2010年05月20日

EU3AAR連載第4幕第3回「皇帝の座」

1502年1月 リューネブルクが我が国の影響圏に入る
1502年1月 ハーガン・ミュンゼンがミュンスターに到着

この二つは前回紹介し損ねた「エア トゥ ザ スローン」の新要素になる。影響圏は全くの新概念で、影響圏下にある国家にちょっかいを出した国に対して大義名分が得られるようになる。

宮廷顧問は今までだと運に頼らざるを得なかったが、今回の拡張によって文化的伝統の数値を消費することによって好きな宮廷顧問を作り出す(見つけ出す)ことができるようになった。

1502年4月 摂政評議会が現在、我が国を統治

1502年8月 我が国がボヘミアの側に立ってフリースラント、ブラウンシュバイクに宣戦布告
1505年12月 我が国がボヘミアの側に立ってリトアニア、ハンガリー、ブルターニュ、アラゴンに宣戦布告


1516年6月 クリスティアン 1世 フォン・メクレンブルク(3−7−8)が我が国の新たな元首に

1521年1月 プファルツに対してヘッセンによる第2次プファルツ再征服を開始
1521年1月 ボヘミアが我が国の側に立って対プファルツ戦に参加

この対プファルツ戦は徹底的に押し込んだが、戦争目的であるプファルツの割譲は果たせず。(首都なので割譲不可)その代わりバーデンを独立させることとしたが、バーデンはプファルツを飲み込んで大きくなってしまった。

1530年1月 神聖ローマ帝国がヘッセンのクリスティアン 1世を皇帝に選出
ヘッセンがついに神聖ローマ皇帝の座に就く。

1532年9月 対教皇領戦を主導
1532年9月 我が国がモデナの側に立って教皇領に宣戦布告


1533年6月 神の福音を「国策」に採用
荒れ狂う宗教改革の嵐に対抗するためにはどうしても宣教師が必要だったので今回は「神の福音」を取る。

1534年1月 アンスバッハを長とする人的同君連合の下位構成国になる
フォン・メクレンブルク王朝はついにここで絶えてしまった。神聖ローマ皇帝の座からも滑り落ちることになる。

1535年7月 教皇領が我が国の寛大な和平提案を受諾
今回から戦争において「敗北を認める」という新しい和平のオプションができた。こちらの国威を消費し、相手の国威を上昇させるだけのものだ。

1556年5月 フィリップ・ルートヴィヒ1世 フォン・ツヴァイブリュッケン(8−5−5)が我が国の新たな元首に。
1556年5月 アンスバッハとの人的同君連合を解消

メクレンブルク王朝に取って代わったのはツヴァイブリュッケン朝だった。

1556年10月 イベント:我が国で「俗世の罪」が発生
1556年10月 フィリップ・ルートヴィヒが新たな継承者に

このイベントは「クルセイダーキングス」でいうところの
美しい村娘が目にとまりました。どうしますか?

獣欲に身を委ねる

私生児

って感じのイベント。

1562年7月 フランスを下位構成国として人的同君連合を形成
1562年7月 神聖ローマ帝国がヘッセンのフィリップ・ルートヴィヒ1世を皇帝に選出
1562年8月 フランスが我が国との同盟を解消
1562年12月 フランスがフランス-ヘッセン帝国主義戦争を開始
1562年12月 マグデブルクが我が国の側に立って対フランス戦に参加
1562年12月 ミラノが我が国の側に立って対フランス戦に参加

フランスを人的同君連合の下位構成国にしたまではよかったのだがそれが一代限りで終わり、帝国主義戦争に持ち込まれてしまった。当然フランス相手では徹底的に押し込まれた。

1563年3月 摂政評議会が我が国を統治
1563年3月 神聖ローマ帝国がヘッセンのフィリップ・ルートヴィヒ 1世を皇帝に選出

王朝の概念のおかげで摂政評議会の統治下でも神聖ローマ皇帝になれるようになった。

1563年11月 フランスが和平提案を受諾
ミラノ領を割譲させることによって、こちらの腹は全く痛む事無く戦争を終わらせることができた。

1569年1月 国立銀行を「国策」に採用
なんとなく「国立銀行」を取っちゃったけど、不要だったかなぁ。

1571年10月 フィリップ・ルートヴィヒ 1世 フォン・ツヴァイブリュッケン(8−4−3)が我が国の新たな元首に

1584年8月 摂政評議会が我が国を統治
1584年8月 神聖ローマ帝国がヘッセンのレオポルト 1世を皇帝に選出


1585年12月 ボヘミアの側に立ってユトレヒト、プロイセン、ポメラニアに宣戦布告
1585年12月 対教皇領、コルシカ戦を我が国が主導
1585年12月 我が国がトスカナの側に立って教皇領、コルシカに宣戦布告
1586年9月 コルシカの和平提案を受諾
1587年8月 ユトレヒトの和平提案を受諾
1589年8月 教皇領の和平提案を受諾
1590年1月 我が国がミラノの側に立ってヴェネツィア、シチリア、アクイレイア、フェッラーラに宣戦布告
1590年7月 ヴェネツィアの和平提案を受諾

この一連の戦争はあまり利益をもたらしてはくれなかった。

1597年4月 レオポルト 1世 フォン・ツヴァイブリュッケン(8−8−8)が我が国の新たな元首に

1597年5月 フランスと軍事同盟を締結

1597年8月 管理君主制に変更

1600年2月 バイエルンの側に立ってクレーフェに宣戦布告
1600年8月 クレーフェが我が国の寛大な和平提案を受諾






次回はこの裏で起こった宗教改革について取り上げる。
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