2010年05月25日

EU3AAR連載第4幕第4回「宗教改革を乗り越えろ!」

この100年、戦争したり皇帝になったりいろいろな事があった。

そんな中、わが国を襲った出来事がある。それが宗教改革だ。今回はそんな宗教改革と一つ取り上げ忘れた事があったのでそれを追いかけていきたい。

1506年12月 ミュンスター 改革派
1507年6月 トリアー プロテスタント
1509年3月 コブレンツ 改革派
1510年1月 ナッソー 改革派
1510年4月 ミュンスター 改革派
1517年6月 ナッソー 改革派
1518年5月 テューリンゲン 改革派

各所で宗教改革の影響が始まっている。それに対して我が国は宣教師を各所に送り込んで対応する。

1521年5月 コブレンツが改宗

1521年12月 コブレンツ プロテスタント
1527年5月 ミュンスター 改革派

改宗した先からこれだよ・・・

1528年4月 トリアーが改宗
1532年8月 コブレンツが改宗

それでもあきらめずに改宗を続ける。

1533年6月 神の福音を「国策」に採用
そんなことをしているうちに宣教師の数が足りなくなってきたので国策に「神の福音」を選んで対応する。

1534年3月 ナッソーが改宗
1535年9月 ミュンスターが改宗
1538年2月 ミュンスターが改宗


1538年12月 宗教的内戦において「寛容な社会を築くために努力しよう」を選択

1543年6月 ヴォルムスが改宗
1550年2月 テューリンゲンが改宗


1550年6月 宗教的混乱が収束
かくて宗教的内戦の効果は消え、我が国は宗教改革の嵐を乗り切ったのだ!

1571年5月 トリアー プロテスタント
と、思ったら思い出したかのようにトリアーの宗教が変わる。

1575年7月 ヘッセンに交易中心地を設置
前回書き損ねたのがこれ。これで国内流通を我が国が握ることができる。

1594年12月 トリアーが改宗
20年以上かかったけど、大きな混乱も無くトリアーの改宗も終了。



次回からは通常通り進めていく。

2010年05月20日

EU3AAR連載第4幕第3回「皇帝の座」

1502年1月 リューネブルクが我が国の影響圏に入る
1502年1月 ハーガン・ミュンゼンがミュンスターに到着

この二つは前回紹介し損ねた「エア トゥ ザ スローン」の新要素になる。影響圏は全くの新概念で、影響圏下にある国家にちょっかいを出した国に対して大義名分が得られるようになる。

宮廷顧問は今までだと運に頼らざるを得なかったが、今回の拡張によって文化的伝統の数値を消費することによって好きな宮廷顧問を作り出す(見つけ出す)ことができるようになった。

1502年4月 摂政評議会が現在、我が国を統治

1502年8月 我が国がボヘミアの側に立ってフリースラント、ブラウンシュバイクに宣戦布告
1505年12月 我が国がボヘミアの側に立ってリトアニア、ハンガリー、ブルターニュ、アラゴンに宣戦布告


1516年6月 クリスティアン 1世 フォン・メクレンブルク(3−7−8)が我が国の新たな元首に

1521年1月 プファルツに対してヘッセンによる第2次プファルツ再征服を開始
1521年1月 ボヘミアが我が国の側に立って対プファルツ戦に参加

この対プファルツ戦は徹底的に押し込んだが、戦争目的であるプファルツの割譲は果たせず。(首都なので割譲不可)その代わりバーデンを独立させることとしたが、バーデンはプファルツを飲み込んで大きくなってしまった。

1530年1月 神聖ローマ帝国がヘッセンのクリスティアン 1世を皇帝に選出
ヘッセンがついに神聖ローマ皇帝の座に就く。

1532年9月 対教皇領戦を主導
1532年9月 我が国がモデナの側に立って教皇領に宣戦布告


1533年6月 神の福音を「国策」に採用
荒れ狂う宗教改革の嵐に対抗するためにはどうしても宣教師が必要だったので今回は「神の福音」を取る。

1534年1月 アンスバッハを長とする人的同君連合の下位構成国になる
フォン・メクレンブルク王朝はついにここで絶えてしまった。神聖ローマ皇帝の座からも滑り落ちることになる。

1535年7月 教皇領が我が国の寛大な和平提案を受諾
今回から戦争において「敗北を認める」という新しい和平のオプションができた。こちらの国威を消費し、相手の国威を上昇させるだけのものだ。

1556年5月 フィリップ・ルートヴィヒ1世 フォン・ツヴァイブリュッケン(8−5−5)が我が国の新たな元首に。
1556年5月 アンスバッハとの人的同君連合を解消

メクレンブルク王朝に取って代わったのはツヴァイブリュッケン朝だった。

1556年10月 イベント:我が国で「俗世の罪」が発生
1556年10月 フィリップ・ルートヴィヒが新たな継承者に

このイベントは「クルセイダーキングス」でいうところの
美しい村娘が目にとまりました。どうしますか?

獣欲に身を委ねる

私生児

って感じのイベント。

1562年7月 フランスを下位構成国として人的同君連合を形成
1562年7月 神聖ローマ帝国がヘッセンのフィリップ・ルートヴィヒ1世を皇帝に選出
1562年8月 フランスが我が国との同盟を解消
1562年12月 フランスがフランス-ヘッセン帝国主義戦争を開始
1562年12月 マグデブルクが我が国の側に立って対フランス戦に参加
1562年12月 ミラノが我が国の側に立って対フランス戦に参加

フランスを人的同君連合の下位構成国にしたまではよかったのだがそれが一代限りで終わり、帝国主義戦争に持ち込まれてしまった。当然フランス相手では徹底的に押し込まれた。

1563年3月 摂政評議会が我が国を統治
1563年3月 神聖ローマ帝国がヘッセンのフィリップ・ルートヴィヒ 1世を皇帝に選出

王朝の概念のおかげで摂政評議会の統治下でも神聖ローマ皇帝になれるようになった。

1563年11月 フランスが和平提案を受諾
ミラノ領を割譲させることによって、こちらの腹は全く痛む事無く戦争を終わらせることができた。

1569年1月 国立銀行を「国策」に採用
なんとなく「国立銀行」を取っちゃったけど、不要だったかなぁ。

1571年10月 フィリップ・ルートヴィヒ 1世 フォン・ツヴァイブリュッケン(8−4−3)が我が国の新たな元首に

1584年8月 摂政評議会が我が国を統治
1584年8月 神聖ローマ帝国がヘッセンのレオポルト 1世を皇帝に選出


1585年12月 ボヘミアの側に立ってユトレヒト、プロイセン、ポメラニアに宣戦布告
1585年12月 対教皇領、コルシカ戦を我が国が主導
1585年12月 我が国がトスカナの側に立って教皇領、コルシカに宣戦布告
1586年9月 コルシカの和平提案を受諾
1587年8月 ユトレヒトの和平提案を受諾
1589年8月 教皇領の和平提案を受諾
1590年1月 我が国がミラノの側に立ってヴェネツィア、シチリア、アクイレイア、フェッラーラに宣戦布告
1590年7月 ヴェネツィアの和平提案を受諾

この一連の戦争はあまり利益をもたらしてはくれなかった。

1597年4月 レオポルト 1世 フォン・ツヴァイブリュッケン(8−8−8)が我が国の新たな元首に

1597年5月 フランスと軍事同盟を締結

1597年8月 管理君主制に変更

1600年2月 バイエルンの側に立ってクレーフェに宣戦布告
1600年8月 クレーフェが我が国の寛大な和平提案を受諾






次回はこの裏で起こった宗教改革について取り上げる。

2010年05月06日

EU3AAR連載第4幕第2回「で、結局何が新しくなったのよ?」

まず君主制国家で大きく変わったのが<王朝>の概念ができたことだ。
王朝
今までだと国王はただ「ヘルマン2世」となるはずのものが「ヘルマン2世 フォン・ヘッセン」となっているのがわかるだろう。つまりこの人物は「<ヘッセン王朝>のヘルマン2世」なわけだ。

そしてその下に「正統継承者なし」という文字が見える。「クルセイダーキングス」ではないので王の親戚がどうこうというところまでは突っ込まないけど、正統継承者がいればここに表示され、現在の国王が亡くなれば後を継ぐこととなる。だが正統継承者の正統性は「強い」、「普通」、「弱い」の三段階あり、正統性の弱い君主が即位したりすると王位僭称者が反乱を起こしたりする。

王朝の概念について解説した後は周辺情勢の確認だ。
ゲーム開始時のヘッセン周辺情勢
わかると思うが中心部の少し明るくなった青い部分がヘッセン領だ。首都ヘッセンを中心にカッセルとナッソーという3つのプロヴィンスで構成されている。周辺諸国はブラウンシュヴァイク、クレーフェ、マインツ、ヴュルツブルク、ケルン、トリアーなどの小国で構成されている。BERG(クレーフェ領)の北にはミュンスター、西にはブラバント、トリアー、マインツの南にはプファルツがある。大国と呼ぶべき国は結構離れているのでまずはこれらの小国家群を相手にすればいい。

だが一つ問題がある。周辺諸国のうちケルン、トリアー、ヴュルツブルク、マインツ、ミュンスターは大主教領で<婚姻>のオプションが使えない。これらの方面で領土拡張を行うには何らかの策が必要となってくるだろう。

では早速始めていこう。やり方はいつもの年表形式だ。前の反省点をどこまで活かせるかは疑問の残るところだが、ほかにいい方法が見つからなかったと言うのが正直なところ。

1399年10月 ヴュルツブルクと軍事同盟を締結。
1399年10月 ミュンスターと軍事同盟を締結。

3プロヴィンスを保持しているヘッセンには多くの国からの同盟提案が舞い込んでくる。直接的な安全保障の意味合いでヴュルツブルクとミュンスターの同盟のみ受諾する。あんまり役にはたたなかったけど。

1402年10月 イベント:「地方の安定度が低下」が発生。
このイベントは政策スライダを地方分権から中央集権に1動かしたとき起こったもの。「イン ノミネ」から中央集権に寄せれば寄せるほどメリットは大きくなる。今までは政策スライダを1動かしたときのペナルティは例外なく安定度−1だったが、今回からは
中央集権スライダの影響
このように3つのうちどれか1つが起こることになる。

1402年12月 施政方針:祝祭
祝祭は文化的伝統を上昇させる。それに加えて確率にはなるが国威も上昇させてくれる。おそらくは一番お世話になる施政方針だろう。文化的伝統の施政方針を実行するためには政務官を消費する必要がある。政務官は政治体制や施政方針で上昇率を上げることができる。

1403年5月 、バイエルンを長とする人的同君連合の下位構成国になる。
ヘルマン2世は後継者を残さずに亡くなったためにバイエルンとの人的同君連合を組まざるを得なくなった。今までは代替わりしてみないとわからなかったものが「王朝」、「後継者」のシステムによってある程度事前に結果が読めるようになった。

1410年8月 ウィルヘルム1世 フォン・ブラウンシュヴァイク・リューネブルク(4−8−5)が新たな元首に。
人的同君連合の継続と解消もより明確に結果がわかるようになった。

1412年10月 ブラバントの王位を要求
今までは姻戚関係さえあれば王位の要求は無制限に使えた。だが今度の変更により王位の要求は後継者がいないか、正統性が弱い後継者でなければ使えないようになった。だから王位を要求できる国は限られてくる。その辺はアラートに表示されるので注意深く見ておくといい。

1412年12月 イベント:我が国で「愛された継承者の死」
1412年12月 正統なる継承者、ウィルヘルムが死去

当然、統治者の前に後継者が死んでしまう場合もある。

1412年12月 ブラバントに対して継承権をめぐる戦争を開始
王位を要求したことでブラバントに対して大義名分ができた。大義名分さえあれば神聖ローマ皇帝の介入無く戦争を進めることができる。ブラバントはわが国と国境を接していない。だがブラバントはトリアーとクレーフェというわが国に隣接した2カ国と同盟を結んでいる。このどちらか(ないしは両方)が主たる目的である。

1415年5月 トリアーと和平
1415年7月 ブラバントと痛み分けで和平

結局のところクレーフェは参戦せず、トリアーのみと戦った。ブラバントの支援を受けられないトリアーなど物の数ではなかった。トリアーとはコブレンツを取り属国化で和平した。ブラバントとは痛み分けで和平したのだが人的同君連合という目的は果たせなかったので国威が下がってしまった。

1416年1月 施政方針:ヘッセンにて土地改革
土地改革は名前でわかるようにプロヴィンス単位の施政方針で税収を効率的にしてくれる。土地改革の効果はゲーム中ずっと有効なので早めにやっておこう。ちなみにプロヴィンス単位の施政方針にも政務官が必要になる(土地改革には2人)。

1423年6月 ミュンスターの王位を要求
1423年7月 ミュンスターに対して継承権をめぐる戦争を開始
1423年7月 クレーフェがミュンスターの側に立って対ヘッセン、バーデン戦に参加
1424年11月22日 クレーフェを併合
1425年5月28日 ミュンスターと人的同君連合で和平

大司教領だったはずのミュンスターがいつの間にか君主制国家に変わっていた。しかも王位の継承に困っているご様子。しかも同盟国はクレーフェ(ミュンスターと我が国は直接国境を接していないがクレーフェはちょうど通り道にある)。これは王位を要求しない手は無い。その当時の同盟国であるバーデンも一応参戦したが必要も無かった。あっという間にクレーフェを併合、ミュンスターも相手にはならなかった。ミュンスターとの人的同君連合で手を打つ。これは戦争目的にかなった行動(国威の上昇率が高い)だし、人的同君連合には大きなメリットもある。

1425年8月7日 イベント:「ライバル国に対する要求!」が発生
このイベントでブラウンシュバイク領ブランズウィックとプファルツ領プファルツの請求権が手に入る。

1427年11月24日 スウェーデンと軍事同盟を締結
1428年8月11日 スウェーデンの側に立ってボヘミア、リトアニア、リガに宣戦布告
1429年7月1日 借入
1430年3月13日 ボヘミアの和平提案を受諾

このくらい領土を増やしてくるとだんだん大国からの同盟提案が舞い込んでくる。まずは北のスウェーデンだ。だがスウェーデンが神聖ローマ帝国加盟国であるリガと戦争を始めたためにボヘミア(神聖ローマ皇帝)と戦うことになってしまった。結構やられまくったのでかなり厳しい条件が来るかなと思ったが、クレーフェの独立とスウェーデンとの条約破棄という条件だったのでさっさと飲む。だがこの戦争を維持するために多重債務状態に陥ってしまった。

1440年12月 ようやく借金を完済。

1446年4月 施政方針:ヘッセンにて人口調査
人口調査はその名の通り人的資源や税収に影響する。この施政方針は定期的に行わなければならない。

1448年8月 トリアーを併合

1450年12月 ミュンスターの玉座を継承

これも「エア トゥ ザ スローン」からの仕様なのか、両国の関係が良好だと人的同君連合→継承のコンボが入る。併合だと50年たたないと中核プロヴィンスにならないが、継承だとすぐに中核プロヴィンスとなるのでかなりお得。これを期待できるので先の戦争では人的同君連合で手を打ったのだ。

1450年12月 ウィルヘルム 1世 フォン・ブラウンシュヴァイク・リューネブルク(6−3−5)が新たな元首に

1458年6月 フランスと軍事同盟を締結
次はフランスとの同盟だ。だがすぐにフランスがブルゴーニュの侵攻を始めた。この戦争に参戦するとまたボヘミアと戦わなくてはならないので参戦を拒絶する。国威は減るが命には代えられない。

1469年11月 正統なる継承者、ルードヴィヒが死去
1469年11月 オットーが新たな継承者に
1472年7月 正統なる継承者、オットーが死去
1473年10月 ウィルヘルム2世 フォン・メクレンブルク(4−4−8)が新たな元首に
1474年10月 ウィルヘルムが新たな継承者に

かくしてブラウンシュヴァイク・リューネブルク朝は絶え、メクレンブルク王朝がヘッセンを統治することとなった。

1479年12月 ハンザに対してブランズウィック再征服を開始
1480年1月 ハンザが我が国との通商同盟協定を破棄
1482年4月 ハンザと和平

ハンザはブラウンシュヴァイクなどを飲み込み大勢力を誇っていたが、教皇庁より破門され、各方向から攻め込まれていた。このチャンスを逃す手は無い。ハンザに対する開戦理由は破門と再征服(ブランズウィック)と2種類あるがこの戦争の目的は領土拡張なので再征服を選択する。抵抗はほとんど無く、ブランズウィックとテューリンゲンの割譲という本来の目的にかなった条件で和平がかなった。

1488年5月 イベント:「継承者、病に倒れる」が発生
ささやき→えいしょう→いのり→ねんじろ!
継承者は助かりました。

1488年8月 イベント:「帝国からの提案」が発生
ここで我が国が選帝侯となる。

1492年9月 ボヘミアと軍事同盟を締結
ここにいたるまでずっと神聖ローマ皇帝だったボヘミアとの同盟は大きな利益をもたらしてくれるだろう。

1494年3月 正統なる継承者、ウィルヘルムが死去
1494年3月 フリードリヒが新たな継承者に

1499年6月 プファルツに対してプファルツ再征服を開始

1499年8月 フリードリヒ 1世 フォン・メクレンブルク(7−6−7)が新たな元首に
1499年12月 プファルツの和平提案を受諾
対プファルツ戦は何か手間取ってしまって痛み分けに持ち込むのが精一杯だった。でもまだ次がある。

1501年6月 クリスティアンが新たな継承者に。

1500年12月 重大イベント:ハンブルクにて「プロテスタント革命」が発生

まず第1の大きな山、宗教改革が来る。