2011年08月15日

ヴィクトリア2AAR連載第1回「いやな流れ」

ずいぶん間が空きましたがAAR連載第1回です。まずは今回のテーマに沿った年表を。
1838年10月 フランスが我が国を勢力圏に取り込む
1839年8月 フランスと軍事同盟を締結
1841年8月 両シチリア王国に宣戦布告
1842年9月 両シチリア王国がフランスと和平
1846年5月 大国になる
1848年11月 エジプトに宣戦布告
1849年8月 フランスが同盟を破棄
1849年12月 大国から陥落
1850年2月 エジプトからの和平の申し出を受諾
1851年2月 再び大国に
1856年5月 また大国から陥落する
1864年6月 両シチリア王国に対し、「ステートを獲得」の大義名分を得る
1864年7月 両シチリア王国に宣戦布告
1866年1月 両シチリア王国と和平
1866年5月 フランスと軍事同盟を締結


フランスの勢力圏に入ったのを見計らって両シチリア王国に宣戦布告をしたところまでは良かったが、1846年5月に中途半端に大国になってしまった。想像通りフランスからの同盟も切られ、さりとてオーストリアと正面きって戦うほどの戦力もない。起こした3つの戦争で順調にステートを獲得しているので、イタリア統一イベントが起これば間違いなく我が国が対象になるだろう。だがここまでイベントが起こる様子もない。こりゃどうもいやな流れだなあ。

あとAAR記載方式にしてもぜんぜん納得のいく出来ではないので、この辺もどうしてやろうかと思案のしどころ。
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2011年07月04日

ヴィクトリア2AAR連載 第0回「イタリア統一への道筋」

さていよいよAAR分室再起動。まずはかねてからの予告どおり「ヴィクトリア2」のAAR連載から始めよう。

前作同様サルデーニャ・ピエモンテで始めるか、初心者向け国家である日本で始めるかでちょっと悩んだが幾度かのテストプレイを通じてイタリア統一の道筋が見えてきた気がするので、それを確認する意味でもサルデーニャ・ピエモンテで始めることにする。

最初にやるべきことは初期状況の把握とこれからの道筋についての確認だ。
サルデーニャ・ピエモンテ初期状態.png
イタリア半島北部の明るくなっている部分がサルデーニャ・ピエモンテ領だ。この時代のイタリア情勢に関しては前作のときも説明したがサルデーニャ・ピエモンテ、教皇領、両シチリア王国、パルマ、モデナ、トスカーナ、ルッカの6カ国に分裂している。

前作ならばまず北部のパルマとモデナをを併呑して、教皇領の領土をローマのみに追いやり、同盟が切れた後にトスカーナをつぶして、平和条約が切れた後にローマを踏み潰してその足で両シチリア王国の首都ナポリを制圧してしまえばイタリア統一は成った。だが今作ではこの道筋は使えない。まず一つ目にパルマ、モデナ、トスカーナ、ルッカの4カ国はオーストリアの勢力圏に入っていて、宣戦布告するともれなくオーストリアが付いてくる。パルマ、モデナを併呑する前作のやり方ではオーストリアと正面きって戦う覚悟がなければならないということだ。当然それは自殺行為に他ならない。(前作と違って同盟に期限が無いので同盟切れの時期を狙うというやり方も使えない)

イタリア統一イベントのキーとなる「進め!イタリア」という決断の発生条件は以下の通り。
進め!イタリア 条件.png
最後の一文が少しわかりにくいが(これは邦訳のせい)、要するにイタリアの中核プロヴィンスすべてを領有するか、それを持つ国家すべてを勢力圏下に収めるかすれば良いという事だ。イタリアの中核プロヴィンスのうちロンバルディアステートに属する3つのプロヴィンスをオーストリアが領有しているというのが最大の問題となる。前作と違ってプロヴィンスや技術を金でやり取りできないので、オーストリアとは一戦交えて勝ち取るしかない。

この条件を満たさなくともガリバリディの千人隊(反乱勢力)がどこかの国(たいていルッカ)を制圧して365日過ぎるとイタリア統一イベントは発生する。これは当然運にも左右されるし、統一する国家がどこになるのかは国家の順位で決まってくる。統一する機会が無いからといって漫然と過ごしていると両シチリア王国に統一イタリアの栄誉を奪われる憂き目に会う。(人口の多い両シチリア王国は工業化でかなりの得点を稼ぐため上位につくことが多い)

ここまで考えるとイタリア統一への道筋は閉ざされてしまっているかのように見える。だがか細くとも道筋は確かにあるのだ。

それが先のテストプレイで見つけたこの道筋だ。

1、フランスの勢力圏に入る。
まずは無理に大国入りを狙わず、フランスの勢力圏下に入ってしまう。これはかなり早い段階で可能。フランスの勢力圏下に入ればほぼ確実にフランスと同盟が組める。美学を集中して研究すれば大国入りも可能だが、それを維持するのはきわめて困難。

2、技術開発は陸軍と工業重視で
サルデーニャ・ピエモンテの研究タイプは軍産複合体である。これは陸軍と工業技術の開発時にボーナスがつくが、海軍と文化技術の開発にペナルティがつく。ここからも文化技術の開発は非効率的であることがわかる。ただ哲学は研究効率を向上させる効果を持っているので優先する。

3、オーストリアの隙を見逃さずロンバルディアを奪い取る
オーストリアはたいていプロイセンと戦争はじめる。そこを逃さずロンバルディアを奪い取るための兵を挙げる。ただこれにはフランスの参戦という絶対条件がある。これ無しではまず勝ち目は無い。もしロンバルディアを取れれば(和戦の主導権がフランスにあるのが悩ましいところ)、大国を目指して邁進あるのみ。

4、千人隊に期待しつつ、決断を成立させるための努力を怠らない
おそらくはこの段階で大国の末席にいるはずだから、イタリア半島各国を勢力圏に収める作業を行う。両シチリアを蹴落とすための出兵というのも良いかもしれない。そうしている間に千人隊のイベントが起きてイタリア統一は成るだろう。

前のテストプレイではこれがうまく行った。だが今回はうまくいくだろうか?

と、こんなところでいよいよゲームスタート。





早速訂正:
トスカーナを入れるのを忘れていたので追加しました。
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2009年05月28日

ヴィクトリアレボリューションAAR連載Side A最終回「軌跡、そして新たなる世界へ」

まずは自国史を中心とした年表を示していきたい。

年表
1836年1月 サルディーニャ・ピエモンテ チュニスに宣戦布告
1836年10月 チュニス併合
1838年2月 第1次イタリア統一戦争勃発。サルディーニャ・ピエモンテ、モデナに宣戦布告。パルマおよび教皇領、サルディーニャ・ピエモンテに宣戦布告
1838年3月 パルマ併合
1838年5月 モデナ併合
1938年8月 フェラーラで行軍中の部隊の一つが反乱を起こす
1839年5月 第1次イタリア統一戦争終結。
1845年4月 サルディーニャ・ピエモンテ全土で自由主義革命運動が始まる。
1846年1月 オーストリア、スイスに宣戦布告(各国の外交圧力に押され、軍事行動には移らず)
1846年3月 フランス、スイスに宣戦布告(〜1847年5月)
1846年3月 フランス、イギリスに宣戦布告(〜1855年11月)
1846年5月 選挙法施行、初めての議会選挙始まる。
1847年3月 シュレスヴィヒ問題を巡ってオーストリア、デンマークに宣戦布告(〜1847年4月)
1849年1月 第二次イタリア統一戦争開戦。サルディーニャ・ピエモンテがトスカーナに宣戦布告
1849年4月 トスカーナ併合
1849年5月 教皇領に再び宣戦布告
1849年8月 教皇領を併合
1849年9月 両シチリア王国に宣戦布告
1849年10月 ナポリ陥落。サルディーニャ・ピエモンテ、イタリア王国建国を宣言
1850年3月 自由主義革命運動、下火に。イタリア王国反動政治始まる
1851年2月 反動政治終わる。選挙法再施行。
1856年4月 フランス、スイスに宣戦布告(〜1856年6月)
1856年10月 ロシア、オーストリアに宣戦布告(〜1856年11月)
1863年1月 オーストリア、デンマークに宣戦布告(〜1863年1月)
1863年2月 プロイセン、デンマークに宣戦布告(〜1864年3月)
1866年1月 普墺戦争勃発。プロイセン、オーストリアに宣戦布告(〜1867年1月)
1866年5月 イタリア、独自にオーストリアに宣戦を布告
1867年5月 イタリア軍、ウィーン入城。イタリア、オーストリアと和平(筆者命名:ウィーン条約)
1870年6月 普仏戦争勃発
1872年1月 普仏戦争終結。ドイツ帝国成立
1884年5月 イタリア、オーストリアに宣戦布告
1884年11月 イタリア、オーストリアと和平
1885年4月 選挙の結果、政権が穏健主義派から国家自由主義派に移行する
1890年1月 穏健主義派、政権を奪還
1891年6月 モンテネグロがオーストリアに宣戦布告。これをきっかけにドイツ、ロシアもオーストリアに宣戦布告。(〜1891年11月)
1894年10月 再び国家自由主義派が政権を担う
1901年5月 フランスと軍事同盟を締結(〜1906年)
1905年6月 アブダビ併合
1905年8月 オマーン併合
1915年11月 ドイツとロシア、オーストリアに宣戦布告(〜1916年2月)
1918年11月 フランスと軍事同盟を締結(〜1923年11月)
1919年1月 ロシアと軍事同盟を締結(〜1929年4月)
1920年1月 ネジド併合
1928年5月 ロシア、オーストリアに宣戦布告。イタリア参戦(〜1928年10月)
1928年5月 エチオピア併合
1929年1月 ロシア、オスマントルコに宣戦布告。イタリア参戦(〜1929年4月)
1929年8月 イタリアで全国ラジオネットワーク設立
1930年2月 トリポリ併合
1934年4月 ロシア、オーストリアに宣戦布告(〜1935年6月)

この年表を元にSide Bのショートストーリーを組んでいく予定だ。


コンバート結果

ハーツオブアイアンへコンバートした結果(マップ)








ハーツオブアイアンへコンバートした結果(技術)ハーツオブアイアンへコンバートした結果(政治)








ちょっとプレイしてみたら、イタリアがいきなりフランスに宣戦布告されたり、ロシアとオーストリアがトルコと戦争を始めるなど、いつに無く騒がしい展開が目の前で展開されていた。なんかこのまま続けても面白そうな気がしてきた。

まあ、今のところやる予定は無いんだけどね。

ついでに今後の予定ですが、Side Bはかなりのんびりしたペースでやるつもりなので、長期連載と並行させるつもり。

長期連載はどちらも新パッチがリリースされた、「EU3」か「EU:R」かどちらかになる予定。

では今後ともよろしくお願いいたします。 
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2009年05月24日

ヴィクトリアレボリューションAAR連載Side A第8回「これが最後の・・・」

ずいぶんと間があきましたが、ヴィクトリアAARもいよいよ最後の追い込み。がんばっていきましょう。

まず手始めにエチオピアへの侵攻を画策する。その為に少しアフリカ方面軍を増強する。そして1922年7月エチオピアに植民地戦争の宣戦を布告する。この戦争について語るべきことは無いな。1923年3月にはいつも通り首都以外の全領土割譲と屈辱で和平を締結する。そして獲得した領土に鉄道を整備する事も忘れずに。1928年にはエチオピアを完全併合。

続いてアフリカに唯一残った非文明国であるトリポリにも1924年3月に宣戦布告。同年11月いつもの条件で和平を締結。こちらも1930年には完全併合した。

実は前回書き忘れていたが、我が国はロシア、フランスと個別に同盟を結んでいた。フランスとの同盟はすぐに切れてしまったが、ロシアとの同盟が我が国を戦争へと導く事となる。

1928年5月、ロシアはオーストリアに宣戦を布告。我が国にも参戦の要請が舞い込んでくる。とりあえずロシアとの同盟を尊重し、参戦する。だが我々はすでに国境要塞の建設を終え、安定期に入っている。したがって動員も行なわず、バルカン半島方面に軍をわずかに進めたのみで後はロシアにお任せ。

1928年10月、同盟の主導国たる我が国にオーストリアから和平の提案がなされる。我が国にもクロアチア方面とドイツ方面の一部領土を割譲する条件だ。ロシアには悪いが断る理由は無い。

続いて1929年1月、ロシアはオスマントルコに宣戦を布告。同様に我が国にも参戦要請が来る。これは快諾。だが北アフリカ方面にもアラビア半島方面にもほとんど軍を配備していなかったのでそこら辺が結構侵食されてしまった。だがロシアが普通に侵攻してくれれば問題は無い。北アフリカ方面に新編成の正規軍(新開発の航空機部隊が付属している)を派遣し、反撃を開始する。

1929年4月、また我が国に和平提案が持ち込まれる。これを受諾する事で我が国はアラビア半島の全域と北アフリカの一部を手に入れる。

ここでアラビア半島の国家をいくつか自治領として独立させる事とする。取り立てて大きな理由があるわけじゃない。独立国家を作れば好戦性が下がるけど、それだって焼け石に水のレベルだ。

戦争が終わったらロシアは同盟の更新を止めやがった。ずいぶんと勝手なもんだ。

その後は戦争を起こす事も起こされる事も無く、平和裏に過ごす。ロシアはまたオーストリアに宣戦を布告したようだが、それはもうこちらのあずかり知らぬ事だ。1929〜1933にかけての「大恐慌」もこちらにそれほど大きな影響をもたらす事は無かった。

この期間に資本家たちが新設を始めた工場は以下の通り。
1922年11月 ワイナリー(ティロル)
1923年1月 汽船製造所(ピエモンテ)
1923年5月 製紙工場(ナポリ)
1923年8月 飛行機工場(ウンブリア)
1923年12月 ガラス工場(ロンバルディア)
1925年8月 高級服工場(サルディーニャ)
1927年3月 製材所(ラティウム)
1927年8月 製紙工場(トスカーナ)
1927年9月 高級服工場(ナポリ)
1927年10月 電気部品工場(ピエモンテ)
1929年2月 衣料品工場(ロンバルディア)
1929年10月 製鉄工場(ウンブリア)
1929年11月 自動車工場(ティロル)
1929年12月 飛行機工場(ナポリ)
1931年3月 ラジオ工場(ピエモンテ)
1931年12月 蒸留酒製造所(トスカーナ)

最終結果
1935年12月のヨーロッパ1935年12月のアフリカ







1935年12月のアラビア半島







これが最終的なイタリア領だ。そして下のキャプ画像が最終順位を表したものだ。
順位表








我が国の順位はイギリスとドイツについで3位となった。
結果詳細






より詳細な結果がこれ。

ゲームを終えたところで、反省会だ。まず何よりも最終回のアップが遅れてしまったのはお詫びのしようもない。それにつれて最後も結構やっつけになってしまったのも反省せねばなるまい。

まだまだ見切り発車的なところがあったな、というのが総括となるかな。そこら辺は今後の検討課題としよう。

ゲーム的な反省点はそれほど多くない。イタリア統一に至る過程は何べんもテストプレイをしただけあって、ほぼ完成されていると言っていい。その後の展開も何回かトライ&エラーをしたとはいえ、ほぼ理想的な形でのイタリア領回復となった。さらに上を目指すならば、更なる積極性が必要となってくるだろう。

次回はイタリアの歩みを中心にした年表を記し、今回の結果を「ハーツオブアイアン」にコンバートしたらどうなるかを示して最終回としたい。

この年表がSide Bの元となるはずだ。
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2009年03月30日

ヴィクトリアレボリューションAAR連載Side A第7回「資本家たちの世紀」

次の目標に定めたのはエジプトでもエチオピアでもなく、ネジド(サウジアラビア)だ。理由は色々あるんだけど、大きいのはネジド領の一つがイベントでわが国の領土とみなされたのが一番大きな理由。

ネジドには1901年2月に宣戦布告。特に苦戦することもなくその年の11月には首都以外の全領土割譲と屈辱で和平を結ぶ。このネジドを併合したのは1920年になってから。

1905年にアブダビとオマーンに止めを刺す。6月にアブダビ、8月にはオマーンを併合。

選挙の結果は相変わらずの国家自由主義派政権だし、戦争を起こす気も無いので、あまりやることが無い。(実際の歴史だと第1次世界大戦とかあって、忙しかった時代だけど)だからいつもの植民地開発とインフラ整備以外に以下の事を行なった。
・海軍の増強。
今までスルーしてきたんだけど、ようやっと余裕ができてきたので、艦船の建造を始める。海軍技術はフランスやスペインあたりから買えばいい。

・国境要塞の建築
独仏墺各国境地帯に要塞を建造する。もちろんそこに部隊を配備して、不意の戦争に備える。

退屈しているプレイヤーをよそに資本家達は大忙しだ。
1901年4月 爆薬工場(パルマ・モデナ)
1902年6月 機械部品工場(ナポリ)
1903年4月 製紙工場(ピエモンテ)
1905年3月 家具工場(パルマ・モデナ)
1905年9月 衣料品工場(トスカーナ)
1906年8月 染料工場(ウンブリア)
1912年11月 燃料精製所(ピエモンテ)
1913年3月 大砲工場(ウンブリア)
1913年9月 汽船建造所(トスカーナ)
1914年1月 高級服工場(パルマ・モデナ)
1914年1月 家具工場(シチリア)
1914年6月 ガラス工場(ラティウム)
1914年7月 ワイナリー(ピエモンテ)
1916年12月 蒸留酒製造所(サルディーニャ)
1917年7月 汽船建造所(ラティウム)
1917年12月 製紙工場(シチリア)
1918年5月 衣料品工場(ピエモンテ)
1918年10月 ワイナリー(ロマーニャ)
1919年4月 高級家具工場(ロンバルディア)
1919年4月 電気部品工場(ティロル)
1920年6月 高級服工場(ピエモンテ)
1921年7月 製材所(シチリア)
新設の工場だけでこれだけある。このほかにも既存の工場を拡張したり、鉄道整備を肩代わりしたりしている。ここまでたくさん工場ができると作業員の確保に一苦労。作業員確保の為に農民や鉱山労働者を転職させたり、4万人以上のPOPを分割したりして対応しているが、それでも限界がある。特にティロルの電気部品工場は工員の確保が事実上不可能なので、製材所を一旦閉鎖して電気部品工場に送り込んだ。(電気部品は自動車などの利幅の大きい製品の原材料となる)木材の生産が落ち込んだ分はナポリの製材所の拡張で補おうとしたんだけど、シチリアの資本家がいち早く反応しやがった。

あと汽船建造所作りすぎだ!どうしても人員が賄えなくなったら、一番に閉鎖してやる。

トピックとしては1910年あたりから旧オマーンやアブダビあたりでRGOが石油に変わった事とか、イギリスからプロヴィンスを買い上げたりしたことくらいかな。結局エチオピアにもトリポリにも手を出さなかったし。

このヴィクトリアレボリューションAAR連載Side Aも次回いよいよ最終回。気を抜かずに最後までやり抜こう。
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2009年03月12日

ヴィクトリアレボリューションAAR連載Side A第6回「果たすべきこと」

20世紀になる前に果たすべきことは2つ。
・イストリアとティロル全域(これはできればでいい)を領土とする。
・ソマリランドの領有主張

1番目はオーストリアともう一回戦争をすれば、事足りる。2番目は簡単そうだが、問題が一つある。それがこれだ。

ソマリランド1881見ての通り、ソマリランドにはオマーンの交易所が一ヶ所あるのだ。これを取り除かねばソマリランドの領有主張はできない。先遣建築物を持つことができるステートは4つまでなので、ここで一つ食いつぶされるのはよろしくない。

方法としては手軽な方法と面倒な方法の二通りがある。

手軽な方法としては戦争に訴えること。この方法は極めてお手軽だが、国威の消費も激しい。その上戦勝+領有主張での上昇分だけでは、失った国威は取り戻すまでには至らない。

面倒な方法はお金や技術で土地を買い上げる事。この方法では国威の下降は無い(+植民地領有主張で国威が上昇)が、成功率を上げるためには大量のお金と外交ポイントが必要。

結論としてはお手軽に戦争に訴えるほうを選ぶ。だがそれは今じゃない。もうちょっと先の話だ。まずはオーストリアを片付けよう。

だが、その前にやることがある。兵士を除隊させ、生産体制を整えるのだ。正直言ってこれをやるのを忘れてた。代表的なのはローマのPOPだ。

ローマPOPローマは住民のほとんどが兵士になってる・・・。これは何とかしなきゃいけない。

戦争を控えた今のタイミングでこれをやるのがベストなのか?という疑問は付きまとう。しかし、世論で穏健主義派を猛追している国家自由主義派が政権を握ると、軍事政策が「攻勢主義」になって兵士の除隊ができなくなる。故にタイミングとしてはここが最後なのだ。その他でも兵士POPが複数のところがあるので、それもできる限り除隊させる。最後にパルマとモデナは兵士POPが一つしかないが、抱えている数が多いので分割して、除隊させる。ローマの兵士を大量除隊させると失業者があふれる事になるが、そこはRGOの拡張で解決する。でもローマのRGOは果物なんだよな・・・。

それが終わったら防衛予算を最大に引き上げる。これで人員確保は問題ない。その上、指揮官の登用もできるようになる。

続いてスペインと技術交換をする。なぜ金銭での買取では無く、技術交換なのか?そしてその相手先がなぜスペインなのか?

こちらから出せる技術が無いので、フランスとは技術交換できないという事情がある。戦争のことを考えると金銭の消費は最小限に抑えたい。故に交換での技術取得になる。ただし、スペインともそうそう技術交換はできない。いずれ、主な取引先はフランスに戻るだろう。開発自体は陸軍技術中心のシフトにする。当然これは次の戦争を見越してのことだ。指導力も20になりしだい、どんどん将軍を登用していく。

植民地の開発の兼ね合いなどで、動員令を発令したのは1884年の1月だった。動員部隊の集結が完了した、1884年5月にオーストリアに宣戦布告。

圧倒的戦力で侵攻したわが軍の前にオーストリア軍はなす術も無かった。1884年11月、イストリア(トリエステ、イドルスコ、ポーラ)、ティロル全域(ブレゲンツ、インスブルック、リーエンツ)そしてフィウメ、ポストイナ、リュブリャナの各プロヴィンスをオーストリアが割譲することで和平が成立した。結局、戦争自体は1年とかからなかった。

これでしばらくはオーストリアと戦争する必要も無いだろう。ちなみにティロルの工場は「製材所」と「製紙工場」(工員POPが無いので、ただの箱状態だが)でイストリアは「蒸留酒製造所」だった。


国家自由主義派の政策




1885年4月の選挙で、国家自由主義派に政権が委ねられた。国家自由主義派の政策は経済政策と貿易政策は穏健主義派と同じ「介入主義」で「保護貿易」だが、宗教政策とマイノリティ政策は「信教の自由」と「完全な市民権」となり、より開明的になる。軍事政策は先に述べたとおり、より攻撃的な「攻勢主義」になる。

1885年6月、マウレタニアステートを領有。そのままオードステート(マウレタニアの西隣)に進出を開始。
8月、コモエステートを領有。
9月、ギニアステートに進出、ウォロドゥグステート領有。

1886年1月、カザマンスステート(セネガルの南)に進出。
進出もこれでひと段落。いよいよ対オマーン戦の準備にかかる。相手は所詮非文明国、正規軍は増強するが、予備役を動員する必要は無い。

国内ではパドヴァとパレルモで失業者が発生するが、これはあえて放置する。こういう失業者を放置しておくと、奴らは勝手に職を求めて、移住を始めるのだ。行き先はイェブティ。新天地を求めての旅立ち、といえば聞こえはいいけど、要するに職にあぶれて食い詰めた連中が働き口を求めて海を渡っただけなんだよな。

1886年11月、オマーン侵攻軍を乗せた艦隊がアンガマ湾、そしてオマーン湾に到着した。この時点でオマーンに植民地戦争を布告。その直後に軍は上陸を敢行。オマーンの首都マスカトはほとんど抵抗できぬまま陥落する。

オマーンと同盟を結んでいたアブダビも参戦するが、全く問題なし。それどころか手間が省けて、ラッキー。海軍の維持費は最低のままだが、海戦にも全く支障なかった。

1886年12月、モゲデシュを手に入れたことでソマリランドステート全てにイタリアの先遣建築物が建った。これでソマリランドステートが領有できる。

全領域を占領するのに少し手間取ったが、1887年12月には両国と首都以外の領土の割譲と屈辱で和平を結んだ。反乱対策の為に2部隊をオマーンに残し、残りはソマリランドへと移る。次なる植民地戦争の目標はエチオピアかエジプトか。

1889年9月、進化論のイベントが起こる。このイベントによって聖職者が持っていた研究ポイントへのボーナスが少なくなる。現在の政策は「信教の自由」なので、聖職者を還俗させることができる。いくつかの例外を除いて、聖職者を農民や鉱山労働者に変更する。やっぱりローマには聖職者がいないとね!

1890年の選挙では穏健主義派が勝利する。これは聖職者の還俗が影響を与えたのだろうか?

だが次の選挙では国家自由主義派が勝利する。

1898年4月、我が国で「国粋主義と帝国主義」の開発が終了する。この技術によってさらに生存性の下限が下がり、今まで入植できなかったところにもいけるようになる。

1899年の選挙も国家自由主義派が勝利。

失業者は移民するに任せて、アフリカへ植民、鉄道の敷設をしながら、19世紀を終わらせる。

次回からいよいよ20世紀に突入する。











この20年で資本家が建て(始め)た工場(括弧内はステート)
1883年1月 家具工場(ピエモンテ)
1884年1月 製鉄工場(トスカーナ)
1887年3月 蒸留酒製造所(ピエモンテ)
1890年8月 ワイナリー(ロンバルディア)
1891年12月 製紙工場(パルマ・モデナ)
1893年11月 汽船製造所(ウンブリア)
1900年9月 高級家具製造所(ピエモンテ)
1900年9月 汽船製造所(ヴェネツィア)
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2009年03月07日

ヴィクトリアレボリューションAAR連載Side A第5回「取り戻す為の戦い、そして未知の大陸へ」

1866年1月、イタリアはプロイセンがオーストリアとの戦いに踏み切ったのを機に動員令を発令する。

政府は南部オーストリアに圧力を加える為だとコメントした。しかし、その言葉を額面どおり信じる者など、誰一人いるはずは無かった・・・

まぁ、やったことはこの文章の通りです。

1861年5月、イタリアはオーストリアに宣戦布告、全軍を挙げてオーストリア領に進撃を開始した。

プロイセンとの戦いの為にイタリア国境の部隊を引き抜いていたオーストリアは完全に虚をつかれ、大した抵抗もできぬままイタリア軍の侵入を許す。

プロイセンとの戦いを終えた時はすでに、イタリア軍はウィーンに迫っていた。

1867年5月、イタリア軍はウィーン入城を果たす。同月、ウィーン条約を締結。これによってイタリアはイストリア地方を除く、「未回復のイタリア」を取り戻したのである。

これが「取り戻す為の戦い」の顛末である。この戦いはかなりあっけなかった。あからさまに軍を国境に集結させたのにそれに対する備えもしないで、対プロイセンに戦力をかけるオーストリアAIの馬鹿さにかなり救われた。

だが、これでオーストリアとの戦いが終わったわけではない。まだイストリアも残っているし、トレントとボーツェンはティロルステートの一部に過ぎない。これを取り戻してようやく、オーストリアとの戦いは一段落ということになるのだろう。

ちなみにステートを丸ごと手に入れると、そこに建てられている工場も手に入る。今回手に入れたロンバルディアステートには「織物工場」が、ヴェネツィアステートには「ガラス工場」がそれぞれ建てられていた。

この後は相変わらずの工業化と鉄道敷設だ。まずピエモンテステートにある製鉄工場の拡張(介入主義では新規の工場の建設はできないが、既存の工場を拡張させることは可能)を行なう。鋼鉄はまだまだ必要だ。
世界市場のスライダを調整して、工員と事務員を作れるようにした。(ちなみに工員を作る為には1000£とタバコ、コーヒー、紙が10、衣料品が5必要。事務員には2400£と紙が10、貴金属、ワイン、衣料品、家具が5、高級家具と高級服が1必要)

それと研究ポイントが余り始めてきたので、フランスと技術の取引を行なう。

1874年1月にトスカーナのガラス工場が壊滅した他は平穏な時代であった。

転機が訪れるのは1875年9月に「機関銃」の応用科学が開発された時だ。この「機関銃」の技術は陸軍の防御力を引き上げてくれるだけではなく、入植に必要な生存性の下限を引き下げてくれる。(微妙にいや〜な気持ちがするのは気のせいだな、うん)

これでかなりのプロヴィンスに先遣建築物を建てることができる。まずはイェブティとルックタウンに要塞を建てる。両方とも1プロヴィンスに先遣建築物を建ててしまえば、植民地として領有主張できる。しかもイェブティはソマリランド(史実ではイタリアの植民地となった)に隣接し、ルックタウンのRGOはコーヒーなので、工員を作る為にコーヒーを輸入する必要が無くなる。なぜ要塞なのか?それはね、まだどこも汽船を輸出してくれないのよ・・・。ウチの資本家どもは汽船製造所を建ててくれないし。(要塞以外の先遣建築物には汽船が必要)

そんなことを言っていたら1877年6月、ナポリの資本家が汽船製造所の建設を始めてくれた。ナポリなら工場で働く為のPOPの確保も問題ない。(ほんとはラティウムかトスカーナに作って欲しかったんだけど、贅沢は言ってられめぇ)

汽船を作ることができれば、先遣建築物を建てることができる。まず、以下のプロヴィンスに先遣建築物を建てることにする。(括弧内はステート名)

ヌアクショット(マウレタニア)
ドゥータ(ウォロドゥグ)
ブク(コモエ)
ダカール(セネガル)
ベルベラ、アビア、ウビア(ソマリランド)
ソマリランド以外はアフリカ西岸のステートだ。

そんなこんなで1880年まで終わらせる。次回は20世紀に入る前にこなしたいことが残っているので、その辺からスタートとなる。
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2009年03月02日

ヴィクトリアレボリューションAAR連載Side A第4回「反動主義への回帰」


未回復のイタリアイタリアが統一された、とはいってもそれがすべてではないということを我々は知っている。緑の部分が現在オーストリアに占拠されている、「未回復のイタリア」である。その中にはミラノ、ヴェネツィアなど現代の我々がイタリアの町として認識している場所がオーストリア領となっている。

これを取り戻すのがイタリアの次なる目標だ。

今までの戦いは力押しでも何とかなってきたが、オーストリア相手だとそうは行かない。より戦略的な戦争運営が必要となってくるだろう。

まずは足場固めの内政だ。そのためにまず予算を組み替える。しばらくは戦争をする必要もないから、陸軍の維持費と防衛予算を下げられるところまで下げ、出来る限り収入を得るようにする。その収入でまずは戦争で出来た借金を返済しよう。

そして輸出入も調整をかける。鋼鉄、セメント、木、木材は鉄道敷設に必要なので出来るだけ蓄積しておくようにする。

問題はまだある。南イタリアには工員の失業者が大量にいる。「介入主義」の経済政策では新規に工場を建てられないし、資本家は金を持っていてもなかなか工場を建ててくれない。ここは多少強引でも政府主導で工場を建てるようにするしかない。


自由主義革命の終焉1850年3月、”自由主義革命の終焉”が発生する。このタイミングを見計らって、政権与党を「復古主義派」に戻す。その上で選挙権を剥奪し、政権を固定する。反乱発生のリスクは上昇するが、工場の建設が終わるまでもってくれれば良い。



自由主義革命の沈静化を見て、一部の反動主義者が宮廷革命を起こしたくらいに脳内補完しておきましょう。(この辺はSide Bに関わってくるので)

ともあれ、ナポリステートに製鉄、セメント、肥料、製材、弾薬の各工場を建設する。

この反動主義体制は1856年1月まで続く。その後の総選挙で再び穏健主義派が政権の座に返り咲くこととなる。

ローマ遷都話がちょっと前後するが、イタリア統一後、こういう選択を迫られる。これは気分的な問題だけでは無く、戦略的な側面からもトリノからローマへ首都を移すべきだ。





次に行なったのは動員兵力の拡充と、鉄道の敷設だ。1857年2月、「実験的鉄道」の応用科学の研究が終了する。ここで溜め込んだ資源を用いて、全土への鉄道の敷設を行なう。
1858年4月までに全土への鉄道敷設が終了した。鉄道の敷設することのメリットは大きい。資源や工場の生産効率は良くなるし、軍隊の移動速度も速くなる。

かくして1865年まで我が国は、工業化と動員戦力の拡充にまい進する。1866年1月、プロイセンがオーストリアに戦いを挑んだことで我が国の運命は大きく動くこととなる。

ドイツ統率ここで我々にプロイセンと同盟を組んで戦うか中立を保つのかの選択肢が突きつけられる。

プロイセンと同盟を結べば、オーストリアとの戦いも楽になる。



だが、ちょっと待って欲しい。このプロイセンとの同盟には大きなデメリットもあるのだ。それは以下の点だ。

・和戦の主導権がプロイセンにあるため、勝手に和平される場合がある。この場合当然分け前は少なくなり、下手をすると骨折り損のくたびれもうけなんて事にもなりかねない。

・プロイセンと同盟を結ぶということは、当然この後に来るフランスとの戦いに巻き込まれてしまう。

1番目はともかく2番目のフランスとの戦争はできる限り避けたい。故に我々はここでプロイセンとは同盟を組まないという決断をする。

だが、攻め込むチャンスであることは確かだ。次回はその辺からのスタートとなる。
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2009年02月27日

ヴィクトリアレボリューションAAR連載Side A第3回「選挙、そしてイタリア王国の誕生」


立憲君主制この選挙法の改正によって、わが国には立憲君主制国家として生まれ変わる。






選挙法導入前の反乱発生率これが選挙法導入前の反乱発生率の状況である。赤が濃くなるほど反乱の発生率が高い。で、緑が反乱の心配が全く無いところである。





導入後の反乱発生率選挙法を導入することでこうなる訳だ。







民衆の選択選挙は9ヶ月にわたって行なわれる。この間、このような選択肢が出ることがある。これはある土地の住民が色々な国内問題についてどう考えるかを問うものだ。たいていの場合、この選択が選挙を大きく左右するということは無い。だがこの小さな積み重ねが後々大きなうねりを起こすことはありうる。



選挙結果選挙の結果、穏健主義派が政権を担うこととなった。





穏健主義派の政策これが穏健主義派が掲げる政策だが、ここで重要なのが経済政策である。「介入主義」ではプレイヤーが工場を建てることができなくなる。その代り資本家というPOPがあるステート(プロヴィンスが幾つか集まったもの)では資本家ががある程度の資金をためると、勝手に工場を建てることがある。この頻度は「自由放任主義」より低く、「国家資本主義」(これが以前の政策)より高い。

その他の政策は今のところそれほど重要ではない。急進性(反乱の発生率に関わる)が上昇するリスクはあるが、与党は結構簡単に変えられる。



フランスからの同盟要請この選挙期間中、フランスからの同盟要請が来る。この狙いははっきりしている。イギリスとの戦いに参加して欲しい、って事だ。我々の大目標はイタリア統一だ。イギリスと戦っている暇など無い。当然ここは拒絶させてもらう。ただ、フランスとの関係は今後とも良好に保ちたい。




時は来たれり!1849年1月、トスカーナとの同盟期間が終了。ついに時は来た。イタリア統一最終作戦を発動する。





対トスカーナ戦まずトスカーナに宣戦を布告。同時に動員令を発動し、予備役部隊を招集する。この動員部隊はトスカーナ戦には間に合わないが、続く教皇領、両シチリア王国戦には間に合うだろう。
グローセットに駐屯した部隊はシエナとリヴォルノに侵攻。モデナ、ボローニャ、リミニでトスカーナを包囲していた部隊はそのままフィレンツェに突入する。


トスカーナ併合この戦いは苦戦することも無かった。1849年4月、トスカーナは併合された。




1849年6月、トスカーナ戦を終わらせた部隊がローマ突入部隊に合流するのを待って、教皇領に宣戦布告。予備役部隊はまだ間に合わないが、この戦力で十分だろう。案の定、1849年8月にはローマは陥落し、教皇領も消滅した。

両シチリア王国戦1849年9月、ついにイタリア統一最後の戦いである両シチリア王国戦が始まる。ナポリを落とせば、イタリア統一イベントの条件を満たす。




同年10月、ナポリ陥落。

イタリア統一その月のうちにイタリア統一イベントが発生し、両シチリア王国と、放置されていたルッカがイタリア王国の版図に収まった。(ほんとはイタリア統一イベントにしたかったけど撮り損ねちゃったのよ)





次回はこの生まれ変わったイタリア王国の地盤作りと問題の洗い出しがメインとなるだろう。


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2009年02月22日

ヴィクトリアレボリューションAAR連載Side A第2回「リソルジメントと政治改革への道」

ここでイタリア統一の第1段階に取り掛かる。目標は小国群だ。

最初の問題はどこに宣戦布告をするかだ。これの決定の為には同盟形態が重要になってくる。
現在の同盟形態は次の通り。

パルマ
モデナ、ルッカ、教皇領

モデナ
パルマ、教皇領

ルッカ
パルマ、トスカーナ、両シチリア王国、教皇領、スペイン、フランス

ルッカは論外。パルマとモデナの差はルッカの参戦があるか否かだが、ルッカはイタリア統一イベントのトリガーではないので無視してかまわない。しかもルッカ陸軍1部隊が結構厄介。

なので今回はモデナに宣戦布告をする。モデナに宣戦布告をすればかなりの確率で教皇領はこちらとの同盟を無視して参戦してくる。

小国群のみならば常備戦力だけで十分だが、教皇領との戦いになればそれだけではちょっときつい。だがこれはオーストリアの介入無しに教皇領と戦うチャンスでもある。そのための動員戦力だ。


パルマ併合1838年3月 パルマ併合






モデナ併合同年5月末、モデナ併合。そのまま教皇領に進撃する。







ここで面白過ぎる事態が発生する。動員した部隊の一つが軍服を脱ぎ捨て、反乱を起こしたのだ。同時に旧チュニス領アフリカヤでも現地民による反乱が勃発する。反乱は程なく制圧された。この影響でわが軍の歩みは多少遅れたが、影響としてはそれくらいだ。1839年3月、教皇領の首都であるローマ陥落。4月にはアンコーナで教皇領派のレジスタンスが蜂起したのでその鎮圧の為に1部隊を派遣する。同年5月、教皇領とローマ以外の全領土割譲、教皇領の恥を全世界にさらすことで教皇領と和平した。

これでリソルジメント第1段階は終結した。

第1次統一戦争終結これが第1次統一戦争終結時のイタリア半島情勢である。サルディーニャ・ピエモンテが北イタリア一帯を完全に制圧しているのが分かるだろう。

この戦争の間に「実用蒸気機関」の開発が終了する。これで鉄道と汽船への道が開ける。

次に研究するのは「戦艦密集ドクトリン」である。
海軍は必要としていないんじゃなかったか?と問われそうだが、この「戦艦密集ドクトリン」は「汽船」開発の為のトリガーになっているのだ。

また戦争に勝利したことで、我が国の国威は大幅に増加し、サルディーニャ・ピエモンテは列強の末席に名を連ねることになった。

これでしばらくの間、戦争をする必要は無い。動員は解除してかまわないだろう。予算を組み替え、開発に影響する教育関連の支出を最大に増やし、防衛予算も収支ギリギリまで増加させる。陸軍の維持費はチュニスの事を考えると下げる訳にはいかない。

パルマとモデナのRGO(プロヴィンスが生産する資源)は鉄、旧モデナ領マッサのRGOは木。これらに加え、アヌシーで産出される石炭は工業化に必要不可欠な資源だ。これで北イタリアは工業化への道を邁進できる。戦争をしない間(開始時の同盟が切れる1849年まで)は統一作戦最終段階のための軍拡とこの工業化を同時進行で行なうことになる。

パルマとモデナが鉄を産出するとは言っても、それだけでは必要量をまだ賄うことができない。そのためには生産量を増やす必要がある。

方法は色々あるが、とりあえずできる事からやっていこう。パルマとモデナには兵士POP(国民)が2つあり、数の少ないほうを復員させて鉄の生産に回す。

1841年3月、「汽船」の開発が終了する。ここで「石炭の精錬」の技術が選択可能となる。次の開発は当然これだ。これは石炭だけではなく鉄の生産量も伸ばしてくれ、それを増進させる発明(イベント)のトリガーともなる。

1842年6月「石炭の精錬」開発終了。これで鉄の供給量が需要を上回った!

ここから工業化にまい進する為に工場建設に取り掛かる。鉄鋼はすでに工場があるから、まずセメントと木材だ。

技術開発は陸軍を中心に遅れている分野を補う形での開発にいそしむ。


1845年4月、我が国で自由主義革命の火の手が上がる。

同年6月、ボローニャで暴動が発生。
1846年2月にはリミニで同様の暴動が発生する。
革命の嵐が過ぎ去るまでの反乱祭りには付き合ってられない。


総選挙!同年6月、我が国は制限選挙法(選挙権を富裕階級のみに限定)を発布する。そして同日、初めての議会選挙が行なわれることになった。


次回はこの議会選挙と統一戦争最終段階の模様をお送りすることとなるだろう。
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2009年02月21日

ヴィクトリアレボリューションAAR連載Side A第1回「初期設定&対チュニス戦」

まずゲーム面の初期設定は難易度は「標準」、AIの性格は「攻撃的」という設定にした。これがデフォルトなので、変える必要もないだろう。

サルディーニャ・ピエモンテを選択して、早速ゲームスタートと行こう。

まずは情勢の確認だ。
グランドキャンペーン開始時点の中央ヨーロッパ勢力図イタリア半島の北西部フランスとの国境に面したちょっと大きめな国が我がサルディーニャ・ピエモンテである。

現在イタリアはサルディーニャ・ピエモンテ、教皇領、両シチリア王国の3つの大国とパルマ、モデナ、トスカーナ、ルッカの小国がひしめいている状況だ。まず最初の大目標はこの情勢を何とかして、イタリア王国を成立させることにある。

まずは目の前のことから手を付けて行こう。

ゲーム開始時点の予算配分予算の配分はこんな感じにした。一応説明していくとまず税率は50%をわずかに切る位でおさめる。関税は最大限かけて、出来る限り収入を増やす。治安維持の支出は今のところは必要ない。教育はいずれ経済に余裕ができたら上げるつもりだが、今のところはこのままでいいだろう。

イタリア統一までは多くの戦いが続くが、そのほとんどは陸戦だ。海軍をそれほど必要とはしない。だから海軍の維持費は最低にまで下げても問題は無いだろう。

次にやるべきは技術の開発をどれにするかだ。

研究の選択こうやってリストアップされた「応用科学」の中から一つを選んで、研究に取り掛かる。

ここは「実用蒸気機関」を選ぶしかない。これを研究しなければ鉄道も汽船も取れない。







すぐにイタリア統一戦争に取り掛かるには、戦力が心もとない。そこでチュニスに侵攻する。作戦目的は動員可能人員の確保である。

確率としてはそれほど高くないが、チュニスにオスマントルコが独立保証をかけることがある。独立保証をかけるということはオスマントルコが侵攻した相手(つまり我が国)と戦争する事になる。チュニスだけなら楽なもんだが、文明国であるオスマントルコが相手となるとかなり分が悪い。実は最初これをやられて、捨ててしまった。やり直した2回目はオスマントルコの参戦はなく、1月に始まった戦争も10月にはチュニス併合で幕を閉じた。

当然の如く、しばらくの間はチュニスでは反乱の危険性がある。反乱対策に部隊を一つ残して、残りは本土へ引き揚げる。

動員可能人員チュニスを併合したことで動員可能人員が増加することになった。これを利用して、先の戦争の損害の補填と、もともと不足していた兵力の補充を行なう。

常備軍の継戦能力の補充を終わらせれば、防衛予算を最低まで落としても問題はない。次にやるべきは国際市場からは缶詰と小火器40ずつ買い込むことだ。これで動員戦力を増強する。

とりあえずの準備は整った。次回いよいよイタリア統一の第1段階に取り掛かる。
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2009年02月19日

ヴィクトリアレボリューションAAR連載を始める前に 

「ヴィクトリア」のAARは当分室開設当初からやるつもりだった。しかし私の怠慢のせいで、ここまで延び延びになってしまった。「ヴィクトリア」のAARを求めて、ここにこられた方がいたことを考えると平謝りするしかない。

今回はどういう形態で行なうか?これも開設当初からやることはほぼ決まっていた。それが以下の通り。

・グランドキャンペーン 選択国:サルディーニャ・ピエモンテ
・Side A
通常のAAR。記載方式はEU3よりクルセイダーキングスに近くなるだろう。

・Side B
起こった出来事を元にしたショートストーリー。

ショートストーリー込みのAARってのは「クルセイダーキングス」でもやろうとしたことなんだけど、具体的な青写真無しにやってしまったというのがあの時の失敗の原因だったように思う。

今回はかなり具体的な形の青写真があるので、以前のようにはならないと思う。最悪でもSide Aは完走できるだろう。

では次回から早速始めていきましょう。
posted by uzi at 15:27| Comment(0) | TrackBack(0) | ヴィクトリア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする