2010年05月06日

EU3AAR連載第4幕第2回「で、結局何が新しくなったのよ?」

まず君主制国家で大きく変わったのが<王朝>の概念ができたことだ。
王朝
今までだと国王はただ「ヘルマン2世」となるはずのものが「ヘルマン2世 フォン・ヘッセン」となっているのがわかるだろう。つまりこの人物は「<ヘッセン王朝>のヘルマン2世」なわけだ。

そしてその下に「正統継承者なし」という文字が見える。「クルセイダーキングス」ではないので王の親戚がどうこうというところまでは突っ込まないけど、正統継承者がいればここに表示され、現在の国王が亡くなれば後を継ぐこととなる。だが正統継承者の正統性は「強い」、「普通」、「弱い」の三段階あり、正統性の弱い君主が即位したりすると王位僭称者が反乱を起こしたりする。

王朝の概念について解説した後は周辺情勢の確認だ。
ゲーム開始時のヘッセン周辺情勢
わかると思うが中心部の少し明るくなった青い部分がヘッセン領だ。首都ヘッセンを中心にカッセルとナッソーという3つのプロヴィンスで構成されている。周辺諸国はブラウンシュヴァイク、クレーフェ、マインツ、ヴュルツブルク、ケルン、トリアーなどの小国で構成されている。BERG(クレーフェ領)の北にはミュンスター、西にはブラバント、トリアー、マインツの南にはプファルツがある。大国と呼ぶべき国は結構離れているのでまずはこれらの小国家群を相手にすればいい。

だが一つ問題がある。周辺諸国のうちケルン、トリアー、ヴュルツブルク、マインツ、ミュンスターは大主教領で<婚姻>のオプションが使えない。これらの方面で領土拡張を行うには何らかの策が必要となってくるだろう。

では早速始めていこう。やり方はいつもの年表形式だ。前の反省点をどこまで活かせるかは疑問の残るところだが、ほかにいい方法が見つからなかったと言うのが正直なところ。

1399年10月 ヴュルツブルクと軍事同盟を締結。
1399年10月 ミュンスターと軍事同盟を締結。

3プロヴィンスを保持しているヘッセンには多くの国からの同盟提案が舞い込んでくる。直接的な安全保障の意味合いでヴュルツブルクとミュンスターの同盟のみ受諾する。あんまり役にはたたなかったけど。

1402年10月 イベント:「地方の安定度が低下」が発生。
このイベントは政策スライダを地方分権から中央集権に1動かしたとき起こったもの。「イン ノミネ」から中央集権に寄せれば寄せるほどメリットは大きくなる。今までは政策スライダを1動かしたときのペナルティは例外なく安定度−1だったが、今回からは
中央集権スライダの影響
このように3つのうちどれか1つが起こることになる。

1402年12月 施政方針:祝祭
祝祭は文化的伝統を上昇させる。それに加えて確率にはなるが国威も上昇させてくれる。おそらくは一番お世話になる施政方針だろう。文化的伝統の施政方針を実行するためには政務官を消費する必要がある。政務官は政治体制や施政方針で上昇率を上げることができる。

1403年5月 、バイエルンを長とする人的同君連合の下位構成国になる。
ヘルマン2世は後継者を残さずに亡くなったためにバイエルンとの人的同君連合を組まざるを得なくなった。今までは代替わりしてみないとわからなかったものが「王朝」、「後継者」のシステムによってある程度事前に結果が読めるようになった。

1410年8月 ウィルヘルム1世 フォン・ブラウンシュヴァイク・リューネブルク(4−8−5)が新たな元首に。
人的同君連合の継続と解消もより明確に結果がわかるようになった。

1412年10月 ブラバントの王位を要求
今までは姻戚関係さえあれば王位の要求は無制限に使えた。だが今度の変更により王位の要求は後継者がいないか、正統性が弱い後継者でなければ使えないようになった。だから王位を要求できる国は限られてくる。その辺はアラートに表示されるので注意深く見ておくといい。

1412年12月 イベント:我が国で「愛された継承者の死」
1412年12月 正統なる継承者、ウィルヘルムが死去

当然、統治者の前に後継者が死んでしまう場合もある。

1412年12月 ブラバントに対して継承権をめぐる戦争を開始
王位を要求したことでブラバントに対して大義名分ができた。大義名分さえあれば神聖ローマ皇帝の介入無く戦争を進めることができる。ブラバントはわが国と国境を接していない。だがブラバントはトリアーとクレーフェというわが国に隣接した2カ国と同盟を結んでいる。このどちらか(ないしは両方)が主たる目的である。

1415年5月 トリアーと和平
1415年7月 ブラバントと痛み分けで和平

結局のところクレーフェは参戦せず、トリアーのみと戦った。ブラバントの支援を受けられないトリアーなど物の数ではなかった。トリアーとはコブレンツを取り属国化で和平した。ブラバントとは痛み分けで和平したのだが人的同君連合という目的は果たせなかったので国威が下がってしまった。

1416年1月 施政方針:ヘッセンにて土地改革
土地改革は名前でわかるようにプロヴィンス単位の施政方針で税収を効率的にしてくれる。土地改革の効果はゲーム中ずっと有効なので早めにやっておこう。ちなみにプロヴィンス単位の施政方針にも政務官が必要になる(土地改革には2人)。

1423年6月 ミュンスターの王位を要求
1423年7月 ミュンスターに対して継承権をめぐる戦争を開始
1423年7月 クレーフェがミュンスターの側に立って対ヘッセン、バーデン戦に参加
1424年11月22日 クレーフェを併合
1425年5月28日 ミュンスターと人的同君連合で和平

大司教領だったはずのミュンスターがいつの間にか君主制国家に変わっていた。しかも王位の継承に困っているご様子。しかも同盟国はクレーフェ(ミュンスターと我が国は直接国境を接していないがクレーフェはちょうど通り道にある)。これは王位を要求しない手は無い。その当時の同盟国であるバーデンも一応参戦したが必要も無かった。あっという間にクレーフェを併合、ミュンスターも相手にはならなかった。ミュンスターとの人的同君連合で手を打つ。これは戦争目的にかなった行動(国威の上昇率が高い)だし、人的同君連合には大きなメリットもある。

1425年8月7日 イベント:「ライバル国に対する要求!」が発生
このイベントでブラウンシュバイク領ブランズウィックとプファルツ領プファルツの請求権が手に入る。

1427年11月24日 スウェーデンと軍事同盟を締結
1428年8月11日 スウェーデンの側に立ってボヘミア、リトアニア、リガに宣戦布告
1429年7月1日 借入
1430年3月13日 ボヘミアの和平提案を受諾

このくらい領土を増やしてくるとだんだん大国からの同盟提案が舞い込んでくる。まずは北のスウェーデンだ。だがスウェーデンが神聖ローマ帝国加盟国であるリガと戦争を始めたためにボヘミア(神聖ローマ皇帝)と戦うことになってしまった。結構やられまくったのでかなり厳しい条件が来るかなと思ったが、クレーフェの独立とスウェーデンとの条約破棄という条件だったのでさっさと飲む。だがこの戦争を維持するために多重債務状態に陥ってしまった。

1440年12月 ようやく借金を完済。

1446年4月 施政方針:ヘッセンにて人口調査
人口調査はその名の通り人的資源や税収に影響する。この施政方針は定期的に行わなければならない。

1448年8月 トリアーを併合

1450年12月 ミュンスターの玉座を継承

これも「エア トゥ ザ スローン」からの仕様なのか、両国の関係が良好だと人的同君連合→継承のコンボが入る。併合だと50年たたないと中核プロヴィンスにならないが、継承だとすぐに中核プロヴィンスとなるのでかなりお得。これを期待できるので先の戦争では人的同君連合で手を打ったのだ。

1450年12月 ウィルヘルム 1世 フォン・ブラウンシュヴァイク・リューネブルク(6−3−5)が新たな元首に

1458年6月 フランスと軍事同盟を締結
次はフランスとの同盟だ。だがすぐにフランスがブルゴーニュの侵攻を始めた。この戦争に参戦するとまたボヘミアと戦わなくてはならないので参戦を拒絶する。国威は減るが命には代えられない。

1469年11月 正統なる継承者、ルードヴィヒが死去
1469年11月 オットーが新たな継承者に
1472年7月 正統なる継承者、オットーが死去
1473年10月 ウィルヘルム2世 フォン・メクレンブルク(4−4−8)が新たな元首に
1474年10月 ウィルヘルムが新たな継承者に

かくしてブラウンシュヴァイク・リューネブルク朝は絶え、メクレンブルク王朝がヘッセンを統治することとなった。

1479年12月 ハンザに対してブランズウィック再征服を開始
1480年1月 ハンザが我が国との通商同盟協定を破棄
1482年4月 ハンザと和平

ハンザはブラウンシュヴァイクなどを飲み込み大勢力を誇っていたが、教皇庁より破門され、各方向から攻め込まれていた。このチャンスを逃す手は無い。ハンザに対する開戦理由は破門と再征服(ブランズウィック)と2種類あるがこの戦争の目的は領土拡張なので再征服を選択する。抵抗はほとんど無く、ブランズウィックとテューリンゲンの割譲という本来の目的にかなった条件で和平がかなった。

1488年5月 イベント:「継承者、病に倒れる」が発生
ささやき→えいしょう→いのり→ねんじろ!
継承者は助かりました。

1488年8月 イベント:「帝国からの提案」が発生
ここで我が国が選帝侯となる。

1492年9月 ボヘミアと軍事同盟を締結
ここにいたるまでずっと神聖ローマ皇帝だったボヘミアとの同盟は大きな利益をもたらしてくれるだろう。

1494年3月 正統なる継承者、ウィルヘルムが死去
1494年3月 フリードリヒが新たな継承者に

1499年6月 プファルツに対してプファルツ再征服を開始

1499年8月 フリードリヒ 1世 フォン・メクレンブルク(7−6−7)が新たな元首に
1499年12月 プファルツの和平提案を受諾
対プファルツ戦は何か手間取ってしまって痛み分けに持ち込むのが精一杯だった。でもまだ次がある。

1501年6月 クリスティアンが新たな継承者に。

1500年12月 重大イベント:ハンブルクにて「プロテスタント革命」が発生

まず第1の大きな山、宗教改革が来る。
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