595年、司法官の任期を終えたフィロシル・アフミスはシチリアの総督に就任する。シチリア総督の任期中、彼は生きているのがつらいと感じるようになっていった。それでも彼は重圧を感じつつもそれを乗り越えて生きていくことを選んだ。彼のその意思とは関係なく国家はある重大な決断を行った。

595年12月、隣国エジプトでジェドル・プトレマイオスが反乱を起こした。この反乱によってエジプトの国土は二分される。カルタゴ政府はローマと並ぶ仮想敵国たるエジプトの内戦を見逃さなかった。596年3月、当時のスフェットであるバール・アフミスはエジプト政府に宣戦を布告。待機していた大規模な軍団をコラニクラヌム(エジプトとの国境にあるキレナイカリージョン唯一のプロヴィンス)からキレナイカ、バルカ両プロヴィンスに侵入させる。反乱軍との戦いに全力をつぎ込んでいたエジプトにはこの侵攻に対応する余裕はなかった。カルタゴは必要以上に戦線を拡大する意図は無かった。597年8月、カルタゴはエジプトとキレナイカ、バルカ両プロヴィンス割譲で和平を結ぶ。

ワンポイント
EUローマを特徴付ける要素の一つにこの「内戦」がある。「内戦」が発生すると反乱勢力が組織され、それらはあたかも独立国のように振舞う。このエジプトの内戦はアフリカ側を政府軍が小アジア側を反乱軍が治める本当の意味で国土を二分する内戦となった。

この絶好の機会を逃す手は無い。イベントの結果キレナイカ(プロヴィンス)の領有権を主張しているので宣戦布告しても安定度の低下は無い。完全に叩く所までしなかったのは下手に反乱軍に肩入れしすぎて内戦を早期終結させれば逆に痛い目を見る可能性があると判断してのことだ。事実、今回のゲーム終了時点(601年1月1日)においてなおこの内戦は継続中だ。

それとこの戦争で気づいたことが一つある。拡張した領土に住んでいた市民は格下げされてしまう。普通は奴隷→自由民→市民へと順調に上がってバランスが取れていくのだが、現在わが国はシヴィタス・デセス法を施行しているので自由民から市民への移行が制限されている。

したがって現在各地で市民の不足が起こり始めているのだ。市民の不足がもたらす悪影響は技術進歩の遅れだから今のところは影響は見えない。だが今後は一体どうなるのか・・・。

しかもシヴィタス・デセス法を廃止するためには社会主義派か人民主義派政権である必要が有り、安定度1低下のリスクもある。(当然シヴィタス・デセス法の恩恵も受けられなくなる)実は社会主義派が政権を握ったときもあったのだが、その時はこの問題に気づいていなかった。


598年12月18日、マゴ・アフミスは周囲に推されて社会主義派のリーダーとなる。元老院は現在フィロシル・アフミス率いる商業主義派がかつての宗教主義派を凌駕する議席を確保している。マゴ・アフミスはそれに背を向けることになったのである。

ワンポイント
親子対決、というには元老院の議席数が圧倒的に違う。それにしても、バール・アフミス(いまだ健在)がリーダーではないにしても宗教主義派、フィロシル・アフミスが商業主義派のリーダー、マゴ・アフミスが社会主義派のリーダーと親子三代でこうも主義主張がばらばらだとは・・・


統治者となることを決意した、フィロシル・アフミスは599年7月のスフェット選挙に出馬する。このとき彼は圧倒的な元老院の支持を受けてスフェットの筆頭候補だったのだが、宗教主義派のアヒロム・アフミスに敗れることとなってしまった。だが彼はあきらめることなく2年後のスフェット選挙に向けて活動を開始する。

ワンポイント
筆頭候補で元老院から圧倒的支持を受けているのに統治者になれないというのは良く起こる事態。


600年2月13日には初孫のエウゴラス・アフミスが誕生。アフミス家の隆盛はいまだ終わらない。そして601年1月1日、物語はまだまだ続く。

2010年01月07日

フィロシル・アフミス伝第1回「立身出世」

では早速フィロシル・アフミス伝第1回(EUローマAAR連載第9回)をはじめましょうか。イタリックになっているのはゲーム的な人事のコツみたいなものの紹介です。

物語の始まりは彼が18歳になって最初に称号を手にするときから始まります。

AVC574年3月2日、かねてより希望していた神祇官の称号を得た。神祇官として宗教の仕事に触れることで、彼は宗教こそこの国を成り立たせる最も重要な柱なのではないかと考えるようになった。

ワンポイント
たいていのキャラクターが最初に希望するのはまずこの「称号」ということになるだろう。(たまに例外はあるけど)

称号には
軍団司令官軍団司令官(24)
会計検査官会計検査官(6)
平民造営官平民造営官(2)
卜鳥官卜鳥官(15)
神祇官神祇官(15)
の5種類ある。(カッコ内は定数)

なんとなくわかると思うけど軍団司令官の希望をかなえてやると「軍事主義」に傾き、会計検査官だと「商業主義」、平民造営官だと「社会主義」、卜鳥官と神祇官は「宗教主義」にそれぞれ傾いていく。だから人民主義にはまった若手には積極的にこの称号の希望を叶えてやることで再転向が期待できる。18歳で政界デビューしたときに人民主義にはしっていることは意外に多い。その理由はこうだ。

称号や役職を追い求めているのに無官だとそのキャラクターは徐々に人民主義へと染まっていく。そして個人が夢や野心を持ち始めるのは16歳からだが、実際に役職に就けるようになるのは18歳から。この2年間のブランクは意外と大きく、特に人民主義の牽引力が強いとかなりの確率で若者が人民主義へと偏向してしてしまう。ただ人民主義でなかったとしても称号の希望はなるべく早く叶えてやったほうが良い。そうすることで次の希望がより早く出てくる出てくることとなるからだ。(その後すぐ別の称号を欲しがる「称号マニア」もいるけど)

称号についてもう1点。上の3つは定数についてそれほど気にかける必要はない。平民造営官は2人しか付けられないからその辺をちょっと気にすればいいくらい。なぜかといえば役職につくと(若手の場合はたいてい地方の総督)これらの称号は自動的に外れてしまうからだ。すなわちこれらの称号は無官の人間に付けて人民主義に走るのを防ぐのが最大の目的といっていいだろう。

ところが宗教関係の2つの称号は役職に就いても外れることのない一生ついてまわる称号なのだ。だからこの2つは何も考えずに付けていくと定数を使い切ってしまい、叶えてやりたくても叶えてやれないという事態が発生することになる。(実はこの段階で卜鳥官を使い切ってしまい、希望を叶えてやれずに塩漬けになっているキャラクターがいたりする)


574年5月、彼は生まれ故郷であるサグントゥム(タラコネンシス)に程近いバエティカの総督を夢見るようになった。例年それらの人事考査は前任者の死去など特段の例外がない限り1月に行われる事となっていたが、彼はそれを待たずに元老院を動かし、バエティカの総督になった。そのときに彼は宗教よりも商業の力に強く魅せられるようになっていった。

その頃の我が国は他国の軍備増強に突き動かされ、大規模な軍事拡張路線へとむかっていた。

ワンポイント
「ヴァイア ヴィクティス」前だと役職の年齢制限とかは無く、能力値に応じた役職を配分した後はほったらかしておいても一向に問題は出なかった。だが「ヴァイア ヴィクティス」になってからはより計画的なライフプランを立てる必要が生じた。(共和制では特に)

年齢制限の関係上、最初の役職はほぼ例外なく地方の総督ということになる。「太閤立志伝」、「信長の野望」、「三国志」そして「クルセイダーキングス」は封建主義的な発想に基づいているため城主(伯爵)というのはきわめて高い地位にある。だが中央集権的な発想においては地方の総督というのは大して高い役職ではない。だから共和制のライフプランは基本的に

中央で簡単な仕事を任される

地方のどさ回り

中央に戻ってより重要な役職を任される。(状況によってはまた地方に赴任したり、人によっては地方巡りで一生を終えたりする)

最終的にスフェット(最高権力者)に
こんな感じになる。国家公務員や転勤のあるような企業に勤めてらっしゃる方とっては人事とは思えないであろう。ちなみに「〜の総督になる」という希望を叶えてやると技量(困難に直面しても的確に事を成す能力)が1上がり、商業主義に傾く。それは別にしても最低限一度は総督を任せた方が良い。理由は次のワンポイントで。


希望通りバエティカの総督となったフィロシル・アフミスではあったが、自らの傍らにいる女性がいない事に物足りなさを覚えるようになった。その年の11月、彼に縁談が持ち上がる。相手はモーヴ・バールハニス。商業主義派を率いるアッバール・バールハニスの一人娘だ。断る理由は無かった。AVC574年11月13日、フィロシル・アフミスはモーヴ・バールハニスと結婚式を挙げたのである。そして翌575年10月1日、長男マゴ・アフミスも誕生する。

ワンポイント
役職に就けると自分で勝手に相手を見つけてきて結婚する。逆の言い方をすると役職に就けてやらないといつまでも結婚できない。まあ身持ちがしっかりしていないと結婚できないというのは今も昔もそう変わらない、ということだ。結婚以外にも総督に任命してやることで達成できる野心というのはある。
・息子が欲しい→これは結婚の延長線上にある。運の要素も絡むが、うまくいけば宗教主義に傾く
・金持ちになる→総督にはちゃんと給料がある。それ以外にもキャラクターはリージョン内で不動産を持ち、そこからの収入も自己の財産に加えていく。だから総督に任命してそのままほうっておくとこの野心は自然に解決してしまう。これを達成すると商業主義に傾く。
だから称号を与えても転向しなかったと嘆く必要は無い、総督になってからも十分にチャンスはあるのだから。それに結婚して子供が生まれれば結果的に国の陣容は厚くなるのだから、人民主義といえども最低限1回は役職に就けたほうが良い。

AVC575年7月4日、現スフェットのケルベス・ペナミスが46歳で亡くなる。その後を伯父であるマハルバル・アフミスが再び政権を担う事となった。577年1月、フィロシル・アフミスはバエティカでの2年の任期を終え、生まれ故郷のサグントゥムを抱えるタラコネンシスの総督に赴任することになった。

敵国の侵略がすぐに起きないであろう後方地域のバエティカと違い、ローマとの最前線に位置するタラコネンシスは一部の軍が総督の管轄下に置かれている。非常時においてはこの軍の指揮も担当しなくてはならない。

ワンポイント
「ヴァイア ヴィクティス」になってから中央の兵権を担う将軍への道は極めて厳しくなった(共和制に限る)ので将軍の頭数は常に不足気味になる。ただ総督に兵権を渡すことで、将軍がいない軍というのをなくすことはできる。総督に軍を渡してしまうと総督が管轄するリージョンからは出られなくなるので、最前線の防衛部隊を任せると良いだろう。全土を駆け巡らなくてはならない機動部隊は中央の将軍を任命しておくといざというときの打撃力となる。そして軍事だけやたらと能力値が高い軍事バカを将軍になれるまでこういったところの総督を任せておくと能力の無駄遣いをしなくて済む。


AVC577年7月4日選挙の結果、新たなスフェットとなったのはマハルバル・アフミスの弟であるバール・アフミスであった。フィロシル・アフミスは父がスフェットになったという報を任地で聞くこととなった。それから2ヶ月ほどした577年9月、突如フィロシルの元に父バール・アフミスが訪れた。政庁に訪れるなり彼は言った。
「私はここにお前の父としてきたのではない。この国をあずかるスフェットとしてここへ来たのだ」
「ローマ軍に動きがあるという報告は受けておりません。領内も安定し、私が赴任してから税収は上がっています。お忙しい父上がわざわざこんなところに足を運ぶ必要などないでしょうに」
「税収は上がっている、か。それが正当なものであるならば何も言うことはないのだがな」
「おっしゃっている意味が良くわかりませんが」
「これは私がスフェットになった直後に届けられたものだ」
そういってバール・アフミスはパピルスでできた文を見せた。そこにはタラコネンシスでは賄賂が横行し、総督までもが積極的に関与しているという旨がしたためられていた。
「こんなものをお信じになるのですか」
「完全に信用しているわけではない。だが疑いの目がわずかでもある以上、確認しないというわけにもいかんのだ」
「ですが逆にお尋ねします。必要悪としての賄賂を受け取ることが罪だというのですか?中央でも賄賂の授受は普通に行われていると聞きます。父上だって清廉潔白のままスフェットになったわけではないでしょう」
「度を過ぎるなと言っているんだ!」
この国ではは確かに人民主義者などが「クリーンな政治」を掲げることはあるが、それほど「汚職」に厳しいわけではなかった。一応元老院議員の買収は違法であったが、見て見ぬ振りをすることも多かったのだ。ましてや地方行政においては中央の監視の目が届かない分、さらに賄賂が横行することにもなる。これも普段なら大きな問題にされることもないのだが、対立候補にとっては格好の攻撃対象になる。特に兄から弟への政権移譲ということで一族支配を懸念する声もあるのだ。
「で、私を解任するおつもりですか」
フィロシルはあくまで冷静だった。おそらく自分を解任するようなことはあるまいという余裕の表れであった。
「そこまでは考えてはおらん。だがせめてここでの任期を終えるまでは自重することだ」
「肝に銘じておきましょう。折角ここまで来たのですから孫の顔でも見に行ったらいかがですか?」
「そうさせてもらおう」
そう言ってからスフェットは政庁を後にした。
「どうなさるおつもりですか?」
スフェットが去った後、下級官吏の一人が入ってきてフィロシルにたずねた。
「どうもしないさ。父上が私に対して何もしないのと同様にね」
その時のフィロシルはすでに政治家の顔そのものであった。

ワンポイント
「腐敗した総督」というイベントを元にちょっと話を作ってみました。「クルセイダーキングス」でも「EUローマ」でも個人を対象にしたイベントは話作り(妄想)の格好の材料になる。今後ともこういう話はどんどんやっていきたいと思っております。


だがその時の説得が彼に届いてはいなかったのだろう。578年9月、買収の罪で捕まった支援者の一人をフィロシル・アフミスは全面的に支援した。その後、彼は579年ナルボネンシス(マッシリア)、581年シチリア、583年キレナイカと最前線の総督を歴任した。彼が順調に出世コースを歩む中、属国であったヌミディアで王権を巡る内戦が勃発し、反乱軍が勝利する。これによってヌミディアは献上金の義務から解放されたが、それは同時にカルタゴにとって同国を排除するための障害が消えたことを意味していた。580年1月、前年7月にスフェットに就任したばかりのアッバール・バールハニス(フィロシル・アフミスの義理の父親だ)はヌミディアに宣戦布告。増強された軍勢を用い侵攻を開始した。ヌミディアにカルタゴと戦う力があるはずも無かった。同年12月、領土の半減と賠償金支払いで和平を締結する。

AVC581年10月21日、フィロシル・アフミスにとって忘れられない出来事があった。長年、自らの政敵であったマゴ・バールハニスが同僚に殺されるという事件が起こったのだ。この一件に彼は関ってはいなかったが心の中で事件を起こしたものに対して喝采を送っていたのはいうまでもない。

フィロシル・アフミスは585年1月、供犠長への就任を命ぜられる。これは宗教全般を司る地位で任期は無い。だが実際は1〜2年で交代することが多く、その後は元老院監察官に就任することが多い。

ワンポイント
将軍になるためには通常3つのルートがある。(例外として戦争中のイベントとして元老院が特定のキャラクターを将軍に任命することがある)
・社会政務官経験者となる
・スフェットに就任する
・監察官経験者となる。
社会政務官になるためには35歳まで待つ必要があり、誰が次のスフェットになるかはその時の状況しだいでころころ変わるので当てにはできない。残るは監察官(エルダー)だが、このエルダーも就任の条件はすごく厳しい。年齢制限は18歳なのだが、前歴として
・社会政務官
・スフェット
・供犠長
のいずれかが必要となる。つまり自分から将軍を育てようと考えるとルートは
・社会政務官
・供犠長→エルダー
の実質2つしかないというわけだ。

前述のとおり社会政務官になるためには35歳まで待つ必要がある。その点供犠長からエルダーのルートは時間こそ3年かかるが、28歳で将軍になるための資格を得ることができる。ただ宗教関係の役職はプロヴィンスの改宗などにも関ってくるのでその辺との兼ね合いも必要になってくるのに加え、終身任期なのでいつ解任しても忠誠心の低下があるというのは留意せねばなるまい。


こうして彼は久々にカルタゴへの帰還を果たした。その年の11月には長女バツノアムも誕生。そして予定通り1年後の586年に彼は供犠長の地位を解任され、即日元老院監察官への就任を命ぜられた。フィロシル・アフミスが元老院監察官となった直後、時のスフェットであるケルベス・タウタリス(軍事主義)がヌミディアに再び宣戦布告した。587年3月、ヌミディアからの和平提案を受け入れる形で戦争は終結した。それとほぼ時を同じくして商業主義派閥を率いていたアッバール・バールハニスが息を引き取った。彼がその時次代のリーダーとして指名したのは義理の息子であるフィロシル・アフミスであった。同年7月、マハルバル・アフミスが再びスフェットの座に就く。

そして588年1月、フィロシル・アフミスのエルダーの任期が終了する、というところで次回に続く。

2009年12月24日

EUローマAAR連載第8回「連載再開」

さて新環境の下で連載再開だ。まず現在の状況を把握し、今後の対策を練ろう。

574年イベリア半島
これがイベリア半島情勢である。イベリア半島ほぼ全域の入植が完了しているのがわかるだろう。この方面で領土拡張を行うならば、必然的にローマとの戦争を覚悟せねばなるまい。

574年北アフリカ、南イタリア
北アフリカとシチリア島方面はローマ、エジプト、どちらとやりあうにしても大戦争だ。

574年マケドニア
一方、これが現在のギリシャ方面および小アジア地域の情勢だ。この方面にもローマの影が見える。ローマが押さえる前に進出すべきか・・・。

今後の方針は大きく分けて4つある。
・ローマと戦争をする
・エジプトと戦争する
・ギリシャ方面に進出する
・ひきこもる

ローマと戦争をするならイベリア半島方面、南イタリア方面からの多方面同時侵攻が有効だろう。だがそれをなすためには適切な機会を狙う必要がある。

エジプトとの戦争は相当なリスクを覚悟する必要がある。

陸路は侵攻ルートは一ヶ所しかない上にエジプトは現在わが国を上回る陸軍を保有している。海軍を使った強襲揚陸という策もあるが、手痛い反撃を受ける可能性はきわめて高い。これも内戦の時期を狙うなど何らかの策が必要になってくるだろう。

ギリシャ方面への侵攻は海軍による侵攻をせねばならないという難点を除けば比較的ローリスクで進出できる。だがこの輸送による陸軍の損耗は結構馬鹿にならない。あとこの方面の敵戦力が読めないのも痛い。

侵攻にリスクが付き物なのは当然。どこに向かうにしろ軍の準備だけは怠りなくやらねばなるまい。

次に国内の情勢だが、これは比較的安定している。
574年元老院
特筆すべきは交易路の空きが多い影響で商業主義派が宗教主義派と拮抗するくらいにまで勢力を伸ばしていることくらいか。ともあれ国内情勢の事はあまり考えずに行動が取れそうだ。

そして前回の予告通り今回からしばらく一人の人物を中心に描いていく。選考条件は以下の通り。
・574年1月の段階で16〜17歳であること
・その段階で派閥が人民主義ではないこと
この2つの条件に合致したのがこのフィロシル・アフミスだ。
主人公 フィロシル・アフミス
現司法官バール・アフミスを父に持ち、現スフェットであるマハルバル・アフミスは伯父に当たる。「執念深い」が「賢明」で「無鉄砲」という人物である。今後いろんな特性が付け加えられていく。果たしてこの人物がどういう運命をたどるのか?それは私にもわからない。一人の人物が大局に振り回されながら生きる様を少しでも感じていただければ幸いだ。

次回からこの人物を例にとって人事のコツなんかも書いていきたい。

2009年10月22日

EUローマAAR連載第7回「マッシリア消滅」

アブドメルカルト・タウタリス(宗教主義)続き

ここでのトピックは551年4月、ワッカエイの東隣アレワキに入植完了した事くらいかな。

552年1月〜554年1月 マッタン・バールハニス(商業主義)
ここでのトピックはワッカエイの西隣、カルペタニの北にあるベトネへの入植が完了した事かな。

554年1月〜556年1月 マハルバル・ミルキラミス(商業主義)
557年7月、ローマがマッシリアに対して宣戦布告。圧倒的なローマ軍に対してマッシリアはなす術もなく、同年9月にはエンポリオン割譲、献上金支払いで和平を結ぶ。

これはまたとないチャンスだ。11月にマッシリアに宣戦布告。即座に首都カルタゴに待機させていた部隊をマッシリアに上陸させる。開戦の口実を作らないままの宣戦布告だから当然安定度は減少するが、「託宣者」の効果によって必要額は少なくて済む。

先のローマとの戦争の痛手から回復しきっていないマッシリアに抵抗する力は残っていなかった。翌月にはカルタゴはマッシリアを併合。ローマに楔を打ち込んだのである。
マッシリア捕虜 ピタゴラス・プロクティス
これがそのとき捕らえられた捕虜、ピタゴラス・プロクティスである。30前という年齢、軍事主義派、能力も比較的高いと条件が揃っているので彼も釈放し、我が国の一員に加える。

556年1月〜558年1月 ハンノ・ナラヴィス(軍事主義)
特筆すべきトピックは無し。

558年1月〜559年12月 エウゴラス・アフミス(宗教主義)
まず558年5月、セデタニの北イレルゲテスに入植が完了する。これでローマと国境を接する事になる。

そして559年8月我が国は「交易の機会」の原理を発見する。これは交易路を増やすものだ。これを機会にまた交易路を全面的に見直そうかとも思ったが、面倒なのでやめにした。そのせいで交易路が無駄に余ってしまったような気がする。

559年12月、エウゴラス・アフミスは老衰で亡くなる。

559年12月〜561年12月 ミルクヘレム・バルキス(商業主義)
ここはとりあえず特筆すべきトピックはないな。

561年12月〜562年7月 マハルバル・トゥッリウス(軍事主義)
半年あまりの期間の中で特筆すべきトピックは一つ。562年6月、「ローマを打ち破る」というミッションが失敗。続けて提示されたのは「マッシリアに神殿を建設すべし」だ。これは簡単に済むだろう。

562年7月、スフェットは老衰で死去。享年70。

562年7月〜564年7月 ヒミルコ・エシュバリス(軍事主義)
マハルバル・トゥッリウスの死後行なわれた選挙で政権の座に就いたのは彼と同じ軍事主義派のヒミルコ・エシュバリスだった。

寺院の建設ミッションを終え、次に提示されたのは「異端者を公職から排除せよ」だ。今やこの「異端者」たちも我が国になくてはならない存在だ。このミッションは無視する事にする。金銭的な余裕はあるし。

564年7月〜566年7月 マゴ・バールハニス(軍事主義)
3代続けての軍事主義政権。取り立てて書くべき事はないかな。

566年7月〜568年7月 マハルバル・アウダクシス(社会主義)
42年ぶりの社会主義派政権である。ここでやるべきことは当然、国策を変更する事である。

ここでは「奴隷解放」を選ぶ事にする。これは以前の「市民権」と対になるもので奴隷から自由民への格上げを促進するものである。これで国策は正常な状態に戻った。

あと566年9月、「建築様式」イベント発生。これは建設技術が一定のレベルに達すると起こる物で質素倹約を旨とするか荘厳華麗を旨とするかを選択するものである。ここでは荘厳さを選ぶ事にする。特に理由は無いんだけどね。

568年7月〜570年7月 ハスドルバル・エシュバリス(軍事主義)
569年1月、「異端者を公職から排除せよ」失敗で安定度が低下。だがすでに安定度上昇に必要な金額を貯蓄していたので即日上昇。

次に提示されたのは再び「ローマを打ち破る」ミッションである。さてどうすべきか・・・。

570年7月〜572年7月 ハンノ・ナラヴィス(軍事主義)
572年7月〜 マハルバル・アフミス(宗教主義)


とりあえずゲームスタートから100年が過ぎた574年1月で今回は幕。

次回は474年現在の世界(あくまで見える範囲だが)情勢、ここまでで培った人事のコツのようなものの紹介、主人公の選抜の模様などを書いていきたい。

2009年10月11日

EUローマAAR連載第6回「イベリア半島侵攻戦」

アブドメルカルト・タウタリス(宗教主義)続き

宣戦布告
早速ワッカエイに宣戦布告。再編したカンタブリ防衛軍を南下させてワッカエイを攻囲。そしてサグントゥム付近にいた通常編成軍をルシタニア侵攻の為に移動させる。

移動が完了した6月にはルシタニアにも宣戦を布告して侵攻を開始。


ワッカエイ併合
8月末にはワッカエイが陥落。そのままワッカエイは我が国の版図に収まった。

ワッカエイ捕虜
ワッカエイを併合した事で幾人かの捕虜を捕らえた。人民主義なら容赦なく処刑or追放しようと思っていたが役に立ちそうなので彼らにも働いてもらおう。

第1次ルシタニア戦終結
12月にはルシタニアともこの条件で停戦。献上金は後が厄介なので要求しなかった。

542年1月〜544年1月 ボウロメヌス・バールハニス(人民主義)
こいつは「職業軍人」を「託宣者」(安定度の上昇に必要な金額を下げる)に変更する。

この時期にイベリア半島カルペタニへの入植が完了する。

544年1月〜546年1月 エウゴラス・アフミス(宗教主義)
復讐の始まり
先々代のスフェット、アブドメルカルト・タウタリスに将軍エウゴラス・ハニスが襲い掛かった。なんとこの時アブドメルカルト・タウタリスはエウゴラス・ハニスを返り討ちにしたのだ。
エウゴラス・ハニスは軍事9の猛者だったにもかかわらず、だ。

あとは545年10月、サグントゥムの北、イレルカウォネスへの入植も完了する。

546年1月〜548年1月 ボウロメヌス・バールハニス(商業主義)
遠い復讐
エウゴラス・ハニスを返り討ちにしたアブドメルカルト・タウタリスだったが、彼もまたただではすまなかった。546年8月、そのとき受けた古傷が元でアブドメルカルト・タウタリスが亡くなる。

ここでのトピックはもちろんルシタニアとの平和条約が終わったことだ。
ルシタニア併合
547年2月、ルシタニア併合。

ルシタニア捕虜 
そしてこれがその際に捕らえられた捕虜だ。彼らにもしっかり働いてもらう。

これでイベリア半島におけるケルト部族掃討戦は終結だ。

戦闘が一段落したので、交易ルートを大幅に組み替える。自分でやっといてなんだが、なんか商業主義って感じにぴったりだな。

548年1月〜550年1月 マハルバル・トゥッリウス(軍事主義)
ここでのトピックは、イレルカウォネスの西隣にあるセデタニへの入植が完了した事くらいか。

550年1月〜アブドメルカルト・アフミス(宗教主義)





イベリア半島制圧戦終結
これが550年時点でのイベリア半島情勢だ。残った灰色の部分は無主の地ということになる。ガリア方面に勢力を伸ばしつつあるローマといずれは国境を接する事になろう。

さて次回いよいよ大国同士の激突が始まるのか?その辺の検討から次回は始まることになるだろう。





訂正:「託宣者」の解説が間違っていました。あとセデタニの位置関係も間違っていました。お詫びして訂正いたします。

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2009年10月09日

EUローマAAR連載第5回「外征準備」

アドヘルバル(人民主義)続き
続きといってもあまりトピックは無い。先代のスフェットが亡くなったことくらいかな。

532年1月〜534年1月 アッバール・ミルキラミス(商業主義)
まず532年6月、サグントゥムの入植が終了し「サグントゥムを支配下に入れる」ミッションが終了する。

そして次に与えられたミッションがいよいよ「ローマを打ち破る」というミッションだ。軍備をそろえて準備を整えておこう。

もう一つのトピックが533年5月、「殖えよ、地に満てよ」の原理を発見した事。これは人口増加率を上昇させるもので今後の入植発展をさらに推し進める事となるだろう。

534年1月〜536年1月 ボオデス(人民主義)
人民主義者ボオデスの第二次政権は「市民権」を廃止して、「職業軍人」を採用する。

戦闘準備ということを考えれば、決して間違った選択とは思えない。

この時期のトピックは535年12月、「鉱業」の原理を発見した事にある。鉄、石、塩を産出するプロヴィンスに鉱山を設置できるようになる。鉱山を設置するとそのプロヴィンスの税収が増加する。(農産物を産出するプロヴィンスには潅漑地がそれに相当する)

536年1月〜538年1月 バール・ガレスティス(人民主義)
人民主義政権が続く。ここでのトピックは次々とスフェット経験者が亡くなった事かなぁ。

537年4月 ボスタル・マタニス
537年6月 ボオデス
537年11月 アドヘルバル
アドヘルバルにはもう1回くらい政権を担って欲しかった。

538年1月〜540年1月 ボミルカル・アフミス(軍事主義)
540年1月〜アブドメルカルト・タウタリス(宗教主義)

特筆すべき事は無し。




こうやって進めている間に戦争への準備は着々と進めている。陸軍は通常編成8、機動1の計9個軍をそろえ、海軍も99隻を数える。数は十分だろう。だが指揮官の質についてはいまいち。いささか不安な面はあるが一応外征への準備はほぼ整ったと言って良いと思う。


さて、外征に移ると一言で言っても、方向はいくつかある。
・イベリア半島のケルト人部族掃討
・ミッションに従ってローマと交戦
・陸路を通ってエジプトに侵攻
・海路を通ってギリシャ、小アジア方面への侵攻

540年時点でのイベリア半島
一番簡単なのは当然イベリア半島のケルト人部族掃討だ。ルシタニアは2プロヴィンス持っているので1度では潰せないが、これも平和条約失効後に侵攻すればいいだけの話。10年あれば全作戦を完了できるだろう。

これをまず片付けるとしても、その後どうするか?この辺はあと10年見てからだな。

2009年09月26日

EUローマAAR連載第4回「宗教主義者たちの油断」

では早速続きを。

ハンニバル(宗教主義)の続き
ミッションはEU3のような放棄はできないが、期限が設定されている。今回の南イベリア植民ミッション(オレタニ、キネテス両プロヴィンスの植民)は503年末までが期限だ。今が501年、ミッション期限まで秒読み段階に入ったといえる。

トライ&エラーをしたり色々と計算した結果、多少運の要素はあるが、ミッション達成は可能であるという結論に達した。

植民の為にはまずプロヴィンス内の蛮族勢力を減らす必要がある。軍団が蛮族のいるプロヴィンスに進入すると蛮族軍が暴発する事があるのを利用して、オレタニに軍団を移動させる。

その際、入植の基点となるトゥルデタニにも1個軍を配備する。これは打ち破った蛮族軍がトゥルデタニに侵入することを防ぐ為だ。(当然のことではあるが、攻囲されたプロヴィンスでは人口の増加率が減少する)

501年2月、オレタニに侵入したカルタゴ軍を蛮族軍が迎え撃つ。だが文明化、組織化されたカルタゴ軍の敵ではなかった。

時期は次のスフェットの時期にまたがるけど、トゥルデタニの文明度が50%となるのを待ってオレタニに入植を開始。

501年2月〜503年2月 ハスドルバル・ボスタリス(宗教主義)
彼の仕事は何か新しい事を始めることではなく、現在の状況を維持する事にあてられた。

ここで語るべき事はオレタニと同様の行動をキネテスにも実行し、入植の礎を築いた事くらいか。

503年2月〜505年2月 ボスタル・フィロシリス(宗教主義)

503年5月、南イベリア入植ミッションが成功する。

これ以降しばらくの間「○○に神殿を建設せよ」というミッションが続く。

宗教主義派議員たちはこの圧倒的な議席数による権力でわが世の春を謳歌していた。彼らは迫り来る危機に気付こうともしていなかった。

だが彼らは気付く事になる。自分たちの中にスフェットになり得べき人材がいないということに。

その事態に目を付けた者たちがいた。人民主義者たちである。


505年2月〜507年2月 パルティバール・バルキス(人民主義)
こいつは人民主義者のうえに能力値がこんな↓
パルティバール・バルキス
なのでEU名物反乱祭りが引き起こされる事になる。安定度が高いおかげで祭りといっても十分対処可能な規模で収まったが。(EU2AC日本プレイでの反乱祭りはまさに地獄)

それにしてもこいつが選んだ国策がよりにもよって「神格化」だったのは能力の無い奴が「オレは神だ!」とわめき立てるシーンを想像して妙に笑ってしまった。もうちょっと裏読み妄想すると宗教主義派が無能力な彼をそそのかしてこのような話をぶち上げたとも考えられる。

505年8月、マグナ・グラエキアから逃れてきてスフェットまで登りつめたアウルス・トゥッリウス・グラックスが亡くなる。

彼はスフェットから退いた後、騎兵軍を率いてアフリカ入植地域の蛮族と戦い続けた。死ぬ間際まで前線を離れる事をしなかった彼に親愛の情を抱いたものも少なくなかったという。


機動軍を率いて縦横無尽。場所が場所だけに「ロンメル」ってあだ名をつけたくなった。

507年2月〜509年2月 ハンニバル・バルキス(人民主義)

人民主義が続く場合はスフェットが変わっても国策変更は無い。

前の奴よりは多少能力値はまし。


509年2月〜510年3月 ハスドルバル(人民主義)
アグバル・バルキスの跡を継いだ人民主義派のリーダーがここでスフェットとなる。能力自体は平均的で見るべきところはない。

そんな彼も就任1年余りで病に倒れ、帰らぬ人となった。

510年3月〜512年3月 ボオデス(人民主義)
その跡を継いだのは能力値がパルティバール・バルキスよりちょっとまし程度のこの男だった。

彼が何もしない事が国のためになったって事で。

512年3月〜514年1月 ハンニバル(宗教主義)

度重なる人民主義派のスフェット就任に業を煮やした宗教主義派だが、結局新たな人材を見つけることができずリーダーであるハンニバルが4度政権を担う事となった。

その彼も寄る年波には勝てず、514年1月に60年の生涯を閉じた。マクシタニ戦争のきっかけを作り、宗教主義派の隆盛を築いた彼の事を後の人はどう評価するのだろうか?


南イベリアの植民ミッション達成後も折に触れて植民地を拡大してきた。第4時ハンニバル政権の時期、我が国に「サグントゥムを支配下に入れる」というミッションが与えられる。


サグントゥム・マップこれがイベリア半島南東部の拡大マップである。白い部分がサグントゥムだ。

サグントゥム・データ
そしてこれがそのサグントゥムプロヴィンスのデータ。蛮族の支配地にしてはやたらと文明度が高いのがわかると思う。

南のコンテスタニはつい一月前に植民地が完成したばかりで人口も文明度も最低限しかない。ミッションの期間は10年あるがまあ無理だろう。一応努力はするけどね。

514年1月〜516年1月 アドヘルバル(人民主義)
ハンニバルの死後政権を握ったのは人民主義派のアドヘルバルだった。

彼はまず過去の人民主義政権(特にパルティバール・バルキス)を批判し、パルティバール・バルキスの唱えた神権論を明確に否定した。

そして政治体制を正常に戻す事を念頭にさまざまな改革に取り組んだ。それは各所で軋轢を生むことになったが、おおむね成功したといえる。

脳内補完的に書けばこうなる。「神格化」を「市民権」に戻したのはナイス。やりたくても社会主義派が弱くてできなかったのよねぇ。

第1次アドヘルバル政権でのトピックは2つ。
一つ目は514年9月にローマからマニウス・ポンポニウス・マトが亡命してきた事。総督を希望したんで叶えてやったら次の野望が「統治者になる」だったのでなんて大胆な野郎だなんて思ってしまった。

二つ目は南部地域で最後まで残っていた未入植地モーリタニアの植民が終わった事。

516年1月〜518年1月 ハスドルバル・ボスタリス(宗教主義)
また宗教主義派が政権を握る。

政治的に大きなトピックは無いが、516年11月にハンニバル・バルキスが老衰でこの世を去る。この後立て続けに人民主義派のスフェット経験者が黄泉路へ旅立つ事になる。


518年1月〜520年1月 マゴ・アヒロミス(人民主義)
開始早々牢屋へぶち込んだマゴ・アヒロミスがついにスフェットの座に就く。彼は組織的採用を「騎兵重視」に切り替える。

目立つ活躍は無し。あと519年7月、パルティバール・バルキスが老衰で亡くなる。

520年1月〜522年1月 ハスドルバル・ボスタリス(宗教主義)
ハスドルバル・ボスタリス第3次政権である。
ここも動かなかったので政治的なトピックは無いが、520年2月、先代のスフェットであったマゴ・アヒロミスが72歳で死亡する。

522年1月〜524年1月 ボスタル・マタニス(社会主義)
宗教主義、人民主義以外から久しぶりのスフェット誕生である。491年のバール・バールハニス以来の社会主義派スフェットである。

この時期はミッション関係のトピックが多い。

523年2月には「サグントゥムを支配下に入れる」が時間切れ。ペナルティは多少有ったがまあ仕方ない。

523年11月に与えられたミッション「異端者を公職から排除せよ」は条件がちょっと飲み込めずに人事が少し混乱してしまった。


それに関連して以前述べたローマからの亡命者マニウス・ポンポニウス・マトが523年9月に亡くなった。おそらく彼も条件の一人だったのだろう。

524年1月〜526年1月 ボミルカル・アフミス(軍事主義)
軍事主義派もアウルス・トゥッリウス・グラックス以来のスフェット就任になる。ここで大きなトピックは2つある。

一つ目が525年3月、スクリボニウス・ナシカが死亡したことで先のミッションが達成できてしまった事である。ま、偶然に助けられたと言って良いんだろうな。ちなみにスクリボニウス・ナシカはカンタブリ族最後の生き残りである。

二つ目が526年1月、法案:「シヴィタス・デセス法」を可決した事である。この法案を可決する事で自由民から市民への格上げが制限されるが重歩兵の規律が上昇する。市民権のおかげでどうしても自由民が不足しがちになる。自由民の不足は人民主義を活気づけるので自由民不足解消の足しに少しでもなればと思って法案を通した。重歩兵の規律上昇もこの後に来る戦いのことを考えれば十分メリットはある。

ちなみに法案を可決すると安定度は1下がる。

526年1月〜528年1月 ハミルカル・フィロシリス(宗教主義)
ここで宗教主義が政権の座に返り咲く。トピックとしては3度政権を担った宗教主義派の重鎮ハスドルバル・ボスタリスが526年10月になくなったことくらいだろうか。

528年1月〜530年1月 ハスドルバル・ナラヴィス(宗教主義)

528年8月再び「サグントゥムを支配下に入れる」ミッション発動。今度はしくじらないぞ。

530年1月〜 アドヘルバル(人民主義)
再びアドヘルバルが政権の座に返り咲く。今回は「職業軍人」をはずして「関税」を国策に採用する。彼は今回もまた寡頭共和制の条件通りに戻したのだ。しかも関税は技能レベルが上昇した事で採用できる新しい国策だ。関税という名でわかるとおり交易収入を増加させる。「シヴィタス・デセス法」のおかげで重歩兵の規律に関してはそう神経質になることはないので「職業軍人」をはずす判断も間違っていない。

本当にこの男は人民主義派なんだろうか。







ゲームにもいい加減慣れてきたので次回以降、外征に移る準備を始める予定。

追記

2009年09月21日

EUローマAAR連載第3回「宗教主義の勃興」

まずは国策を選ぶ。まずは前回の初期戦略どおり「騎兵重視」、「組織的採用」を選ぶ。もう一つは「市民権」を選んだ。「市民権」は市民政策の一つで軍の人的資源を司る自由民を研究を司る市民に格上げするものだ。

ここでミッション「南イベリアを植民地化する」が与えられる。このミッションの達成のためにはイベリア半島にあるバステタニ、トゥルデタニの両プロヴィンスの文明度を50%まで引き上げる必要がある。そのために交易を使うのだ。

ここからは各スフェットごとに項目分けして書いていきたい。(以下の年号はゲーム中で使われているローマ紀元暦AVC)

474年〜475年5月 ハミルカル(商業主義)
まずはマゴ・アヒロミスという人物を逮捕した。この人物は軍事8、カリスマ7という人民主義派の大番頭的な存在だ。アグバル・バルキスを排除してもこの男が活動し続ける限り、人民主義派は危険なままだ。

475年5月〜477年5月 ハンノ・マタニス(社会主義)
ようやく人材の再配置ができるようになってくる。将軍や提督になれるのはスフェット経験者(現役含む)か元司法官だけなので、司法官にはなるべく軍事能力の高い人物を配する。

477年5月〜479年5月 ハンニバル(宗教主義)
このハンニバル第1次政権は取り立て見るべき所なく平穏無事に過ごす事になった。

479年5月〜481年2月 アグバル・バルキス(人民主義)
努力むなしく人民主義政権が誕生する。人民主義派のいやなところは勝手に国策を変えてしまうところだ。今回は「騎兵重視」を「国家の信仰」(吉兆効果を上げる)に変えた。

ここでちょっとロールプレイ的発想をしてマゴ・アヒロミスを釈放する。

ところが481年2月末、アグバル・バルキスは老衰で死去。その後人民主義派閥を引き継いだのはマゴ・アヒロミスでは無く、ハスドルバルという人物だった。このハスドルバルはカリスマもそれほど高くなく、人民主義者たちを率いるには力量不足であった。ここに人民主義者達の没落は決定付けられた。
投獄したり、評判を貶めたりした結果なんだよね、これは。

481年2月〜483年2月 ボミルカル・エシュバリス(宗教主義)
人民主義派から政権を奪ったのは宗教主義派だった。ここから宗教主義派の大躍進が始まる。

ここでのトピックはなんといっても対カンタブリ戦だろう。カンタブリというのはイベリア半島北部に存在する部族国家だ。1プロヴィンスしか持たないその国を攻撃した理由はたった一つ、そのカンタブリの産物が鉄だったからだ。

上陸戦だったが取り立てて苦労する事も無く482年1月、カンタブリとの戦いは完全併合で幕を閉じる。ま、遠出した艦船をしまい忘れて、全滅させるような痛いミスはしたけれど。族長も捕らえたが人民主義だし、能力もぜんぜんだめな人だったので投獄したまま放置。結局族長はそのまま獄死したようだ。

カンタブリとタプススという塩(連隊編成速度を上昇させる)を産出するプロヴィンスとの交易ルートに組み替える。それから順次民兵部隊を重歩兵部隊へと切り替える。ただ一部の民兵部隊はカンタブリ防衛戦力として総督管轄下におく。

483年2月〜485年2月 カルタロ・エウゴリス(軍事主義)
人民主義以外の4派はそれぞれに対応する国策に変更するとき安定度の低下をもたらさない。軍事主義が政権を握った事で人民主義によって変えられた国策を戻す事ができる。だが鉄が手に入った今、重視すべきは重歩兵だ。したがって国策は「職業軍人」を選び重歩兵の規律を上昇させる。

彼がスフェットの時代、イタリア半島ではマグナ・グラエキアがローマ軍によって陥落。

この混乱から逃れたアウルス・トゥッリウス・グラックスという人物が我が国に保護を求めてきた。この人物が後に政治の表舞台に立つとはこの時誰も予想していなかった。


ボドメルカルト・ミルキラミス(商業主義)
トピックとしては技術レベルが上がり始めたって事かな。基本的に技術レベルそのものにはあまり意味は無い。技術レベルが上がるとおきる原理の発見が重要なのだ。この辺は「ヴィクトリア」に近い。

「建設」技術が上がった事で色々と施設が作れるようになったが、月収入が3〜5くらいで1つ作るのに40〜50かかるから、まあ大体1年に一つ作れればいい方。

ハンニバル(宗教主義)
第二次ハンニバル政権はアフリカ南部未入植地域

アフリカ南部未入植地域
に入植すべく軍を進めた。大体は目論見どおりに進んで、これらの地域への入植は完了したのだがその副産物として現れた蛮族の軍勢にタプススを占領され、あまつさえ首都カルタゴへの侵入を許してしまった。

カルタゴからは何とか蛮族軍を撃退したが、タプススを占領した蛮族はそのままそこに新たな国、マクシタニを建国したのである。

この状態を放っては置けない。安定度が下がるのを覚悟で宣戦布告に踏み切った。

489年2月〜491年2月 ハミルカル(商業主義)
489年3月、カルタゴ軍はマクシタニ領タプススへ侵攻。その戦いでカルタゴ軍は手痛い敗北を喫し、カルタゴへと退却した。それを追撃したマクシタニ軍はカルタゴを包囲、489年6月、ついにカルタゴは陥落する。

カルタゴは後方にいた部隊を動かし、タプススに侵攻する。マクシタニ軍はあわてて引き返したが、時すでに遅し。先の戦いで士気も兵力も失っていたマクシタニ軍はその戦いで敗北する。シチリア島守備軍もカルタゴに逆上陸。489年7月、カルタゴ軍はカルタゴを奪還した。同年8月にはタプススも落城し、マクシタニは建国1年にも満たずに消滅した。

この戦争について前スフェットであるハンニバルの責任を問う声も聞かれたが、すでに元老院で圧倒的な議席を確保している宗教主義派(ハンニバルはそのリーダーである)はそれらの声を押しつぶした。

これが戦いの顛末である。このマクシタニ戦争(命名:筆者)は筆者が敵戦力を良く確認もせずに突っ込んだことに問題があった。その為に1個軍が消滅する憂き目にあってしまった。

そしてこの戦争の間、何者かがかつてのスフェットで社会主義派の重鎮ハンノ・マタニスを暗殺した。犯人はおそらくエジプトではないかと推測している。証拠が無いのでどうする事もできなかったが。

491年2月〜493年2月 バール・バールハニス(社会主義)
これ以降はある程度の蛮族対策はしていたので、燃え広がる前に鎮圧できた。

491年10月、シチリア総督アミテロス・アフミスを暗殺したかどでエジプトのフィロンが捕らえられた。そのままフィロンは投獄される事となった。これでエジプトと開戦する為の口実はできたが、敵に対する強襲上陸を行なえるほどの海軍力は無い。陸軍で正面きって殴り合うのもごめんこうむる。今回は投獄するだけで済ませておいた。

そして492年7月、軍事主義派のリーダー、カルタロ・エウゴリスが亡くなる。その後を引き継いで軍事主義派のリーダーとなったのがマグナ・グラエキアから逃れてきたアウルス・トゥッリウス・グラックスであった。

493年2月〜495年2月 ボスタル・フィロシリス(宗教主義)
残っていたアフリカ地域の入植もこの頃完了。この時期の元老院はすでに宗教派が圧倒的勢力を誇っていた。

495年2月〜497年2月 マッタン・バールハニス(宗教主義)
宗教主義から2代続けてスフェットを出す事となった。

トピックとしては495年4月、最初のスフェットだったハミルカルが老衰で亡くなったことだろうか。

497年2月〜499年2月 アウルス・トゥッリウス・グラックス(軍事主義)
史上初めてフェニキア人以外からのスフェット就任である。

この時、捕らえていたフィロンを釈放する。

彼の目的はローマで投獄されていた友人を救う事だったが、それはひとえにローマと戦う事だ。今の段階ではまだローマとは戦えない。

499年2月〜 ハンニバル(宗教主義)
ハンニバルの第3次政権である。まだ取り立てて語れる事は無い。








501年1月現在の元老院議席
民主党もびっくりな宗教主義派の議席獲得数である。

501年1月現在の元老院議席2
数字として表すとこんな感じだ。宗教主義派が全議席の4分の3を占めている。スフェット候補も全員宗教主義派から選ばれている。それこそ宗教主義派内での派閥抗争といったところか。

次回はそんな状況からのスタートとなる。
追記

2009年09月20日

EUローマAAR連載第2回「国と人」

予告どおりまず自分と周りを見て、これからのグランドデザインを決めていこう。

内政、軍事、人物の3つの視点から国家を俯瞰していこう。

内政
内政は交易と国策という二つの要素に分割できる。

まずは国策から見ていこう。
国策選択
これは国策の選択画面だ。色がついているのが現在選択可能な国策だ。技術レベルの向上と共に国策の選択の幅は増えていく。

寡頭共和制国家政策
ここには寡頭共和制が選べる国策の種類が示されている。寡頭共和制は軍事、経済、市民の各政策を一つずつ選べるということを知っておいて欲しい。これに反した選び方(例えば宗教政策を選択するなど)をすると国家体制のボーナスが得られなくなる。

寡頭共和制の国家体制ボーナスは個人の財産の増加なので、こちらのメリットはほぼ無いと考えて良いと思う。となれば国策をどう選んでいくかということだ。
何を選ぶかの具体的なところは次の軍事に譲りたい。

交易ルートの構築はまずイベリア半島の文明度向上を最優先で考える。これはカルタゴに与えられる最初のミッションに関わってくる。交易はさらに次の軍事に大きく関わる問題を抱えている。

軍事
カルタゴ第1軍カルタゴ第2軍
これはゲーム開始時点での軍団編成だ。この他にトライリーム12隻で編成された第1艦隊がある。軍事に関しては問題山積み。まず第1に馬と鉄を産出するプロヴィンスが国内に無いので、騎兵も重歩兵も傭兵でしか雇えない。その上将軍の頭数が絶対的に不足している。(ゲーム開始時点で将軍、提督になれるのは現指導者ハミルカル一人だけ)

馬は属国であるヌミディアとの交渉で楽に手に入る。鉄が手に入るようになるまでは重歩兵の事はとりあえず考えない。当然軍事政策も「騎兵重視」を選んでおく。

指揮官の頭数に関してはそれこそ時間が解決してくれるのを待つしかない。地方総督に軍を委ねて、防衛は任せる。

そしてカルタゴは鉄が手に入らない代わりにテベステで戦象兵が手に入る。これを利用しない手は無い。

以上の条件から軍団編成は
民兵8、弓兵4
騎兵10、弓騎兵2
民兵6、象兵2、弓兵4
を基本単位とする。民兵は鉄が手に入り次第、重歩兵に切り替えていく。経済政策で「組織的採用」を用い軍の召集を早める。

人物
元老院はスフェット(指導者)が誰になるかを決めるのに加え、指導者の政治運営にいろいろと注文をつけたりする。
ゲーム開始時の元老院議席
元老院には100議席有り、軍事(赤)、商業(黄)、宗教(青)、社会(緑)、人民(黒)の5つの党派がせめぎあっている。このうち人民主義は扇動政治家の率いる「何でも反対」党といったところで政権を取ったら取ったで色々ペナルティはあるわ、野党となって勢力を伸ばしすぎれば内乱を誘発するわ良い所の無い連中だ。(この人民主義という訳語は○○とか○○○○○とか○○○などの国々を想像してしまって妙に合っていると思ってしまった)見ての通りゲーム開始時点では5つの派閥はほぼ拮抗している。
各派閥の政治牽引力
それを動かしていくのが、この各派閥の牽引力だ。何が影響するかは表示されているので分かると思う。ここで注目すべきは人民主義の牽引力が高いことだ。
要注意人物アグバル・バルキス
それを引き起こしているのがこの男、アグバル・バルキスだ。軍事的才能は0だが、カリスマが8。まさに扇動政治家になるために生まれてきたような男だ。こいつが人民主義者たちを引っ張っているのだ。速やかに排除したいところではあるが、下手に逮捕しようすると亡命されたり内乱を起こされたり色々と大変な事になる。亡命されるならまだしも内戦を起こされたらたまったもんじゃない。暗殺という方法もあるが、決して安くは無い金をつぎ込んでも成功する確率は高くない。それに金は軍事力の整備につぎ込むべきで、こんな事に無駄遣いできる余裕は無い。

今の段階でこいつに対してできることは評判を貶めて政権の座につき難くする事くらいか。これだって金はかかるが、暗殺に比べれば半分以下の出費で済む。

それ以外の人物についてできることは人民主義者の人物に以外の称号を与えて、人民主義に走るのを防ぐ事くらいしか無い。いろいろ出来るようになるのは2年経って官職をペナルティ無しで異動できるようになってからという事になるだろう。



国内情勢を一通り俯瞰してみた。とりあえず外征は将軍の頭数が揃ってからということになろう。

いよいよ次回から本格スタートだ。予定としてはまず「ヴィクトリア」でやったような方式を取る。そして70年くらい経ったら、一人の人物を主人公に描いていくような形に挑戦してみたい。

2009年09月13日

EUローマAAR連載第1回「古代世界への旅立ち」

まずやるべきことは世界を俯瞰し、どこの国ではじめるかを決めることだ。

勢力としては以下の3つに大きく分けられる。

・この世界を主導する大国
・規模の小さい文明国
・文明化されていない部族国家

大国と呼ぶべき国はローマ、カルタゴ、エジプト、セレウコス朝シリア、マケドニアの5つがある。今回のAAR連載はこれらの国で始める事としたい。

この5つの国はまた大きく二つに分けられる。ゲームスタート時点で共和制である国(ローマ、カルタゴ)と君主制である(エジプト、セレウコス朝シリア、マケドニア)国だ。

今回は共和制に挑む事にする。理由は以下の通り。

・以前のテストプレイで君主制のマケドニアを選んだので目先を変えたかった。

・「ヴァイア ヴィクティス」となって共和制に色々な独自システムが生まれた事。

共和制ということになると、ローマかカルタゴかということになる。ローマは確かにこのEUローマの主役だが、ここはあえてその主役に背を向けてカルタゴを選ぶのが、このAAR連載らしいと勝手に決め付けたのでカルタゴを選ぶ事にする。

あと今回のローマはさらにPC環境が厳しく、安定性がちょっと悪い。(「クルセイダーキングス」よりはましなようだが)その辺でAAR連載が遅れたりする可能性があることをあらかじめ述べておきます。

次回はいつも通りまず自分と周りを見てこれからのグランドデザインを決めて行きたいと思う。



2009年01月03日

EU3AAR連載第3幕第12回「反省会」


オリッサAAR最終結果これがオリッサの最終的な領土である。今回もこちらからあまり積極的に仕掛けることは無く、売られたけんかを買うことでここまで勢力を伸ばしてきたのだから、もう少し積極的に仕掛けていればもうちょっと勢力を伸ばせたのかなというのが正直な感想だ。

それとここでは書いてこなかったけど、軍の維持費に結構な額を持ってかれたのはかなり痛かった。これに関してはもう少し効率的な軍の配置を行なっていればかなり節約できたのではないかと思う。



オリッサAAR交易状況それとこれがオリッサが最終的に独占した交易中心地の数々だ。この収入が今回大きな助けになった。最終的には自国内に交易中心地を持つことを目標の一つにしていたのだが、先ほど述べた軍の維持費なんかで資金がたまらず結局その目標が達成できなかったのは残念無念。







次はAAR記載に関しての反省点を。

後半、かなりやっつけ的になってしまったのは自分でも反省しなきゃならない。戦略、戦術という年表からだけでは見えてこない物をどう記述していくのか、これが最大の懸案事項だろう。その辺も含めて記載フォーマットはまだまだ改善の余地はありかな。


反省はこのくらいにして最後は全体的な総括を。

こうして今回ヨーロッパを離れてインド地域でプレイしてみたのだが、普段のヨーロッパでのプレイとは一味違ったなかなか新鮮な感触があった。

世界的に見ると、今回ヨーロッパが「インノミネ」の影響をもろに受けていたと思う。普段なら独立なぞしない(してもお話にならないほど小さく収まってしまう)南北アメリカ大陸が独立を果たし、あまつさえヨーロッパに逆侵攻したり、過去のAARの時には成立しなかったロシアが誕生したりヨーロッパ情勢はそれこそ自国そっちのけで眺める程楽しかった。

となれば、次にやるならばその変化を体感する為にまたヨーロッパ諸国に戻ることになるだろう。

だが、今はここで一旦おさらばとしたい。さて次の企画はどうしようかな。