2017年05月02日

新環境へ移行完了

「日々是雑感」にも書きましたがPCを以下の環境に切り替えました。

マザーボード:ASRock H270 PRO4
CPU:Intel Corei7 7700
メモリ:16GB(8GB×2)
GPU:NVIDIA GEFORCE GTX1060 3GB
OS:WINDOWS10  64bit(引継ぎ)
1TBのHDD、BDドライブも引き継ぎ。ケースはケースファンを交換して引継ぎ。

これで以前の環境ではもたつきがあったものがスムーズに動くようになりました。環境的にはVRも扱えるはずだが、さすがにもう10万も出してられない。
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2017年01月01日

分室からも新年のご挨拶

明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
「パラドゲーで追うマリワカワールド」でようやく開店休業状態から脱却できました。今年はまずこれを進めていきたいと思っています。それが終わった後どうするかは、まだ具体的なプランが無いので、何とも言えないのがつらいところですが・・・。
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2016年12月30日

パラドゲーで追うマリ・ワカワールド 第2回 ウィリアム・ギルバート その2

ジョルダーノ ブルーノ.png
ジョルダーノ・ブルーノはEU3で哲学者として扱われている。(注)

彼の処刑をEU的に述べるならば、
学者か聖職者か.png

反骨の思想者.png
これらのイベントに際して保守主義的な選択をしたという事になろう。

ゲーム的には数値が少し動くだけの話だが、その裏側をもう少し掘り下げてみたい。

教会の意に沿わない者は、ジョルダーノ・ブルーノのように処刑されてしまう。そんなとんでもない事が通ってしまうくらい、宗教が政治的な力を持っていた時代でした。 (公式サイト「各話の時代背景」http://mariwaka.com/special/bg/
と、いうもののヨーロッパの宗教の中心であったローマカトリック教会の権力は見えて落ちてきていた。

ヘンリー8世(在位:1509〜47)が国王至上法を成立させてローマ教皇庁と断絶(設定資料集より)
これは直接の原因がヘンリー8世の離婚問題(注2)であることも相まって、その象徴的な出来事と言えるのではないだろうか。

教皇インノケンティウス3世はジョン王と彼に従う者たちすべてを破門し、イングランドに”聖務禁止令”を敷いた。(中略)やがて、家臣の離反と国民の不満に耐えかねたジョンは教皇に謝罪し、再び忠誠を誓った。(EU3ストラテジーガイドのコラム「神聖ローマ帝国とローマ教皇」より)
およそ300年前のこの出来事と比較すればそれは明白だ。それの権威の失墜が行きつくところまで行ったのがいわゆる宗教改革という事になるだろう。(この辺をゲーム的にどう描いているかは過去のAARを参照されたい)

1600年前後というのはカトリックとプロテスタントの対立が激化し、それが戦争や内乱に発展していた(注3)時代だ。前回紹介したスペインとイングランドの戦争もその一環と言える。その中でカトリック教会は綱紀粛正に乗り出していた。そんな中でジョルダーノ・ブルーノが処刑されることとなったのである。

こうやって見ていくと、
教会の意に沿わない者は、ジョルダーノ・ブルーノのように処刑されてしまう。そんなとんでもない事が通ってしまうくらい、宗教が政治的な力を持っていた時代でした。
この文章は
「教会の意に沿わない者に対して、処刑のような強硬手段に出なければ自身の権威を保てなくなるくらいに、カトリック教会が追い詰められていた」
こう言い換えていいかもしれない。

次回はベンジャミン・フランクリンの時代をEU3で眺めてみたい。

以下、注釈
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2016年12月15日

パラドゲーで追うマリ・ワカワールド 第1回 ウィリアム・ギルバート その1

前回の序文にも書いたけど、マリワカが旅した時代がどんな時代だったのかをほんのわずかの知識とパラドゲーで追いかけていこうというのが今回の趣旨である。では早速ウィリアム・ギルバートの時代を追いかけてみたい。

1588年、イングランド海軍がスペインの”無敵艦隊”を打ち破る。これを機にスペインの権威は揺らぎ、エリザベス1世統治下の元イングランドの存在感が増していく時代である。そんな1600年をEU3で見ていこう。(バージョンは日本語版ディバイン・ウィンド5.1)
EU3_MAP_ENG_1600.1.1_1.png
赤い部分がイングランドの領土。スコットランドがまだ独立国として存在しているので、ブリテン島を完全に統一できていないのがわかるだろう。海外の植民地も存在していないので大英帝国ってところまではたどり着いていない。
1600年 イングランド.png
イングランドの情勢はこんな感じだ。いまだにスペインとの戦争は継続中。”エリザベート1世”という表記はどうかと思うんだけど、これはもう今更だしなぁ。(フランス国王のヘンリー4世よりはましか)青い十字架は国家の宗教がプロテスタントであることを表している。(EUのシステム上ではイギリス国教会はプロテスタント扱いとなっているのだろう)
1600年 イングランド 宮廷顧問.png
同時代のイングランドの有名人と言えばこういう事になるのかな。一応EU4もチェックしたけど、選択できる宮廷顧問の中にウィリアム・ギルバートという名前は確認できなかった。

次回は「ウィリアム・ギルバート その2」としてジョルダーノ・ブルーノの話を起点に、この時代を取り巻いていた情勢を少し掘り下げてみたい。
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2016年12月04日

パラドゲーで追うマリ・ワカワールド 序章

「タイムトラベル少女〜マリ・ワカと8人の科学者たち」は1600年〜1893年のアメリカやヨーロッパが主な舞台となる。これはちょうどEU後半からヴィクトリアの中盤くらいまでに当たる。そしていくつかの話はハーツオブアイアンにもかかわってくる。

だとすればこれを利用しない手はない。パラドゲーを使ってマリ・ワカの時代背景をもう少し深く掘り下げるのだ。さらに同時に買った設定資料集がコラムなどが掲載されていて副読本として使えるくらいだったのも大きい。

そう、これこそ私なりのやり方でのマリ・ワカの時代背景の紹介の仕方だ。資料収集に時間がかかるので、更新は少しかかると思うが、のんびりとやっていこう。

posted by uzi at 21:51| Comment(0) | TrackBack(0) | マリ・ワカワールド | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月18日

久々のEU3

「マスケティアーズ」に刺激されて、EU3日本語版をウィンドウズ10動作チェックも兼ねてフランスで完走。久々だったけどやっぱり楽しいわ。EU4は一応持ってはいるけど、あまりやらないなぁ。ウインドウズ10での問題も確認できず。

AARをやるつもりでプレイしてなかったので、記録は取ってません。

2016年01月01日

分室からも新年あいさつ

まだまだ開店休業状態から脱却する道は見えず・・・。

win10 64bitに切り替えたことで「メックウォーリア4 マーシナリーズ」が起動しなくなったというのはとりあえずここでのトピックかな。

まあ、パラドゲーは問題なく起動しているし、XPのPCもまだ残っているから、問題はそれほどないんだけどね。

では本年もよろしくお願いいたします。
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2015年08月15日

新PC導入期番外編 WIN10速報

win7が一部破損したようなので、人柱覚悟でwin10を導入しました。

動作チェックのため「クルセイダーキングス2 日本語版」(今は亡きサイバーフロントのやつね)を起動したところアクティベーションを求められた。

予想していなかった事態ではないが、ちょっと面倒なことになったなぁ・・・
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2015年01月01日

分室からの新年ご挨拶

当blogも昨年は完全に開店休業状態でした。今年はその現状を何とか打破できればいいなぁ、程度には考えております。

では本年もよろしくお願いいたします。
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2014年03月03日

運営方針の変更

ブログのタイトルから「AAR」の文字を外しました。

今後このブログはAAR、メイキングなど本体では扱いきれないようなこと全般について取り扱うことになります。

速報性の強い記事や日々の出来事、簡易感想などは従来どおり「日々是雑感」のほうで取り扱います。

現在、サイト運営全体の再編成に当たっていろいろなことを少しずつ取り組んでいます。何がどれだけ物になるかは分かりませんが、それらについていずれ取り上げられればと思っています。

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2014年02月13日

AAR分室移行完了!

休止を予告していたAAR分室ですがseesaブログへ移行してそのまま残す事としました。

ただ、「AAR]と「ゲーム解説」以外のほとんどの記事は不要と判断し削除。本体の再構築作業は関係なく続行します。

まあ、しばらくの間は開店休業状態が続くとは思うんだけど。
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2012年01月30日

sengoku

1/27に「戦国」完全日本語版ついに発売!

いろいろと忙しかったのと、ゲームがOSまで巻き込んでクラッシュするという現象が頻発していたために記事がここまで遅れました。

クラッシュは何とか自己解決できたので順次テストプレイ中。ゲームはかなり軽いし、バージョンも現在における英語版の最新パッチと同等なので前述のクラッシュを除いて大きな問題はありませんでした。

少し触ってみた感覚は
・直轄領は称号にかかわらずに5つまでしか持てない
・今までのパラドゲーにあったような「領有」と「支配」という概念が無い。
この2つのおかげで難易度はかなり上がっている感じ。

いずれAARもやってみたいけどどうなることやら。


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2011年08月15日

ヴィクトリア2AAR連載第1回「いやな流れ」

ずいぶん間が空きましたがAAR連載第1回です。まずは今回のテーマに沿った年表を。
1838年10月 フランスが我が国を勢力圏に取り込む
1839年8月 フランスと軍事同盟を締結
1841年8月 両シチリア王国に宣戦布告
1842年9月 両シチリア王国がフランスと和平
1846年5月 大国になる
1848年11月 エジプトに宣戦布告
1849年8月 フランスが同盟を破棄
1849年12月 大国から陥落
1850年2月 エジプトからの和平の申し出を受諾
1851年2月 再び大国に
1856年5月 また大国から陥落する
1864年6月 両シチリア王国に対し、「ステートを獲得」の大義名分を得る
1864年7月 両シチリア王国に宣戦布告
1866年1月 両シチリア王国と和平
1866年5月 フランスと軍事同盟を締結


フランスの勢力圏に入ったのを見計らって両シチリア王国に宣戦布告をしたところまでは良かったが、1846年5月に中途半端に大国になってしまった。想像通りフランスからの同盟も切られ、さりとてオーストリアと正面きって戦うほどの戦力もない。起こした3つの戦争で順調にステートを獲得しているので、イタリア統一イベントが起これば間違いなく我が国が対象になるだろう。だがここまでイベントが起こる様子もない。こりゃどうもいやな流れだなあ。

あとAAR記載方式にしてもぜんぜん納得のいく出来ではないので、この辺もどうしてやろうかと思案のしどころ。
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2011年07月04日

ヴィクトリア2AAR連載 第0回「イタリア統一への道筋」

さていよいよAAR分室再起動。まずはかねてからの予告どおり「ヴィクトリア2」のAAR連載から始めよう。

前作同様サルデーニャ・ピエモンテで始めるか、初心者向け国家である日本で始めるかでちょっと悩んだが幾度かのテストプレイを通じてイタリア統一の道筋が見えてきた気がするので、それを確認する意味でもサルデーニャ・ピエモンテで始めることにする。

最初にやるべきことは初期状況の把握とこれからの道筋についての確認だ。
サルデーニャ・ピエモンテ初期状態.png
イタリア半島北部の明るくなっている部分がサルデーニャ・ピエモンテ領だ。この時代のイタリア情勢に関しては前作のときも説明したがサルデーニャ・ピエモンテ、教皇領、両シチリア王国、パルマ、モデナ、トスカーナ、ルッカの6カ国に分裂している。

前作ならばまず北部のパルマとモデナをを併呑して、教皇領の領土をローマのみに追いやり、同盟が切れた後にトスカーナをつぶして、平和条約が切れた後にローマを踏み潰してその足で両シチリア王国の首都ナポリを制圧してしまえばイタリア統一は成った。だが今作ではこの道筋は使えない。まず一つ目にパルマ、モデナ、トスカーナ、ルッカの4カ国はオーストリアの勢力圏に入っていて、宣戦布告するともれなくオーストリアが付いてくる。パルマ、モデナを併呑する前作のやり方ではオーストリアと正面きって戦う覚悟がなければならないということだ。当然それは自殺行為に他ならない。(前作と違って同盟に期限が無いので同盟切れの時期を狙うというやり方も使えない)

イタリア統一イベントのキーとなる「進め!イタリア」という決断の発生条件は以下の通り。
進め!イタリア 条件.png
最後の一文が少しわかりにくいが(これは邦訳のせい)、要するにイタリアの中核プロヴィンスすべてを領有するか、それを持つ国家すべてを勢力圏下に収めるかすれば良いという事だ。イタリアの中核プロヴィンスのうちロンバルディアステートに属する3つのプロヴィンスをオーストリアが領有しているというのが最大の問題となる。前作と違ってプロヴィンスや技術を金でやり取りできないので、オーストリアとは一戦交えて勝ち取るしかない。

この条件を満たさなくともガリバリディの千人隊(反乱勢力)がどこかの国(たいていルッカ)を制圧して365日過ぎるとイタリア統一イベントは発生する。これは当然運にも左右されるし、統一する国家がどこになるのかは国家の順位で決まってくる。統一する機会が無いからといって漫然と過ごしていると両シチリア王国に統一イタリアの栄誉を奪われる憂き目に会う。(人口の多い両シチリア王国は工業化でかなりの得点を稼ぐため上位につくことが多い)

ここまで考えるとイタリア統一への道筋は閉ざされてしまっているかのように見える。だがか細くとも道筋は確かにあるのだ。

それが先のテストプレイで見つけたこの道筋だ。

1、フランスの勢力圏に入る。
まずは無理に大国入りを狙わず、フランスの勢力圏下に入ってしまう。これはかなり早い段階で可能。フランスの勢力圏下に入ればほぼ確実にフランスと同盟が組める。美学を集中して研究すれば大国入りも可能だが、それを維持するのはきわめて困難。

2、技術開発は陸軍と工業重視で
サルデーニャ・ピエモンテの研究タイプは軍産複合体である。これは陸軍と工業技術の開発時にボーナスがつくが、海軍と文化技術の開発にペナルティがつく。ここからも文化技術の開発は非効率的であることがわかる。ただ哲学は研究効率を向上させる効果を持っているので優先する。

3、オーストリアの隙を見逃さずロンバルディアを奪い取る
オーストリアはたいていプロイセンと戦争はじめる。そこを逃さずロンバルディアを奪い取るための兵を挙げる。ただこれにはフランスの参戦という絶対条件がある。これ無しではまず勝ち目は無い。もしロンバルディアを取れれば(和戦の主導権がフランスにあるのが悩ましいところ)、大国を目指して邁進あるのみ。

4、千人隊に期待しつつ、決断を成立させるための努力を怠らない
おそらくはこの段階で大国の末席にいるはずだから、イタリア半島各国を勢力圏に収める作業を行う。両シチリアを蹴落とすための出兵というのも良いかもしれない。そうしている間に千人隊のイベントが起きてイタリア統一は成るだろう。

前のテストプレイではこれがうまく行った。だが今回はうまくいくだろうか?

と、こんなところでいよいよゲームスタート。





早速訂正:
トスカーナを入れるのを忘れていたので追加しました。
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2010年08月11日

EU3AAR連載第4幕第7回「復活のローマ帝国」

最終回はいつもの年表形式ではなく、軽く流す感じで。

1762年1月、ヘッセンは加盟各国に不上訴特権の廃止を提議した。グルノーブルで行われた帝国議会における採決の結果は賛成16票、反対7票で加盟各国の不上訴特権は廃止された。これにより帝国に加盟する各国は皇帝への絶対の忠誠を要求されることになる。

ほとんどの国は皇帝への忠誠を認めたがデンマークとバーデンの2カ国は皇帝への忠誠を拒否した。これによりヘッセンはデンマークおよびバーデンと戦争状態へと突入する。(ちなみにデンマークは先の投票では賛成票を投じている)

デンマークには同盟国のノルウェーが、バーデンにはバーデンの同盟国であるオーストリアとバイエルンが我が配下であるにもかかわらず参戦した。

バーデンもデンマークも所詮帝国の敵ではなかった。
1762年6月にバーデンと同年12月にはデンマークと和平を結び、この戦争は終結した。このとき領土をいくらか獲得してそれらのプロヴィンスを神聖ローマ帝国に加盟させて皇帝の権威を高める。

それからミュンスターを独立させる。こうすることでさらに皇帝の権威は高まる。

こうした準備が整った1763年7月、我が国は帝国復興のための議会をフェラーラで開催する。

結果は
賛成17票(コルシカ、アンハルト、アンスバッハ、ボヘミア、ブレーメン、マインツ、マイセン、ミュンスター、ヴュルツブルク、ヴュルテンベルク、アクイレイア、教皇領、シエナ、トスカナ、ウルビーノ、ブラバント、フリースラント)

反対6票(ホルシュタイン、クールラント、フランス、オーストリア、メクレンブルク、ピサ)
で神聖ローマ帝国は皇帝を中心とした統一国家として生まれ変わることになった。

神聖ローマ帝国成立
ヨーロッパ中央部、灰色の部分が神聖ローマ帝国の領土だ。当然これ以外に海外の植民地も持っている。

これ以降は各所での反乱をプチプチとつぶしたり(手の出せないような植民地の反乱は一部無視したが)、バーデンやウクライナなんかにちょっかいを出したり、帝国内の未カトリック州の改宗なんかをした。












とりあえず第4幕もここで終幕。ではいつもの通り反省会だ。

年表形式はやはりだらだらした感じになるというのは今回特に感じたことだ。年表は最後に大まかな流れを描くときのみに抑えたほうがよさそう。AAR記載の反省点はこんなところかな。

正直な話をすると神聖ローマ帝国の復興までいけるとは思ってなかったんで、ゲーム的には今回できすぎな感じ。

次回以降はどうしようか。その辺はいろいろと考えてからだな。

2010年07月05日

EU3AAR連載第4幕第6回「帝国は蘇るか」

飛躍的に領土を拡大し、権威を得た我がヘッセンは皇帝の地位をより強固にするためにさまざまな改革に乗り出すこととなった。今回はその辺を中心に追いかけていこう。

1702年1月 施政方針:宮廷裁判所の改革。
1702年1月 「シュトラールズント議会」

これは皇帝が帝国を改革するために発動する動議だ。加盟各国はこの改革に賛成か反対かを投票することとなる。

その投票の結果、賛成12、反対9で宮廷裁判所の改革は実行される事となった。

1703年7月 マインツに対してヘッセン-マインツ名誉戦争を開始。
1703年8月 マインツが和平提案を受諾。

1703年11月 対バイエルン、デンマーク戦を我が国が主導。
1704年3月 デンマークがウィダを奪取。

1704年12月 マグデブルクが和平提案を受諾。
1704年12月 ハンブルク、メクレンブルク、マイセンがマグデブルクからの独立を宣言。

1704年12月 対教皇領、コルシカ戦を我が国が主導。
1705年11月 我が国がメクレンブルクの側に立ってアンハルトに宣戦布告。
1705年11月 バーデンがアンハルトの側に立って対メクレンブルク、ヘッセン戦に参加。

1705年11月 ユトレヒトがアンハルトの側に立って対メクレンブルク、ヘッセン戦に参加。

まあこの辺の戦争も大きな問題なく進んだ。

1708年10月 施政方針:一般税の制定。
1708年10月 「コペンハーゲン議会」

今度は加盟各国に一般税を求めるものだ。
結果は賛成16、反対12。

1710年2月 対ブラバント戦を我が国が主導。
1711年6月 我が国がハンブルクの側に立って対マグデブルク戦を主導
1712年7月 マグデブルクが我が国の寛大な和平提案を受諾。
1712年7月 ブレーメンがマグデブルクからの独立を宣言。

1715年2月 我が国がウルビーノの側に立って対教皇領戦を主導。
1715年10月 教皇領が和平提案を受諾。

1717年3月 我が国がシエナの側に立って対シチリア戦を主導
1719年3月 シチリアが和平提案を受諾。
1719年3月 トスカナ、ピサがシチリアからの独立を宣言。

先の戦争でもそうだができる限り独立を認めることで皇帝の権威はさらに上がる。それだけではなくこの戦争で我が国は南イタリアの一部を領土とする。

1721年1月 施政方針:永久ラント平和令。
1721年1月 「ニース議会」

永久ラント平和令は加盟国間同士の大義名分を無効にするものだ。

結果は賛成15、反対11。

1724年7月 カメルーンへの植民成功。
1725年1月 イベント:「奴隷」発生。


1729年9月 施政方針:帝位世襲制の宣言。
1729年9月 「リューネブルク議会」

ついに選帝侯の地位を廃止し、帝位を世襲制へと移管するための動議を発動する。

結果は賛成16、反対11で帝位はヘッセンの君主が世襲で担うこととなった。

1731年1月 総督制度を「国策」に採用。
1739年10月 大陸軍を「国策」に採用

この頃から「神の福音」や「国立銀行」などをもっと役に立つ国策へと切り替えていく。

1742年12月 イベント:ヘッセンが「境界線をめぐる争い」において「あくまでも領有権を主張しよう」を選択。
1743年1月 我が国がシチリアに対してパレルモ再征服を開始。
1743年10月 シチリアを併合

これでシチリアに止めを刺した。

1746年1月 ウィルヘルム 1世 キルコフ(6−8−5)が我が国の新たな元首に。

1756年2月 アンスバッハを属国化。

1757年4月 ブルターニュの側に立ってティムール、ブルネイに宣戦布告。

1759年2月 大海軍を「国策」に採用。











さて次回はいよいよ最終回。真の帝国復興まであと一息というところまでたどり着いた。果たして帝国の復活はなるのだろうか?

2010年06月07日

EU3AAR連載第4幕第5回「皇帝は海を渡る」

さて、17世紀だ。神聖ローマ皇帝の地位を手に入れた我がヘッセン。ある幸運によって大きく揺れ動く事となる。

1606年2月 摂政評議会の統治。
1606年2月 神聖ローマ帝国がアドルフ 1世を皇帝に選出。

1614年10月 アドルフ 1世 フォン・ツヴァイブリュッケン(4−7−8)が新たな元首に。

1621年7月 ミラノの側に立ってヴェネツィア、サルデーニャ、ヴュルツブルクに宣戦布告。

1621年8月 イベント:「ラグーザの帝国加盟」が発生。
神聖ローマ帝国への加盟国が領土を拡張すると、プロヴィンス単位で神聖ローマ帝国への加盟を申請する事がある。

1627年4月 ミラノの側に立ってアクイレイア、マントヴァに宣戦布告。

1631年5月 マグデブルクの側に立ってバーデン、イギリス、ブレーメンに宣戦布告

1633年9月 統一的交易方針を「国策」に採用。
経済関係よりも軍事関係の方が良かったかもしれない。

1631年9月 ミラノの側に立ってブルターニュ、ヴェネツィアに宣戦布告。
1633年10月 オーストリアの側に立って対クリミア、ノガイ、シビーリ戦を主導。


1635年11月 我が国がフランスの側に立ってオーストリアに宣戦布告。

1636年9月 オーストリアが我が国の寛大な和平提案を受諾。
1637年2月 ミラノとの同盟を解消。

オーストリアと和平をした直後にミラノから対オーストリア戦への要請がある。

だけどこれは断るべきだろう。「国威」も問題ないし。

1637年5月 バイエルン、チロル、スティリア、ボスニア、アテネ、クロアチア、モルダヴィア、クレーフェがオーストリアからの独立を宣言。
フランスとの戦いの結果、オーストリアは多くの国家を独立させた。これは皇帝たる我が国にとって大いなるメリットでもある。

1646年12月 バイエルンに対する大義名分「再征服」を獲得。
1646年12月 バーデンに対する大義名分「再征服」を喪失。

プファルツの所有権がバーデンからバイエルンに移る。当然の事ながら大義名分もバーデンからバイエルンに移る。

1647年12月 ルードヴィヒ 2世 キルコフ(5−3−3)が我が国の新たな元首に。
1647年12月 神聖ローマ帝国がルードヴィヒ 2世を皇帝に選出。

ツヴァイブリュッケン家は絶え、キルコフ家がヘッセンそして神聖ローマ皇帝の地位へと就く。

1650年3月 摂政評議会の統治。
1650年3月 神聖ローマ帝国がカール 1世を皇帝に選出。


1657年5月 オルデンブルクの玉座を継承。
1662年1月 アラゴンの玉座を継承。

ここで立て続けに継承が起こる。オルテンブルクの継承により海に面するプロヴィンスを手に入れた。

アラゴンの継承は今までに無い規模の継承劇だ。

1662年12月 カール 1世 キルコフ(5−6−8)が我が国の新たな元首に。

1663年1月 バイエルンに対して第3次プファルツ再征服を開始。
1664年3月 バイエルンが我が国の寛大な和平提案を受諾。
1664年3月 アンスバッハがバイエルンからの独立を宣言。
1664年5月 バイエルンに対する大義名分「再征服」を喪失。

この戦争も全く問題なし。

1664年12月 黄金海岸の先住民が植民地を襲撃。
アラゴンから継承した黄金海岸をここで失う。

1667年3月 施政方針:ピレネーにて神聖ローマ帝国への加盟を決定。
我々が継承した旧アラゴン領も次々と神聖ローマ帝国の版図とみなされる。

1668年9月 オルデンブルクが改宗。

1670年12月 アンスバッハの側に立って対バイエルン戦を主導。
1671年9月 バイエルンが我が国の寛大な和平提案を受諾。


1674年1月 我が国がユトレヒトに対して侵略戦争を開始。
オルテンブルクの継承によって海に面するプロヴィンスを手に入れたものの、首都とつながっていないために新世界への入植ができない状況にある。

この戦争の目的はオルテンブルクとヘッセンを陸続きにすることにある。幸いユトレヒトは目立った同盟を結んでいない。開戦理由は無いが、安定度−2のペナルティはたいした問題でもない。

1674年8月 摂政評議会の統治。
1674年8月 神聖ローマ帝国がカール 1世を皇帝に選出。


1675年7月 ユトレヒトが和平提案を受諾。
1675年7月 ホラントがユトレヒトからの独立を宣言。

この戦争はほぼ思うとおりに推移して、オスナブリュックを取り、オルテンブルクとヘッセンは陸続きになる。ついでにホラントを独立させ皇帝の権威をさらに増した。

入植を進めるために国立銀行あたりを新世界の探索にシフトすることも考えたが、もう少しで新しい国策を取れそうなのでここはじっと我慢することにした。

1684年9月 新世界の探索を「国策」に採用。
1685年4月 ウィダへの植民成功。
1685年5月 モスキートへの植民成功。
1685年11月 バハマへの植民成功。

「統治」技術が上昇し、ついに新世界への入植準備は整った。

早速カリブ海(バハマ)、アフリカ(ウィダ)、中南米(モスキート)へと入植者を派遣する。

1685年8月 サルハンがヘッセンからの独立を宣言。
サルハンは小アジアにある。ここも旧アラゴン領だったが反乱鎮圧か困難なので独立させることにする。

1686年5月 カイエンヌへの植民成功。
1686年11月 ウィダの先住民が我が国の植民地を襲撃。

カイエンヌは南米。ウィダはこの後も原住民に襲われる。

1687年3月 カール 1世 キルコフ(5−7−5)が我が国の新たな元首に。

1687年12月 オスナブリュックが改宗。

1688年12月 スリナムへの植民成功
1688年12月 トゥクジュランディアへの植民成功。

スリナム、トゥクジュランディアは共に南米。

1692年8月 イベント:「コーヒー」発生。
「インノミネ」から入植した時点では特産品が何になるのかがわからないようになった。

入植地がある程度発展するとこうやってイベントが起こり交易品が明らかとなる。

1694年3月 バレアレス諸島が改宗
これで再び新教徒の改宗が終了した。

1694年12月 イベント:「砂糖」発生。
1695年1月 イベント:「艦船用装備」発生

カイエンヌでは砂糖がトゥクジュランディアでは艦船用装備が交易品となる。艦船用装具工場にボーナスが付く艦船用装備がきたのはうれしかった。

1695年11月 イベント:「黄金」発生。
スリナムで黄金が産出される。経済的には黄金に頼るまでも無いが、なんとなくうれしかったり。

1699年12月 シエナが教皇領からの独立を宣言。
1701年2月 ヘルダーラント、ブラバントがユトレヒトからの独立を宣言。










オルテンブルク、アラゴンの継承によって領土を飛躍的に拡張した我がヘッセン。神聖ローマ皇帝はその名にふさわしい権威を得ることができるのか。残りは約120年。

2010年05月25日

EU3AAR連載第4幕第4回「宗教改革を乗り越えろ!」

この100年、戦争したり皇帝になったりいろいろな事があった。

そんな中、わが国を襲った出来事がある。それが宗教改革だ。今回はそんな宗教改革と一つ取り上げ忘れた事があったのでそれを追いかけていきたい。

1506年12月 ミュンスター 改革派
1507年6月 トリアー プロテスタント
1509年3月 コブレンツ 改革派
1510年1月 ナッソー 改革派
1510年4月 ミュンスター 改革派
1517年6月 ナッソー 改革派
1518年5月 テューリンゲン 改革派

各所で宗教改革の影響が始まっている。それに対して我が国は宣教師を各所に送り込んで対応する。

1521年5月 コブレンツが改宗

1521年12月 コブレンツ プロテスタント
1527年5月 ミュンスター 改革派

改宗した先からこれだよ・・・

1528年4月 トリアーが改宗
1532年8月 コブレンツが改宗

それでもあきらめずに改宗を続ける。

1533年6月 神の福音を「国策」に採用
そんなことをしているうちに宣教師の数が足りなくなってきたので国策に「神の福音」を選んで対応する。

1534年3月 ナッソーが改宗
1535年9月 ミュンスターが改宗
1538年2月 ミュンスターが改宗


1538年12月 宗教的内戦において「寛容な社会を築くために努力しよう」を選択

1543年6月 ヴォルムスが改宗
1550年2月 テューリンゲンが改宗


1550年6月 宗教的混乱が収束
かくて宗教的内戦の効果は消え、我が国は宗教改革の嵐を乗り切ったのだ!

1571年5月 トリアー プロテスタント
と、思ったら思い出したかのようにトリアーの宗教が変わる。

1575年7月 ヘッセンに交易中心地を設置
前回書き損ねたのがこれ。これで国内流通を我が国が握ることができる。

1594年12月 トリアーが改宗
20年以上かかったけど、大きな混乱も無くトリアーの改宗も終了。



次回からは通常通り進めていく。

2010年05月20日

EU3AAR連載第4幕第3回「皇帝の座」

1502年1月 リューネブルクが我が国の影響圏に入る
1502年1月 ハーガン・ミュンゼンがミュンスターに到着

この二つは前回紹介し損ねた「エア トゥ ザ スローン」の新要素になる。影響圏は全くの新概念で、影響圏下にある国家にちょっかいを出した国に対して大義名分が得られるようになる。

宮廷顧問は今までだと運に頼らざるを得なかったが、今回の拡張によって文化的伝統の数値を消費することによって好きな宮廷顧問を作り出す(見つけ出す)ことができるようになった。

1502年4月 摂政評議会が現在、我が国を統治

1502年8月 我が国がボヘミアの側に立ってフリースラント、ブラウンシュバイクに宣戦布告
1505年12月 我が国がボヘミアの側に立ってリトアニア、ハンガリー、ブルターニュ、アラゴンに宣戦布告


1516年6月 クリスティアン 1世 フォン・メクレンブルク(3−7−8)が我が国の新たな元首に

1521年1月 プファルツに対してヘッセンによる第2次プファルツ再征服を開始
1521年1月 ボヘミアが我が国の側に立って対プファルツ戦に参加

この対プファルツ戦は徹底的に押し込んだが、戦争目的であるプファルツの割譲は果たせず。(首都なので割譲不可)その代わりバーデンを独立させることとしたが、バーデンはプファルツを飲み込んで大きくなってしまった。

1530年1月 神聖ローマ帝国がヘッセンのクリスティアン 1世を皇帝に選出
ヘッセンがついに神聖ローマ皇帝の座に就く。

1532年9月 対教皇領戦を主導
1532年9月 我が国がモデナの側に立って教皇領に宣戦布告


1533年6月 神の福音を「国策」に採用
荒れ狂う宗教改革の嵐に対抗するためにはどうしても宣教師が必要だったので今回は「神の福音」を取る。

1534年1月 アンスバッハを長とする人的同君連合の下位構成国になる
フォン・メクレンブルク王朝はついにここで絶えてしまった。神聖ローマ皇帝の座からも滑り落ちることになる。

1535年7月 教皇領が我が国の寛大な和平提案を受諾
今回から戦争において「敗北を認める」という新しい和平のオプションができた。こちらの国威を消費し、相手の国威を上昇させるだけのものだ。

1556年5月 フィリップ・ルートヴィヒ1世 フォン・ツヴァイブリュッケン(8−5−5)が我が国の新たな元首に。
1556年5月 アンスバッハとの人的同君連合を解消

メクレンブルク王朝に取って代わったのはツヴァイブリュッケン朝だった。

1556年10月 イベント:我が国で「俗世の罪」が発生
1556年10月 フィリップ・ルートヴィヒが新たな継承者に

このイベントは「クルセイダーキングス」でいうところの
美しい村娘が目にとまりました。どうしますか?

獣欲に身を委ねる

私生児

って感じのイベント。

1562年7月 フランスを下位構成国として人的同君連合を形成
1562年7月 神聖ローマ帝国がヘッセンのフィリップ・ルートヴィヒ1世を皇帝に選出
1562年8月 フランスが我が国との同盟を解消
1562年12月 フランスがフランス-ヘッセン帝国主義戦争を開始
1562年12月 マグデブルクが我が国の側に立って対フランス戦に参加
1562年12月 ミラノが我が国の側に立って対フランス戦に参加

フランスを人的同君連合の下位構成国にしたまではよかったのだがそれが一代限りで終わり、帝国主義戦争に持ち込まれてしまった。当然フランス相手では徹底的に押し込まれた。

1563年3月 摂政評議会が我が国を統治
1563年3月 神聖ローマ帝国がヘッセンのフィリップ・ルートヴィヒ 1世を皇帝に選出

王朝の概念のおかげで摂政評議会の統治下でも神聖ローマ皇帝になれるようになった。

1563年11月 フランスが和平提案を受諾
ミラノ領を割譲させることによって、こちらの腹は全く痛む事無く戦争を終わらせることができた。

1569年1月 国立銀行を「国策」に採用
なんとなく「国立銀行」を取っちゃったけど、不要だったかなぁ。

1571年10月 フィリップ・ルートヴィヒ 1世 フォン・ツヴァイブリュッケン(8−4−3)が我が国の新たな元首に

1584年8月 摂政評議会が我が国を統治
1584年8月 神聖ローマ帝国がヘッセンのレオポルト 1世を皇帝に選出


1585年12月 ボヘミアの側に立ってユトレヒト、プロイセン、ポメラニアに宣戦布告
1585年12月 対教皇領、コルシカ戦を我が国が主導
1585年12月 我が国がトスカナの側に立って教皇領、コルシカに宣戦布告
1586年9月 コルシカの和平提案を受諾
1587年8月 ユトレヒトの和平提案を受諾
1589年8月 教皇領の和平提案を受諾
1590年1月 我が国がミラノの側に立ってヴェネツィア、シチリア、アクイレイア、フェッラーラに宣戦布告
1590年7月 ヴェネツィアの和平提案を受諾

この一連の戦争はあまり利益をもたらしてはくれなかった。

1597年4月 レオポルト 1世 フォン・ツヴァイブリュッケン(8−8−8)が我が国の新たな元首に

1597年5月 フランスと軍事同盟を締結

1597年8月 管理君主制に変更

1600年2月 バイエルンの側に立ってクレーフェに宣戦布告
1600年8月 クレーフェが我が国の寛大な和平提案を受諾






次回はこの裏で起こった宗教改革について取り上げる。

2010年05月06日

EU3AAR連載第4幕第2回「で、結局何が新しくなったのよ?」

まず君主制国家で大きく変わったのが<王朝>の概念ができたことだ。
王朝
今までだと国王はただ「ヘルマン2世」となるはずのものが「ヘルマン2世 フォン・ヘッセン」となっているのがわかるだろう。つまりこの人物は「<ヘッセン王朝>のヘルマン2世」なわけだ。

そしてその下に「正統継承者なし」という文字が見える。「クルセイダーキングス」ではないので王の親戚がどうこうというところまでは突っ込まないけど、正統継承者がいればここに表示され、現在の国王が亡くなれば後を継ぐこととなる。だが正統継承者の正統性は「強い」、「普通」、「弱い」の三段階あり、正統性の弱い君主が即位したりすると王位僭称者が反乱を起こしたりする。

王朝の概念について解説した後は周辺情勢の確認だ。
ゲーム開始時のヘッセン周辺情勢
わかると思うが中心部の少し明るくなった青い部分がヘッセン領だ。首都ヘッセンを中心にカッセルとナッソーという3つのプロヴィンスで構成されている。周辺諸国はブラウンシュヴァイク、クレーフェ、マインツ、ヴュルツブルク、ケルン、トリアーなどの小国で構成されている。BERG(クレーフェ領)の北にはミュンスター、西にはブラバント、トリアー、マインツの南にはプファルツがある。大国と呼ぶべき国は結構離れているのでまずはこれらの小国家群を相手にすればいい。

だが一つ問題がある。周辺諸国のうちケルン、トリアー、ヴュルツブルク、マインツ、ミュンスターは大主教領で<婚姻>のオプションが使えない。これらの方面で領土拡張を行うには何らかの策が必要となってくるだろう。

では早速始めていこう。やり方はいつもの年表形式だ。前の反省点をどこまで活かせるかは疑問の残るところだが、ほかにいい方法が見つからなかったと言うのが正直なところ。

1399年10月 ヴュルツブルクと軍事同盟を締結。
1399年10月 ミュンスターと軍事同盟を締結。

3プロヴィンスを保持しているヘッセンには多くの国からの同盟提案が舞い込んでくる。直接的な安全保障の意味合いでヴュルツブルクとミュンスターの同盟のみ受諾する。あんまり役にはたたなかったけど。

1402年10月 イベント:「地方の安定度が低下」が発生。
このイベントは政策スライダを地方分権から中央集権に1動かしたとき起こったもの。「イン ノミネ」から中央集権に寄せれば寄せるほどメリットは大きくなる。今までは政策スライダを1動かしたときのペナルティは例外なく安定度−1だったが、今回からは
中央集権スライダの影響
このように3つのうちどれか1つが起こることになる。

1402年12月 施政方針:祝祭
祝祭は文化的伝統を上昇させる。それに加えて確率にはなるが国威も上昇させてくれる。おそらくは一番お世話になる施政方針だろう。文化的伝統の施政方針を実行するためには政務官を消費する必要がある。政務官は政治体制や施政方針で上昇率を上げることができる。

1403年5月 、バイエルンを長とする人的同君連合の下位構成国になる。
ヘルマン2世は後継者を残さずに亡くなったためにバイエルンとの人的同君連合を組まざるを得なくなった。今までは代替わりしてみないとわからなかったものが「王朝」、「後継者」のシステムによってある程度事前に結果が読めるようになった。

1410年8月 ウィルヘルム1世 フォン・ブラウンシュヴァイク・リューネブルク(4−8−5)が新たな元首に。
人的同君連合の継続と解消もより明確に結果がわかるようになった。

1412年10月 ブラバントの王位を要求
今までは姻戚関係さえあれば王位の要求は無制限に使えた。だが今度の変更により王位の要求は後継者がいないか、正統性が弱い後継者でなければ使えないようになった。だから王位を要求できる国は限られてくる。その辺はアラートに表示されるので注意深く見ておくといい。

1412年12月 イベント:我が国で「愛された継承者の死」
1412年12月 正統なる継承者、ウィルヘルムが死去

当然、統治者の前に後継者が死んでしまう場合もある。

1412年12月 ブラバントに対して継承権をめぐる戦争を開始
王位を要求したことでブラバントに対して大義名分ができた。大義名分さえあれば神聖ローマ皇帝の介入無く戦争を進めることができる。ブラバントはわが国と国境を接していない。だがブラバントはトリアーとクレーフェというわが国に隣接した2カ国と同盟を結んでいる。このどちらか(ないしは両方)が主たる目的である。

1415年5月 トリアーと和平
1415年7月 ブラバントと痛み分けで和平

結局のところクレーフェは参戦せず、トリアーのみと戦った。ブラバントの支援を受けられないトリアーなど物の数ではなかった。トリアーとはコブレンツを取り属国化で和平した。ブラバントとは痛み分けで和平したのだが人的同君連合という目的は果たせなかったので国威が下がってしまった。

1416年1月 施政方針:ヘッセンにて土地改革
土地改革は名前でわかるようにプロヴィンス単位の施政方針で税収を効率的にしてくれる。土地改革の効果はゲーム中ずっと有効なので早めにやっておこう。ちなみにプロヴィンス単位の施政方針にも政務官が必要になる(土地改革には2人)。

1423年6月 ミュンスターの王位を要求
1423年7月 ミュンスターに対して継承権をめぐる戦争を開始
1423年7月 クレーフェがミュンスターの側に立って対ヘッセン、バーデン戦に参加
1424年11月22日 クレーフェを併合
1425年5月28日 ミュンスターと人的同君連合で和平

大司教領だったはずのミュンスターがいつの間にか君主制国家に変わっていた。しかも王位の継承に困っているご様子。しかも同盟国はクレーフェ(ミュンスターと我が国は直接国境を接していないがクレーフェはちょうど通り道にある)。これは王位を要求しない手は無い。その当時の同盟国であるバーデンも一応参戦したが必要も無かった。あっという間にクレーフェを併合、ミュンスターも相手にはならなかった。ミュンスターとの人的同君連合で手を打つ。これは戦争目的にかなった行動(国威の上昇率が高い)だし、人的同君連合には大きなメリットもある。

1425年8月7日 イベント:「ライバル国に対する要求!」が発生
このイベントでブラウンシュバイク領ブランズウィックとプファルツ領プファルツの請求権が手に入る。

1427年11月24日 スウェーデンと軍事同盟を締結
1428年8月11日 スウェーデンの側に立ってボヘミア、リトアニア、リガに宣戦布告
1429年7月1日 借入
1430年3月13日 ボヘミアの和平提案を受諾

このくらい領土を増やしてくるとだんだん大国からの同盟提案が舞い込んでくる。まずは北のスウェーデンだ。だがスウェーデンが神聖ローマ帝国加盟国であるリガと戦争を始めたためにボヘミア(神聖ローマ皇帝)と戦うことになってしまった。結構やられまくったのでかなり厳しい条件が来るかなと思ったが、クレーフェの独立とスウェーデンとの条約破棄という条件だったのでさっさと飲む。だがこの戦争を維持するために多重債務状態に陥ってしまった。

1440年12月 ようやく借金を完済。

1446年4月 施政方針:ヘッセンにて人口調査
人口調査はその名の通り人的資源や税収に影響する。この施政方針は定期的に行わなければならない。

1448年8月 トリアーを併合

1450年12月 ミュンスターの玉座を継承

これも「エア トゥ ザ スローン」からの仕様なのか、両国の関係が良好だと人的同君連合→継承のコンボが入る。併合だと50年たたないと中核プロヴィンスにならないが、継承だとすぐに中核プロヴィンスとなるのでかなりお得。これを期待できるので先の戦争では人的同君連合で手を打ったのだ。

1450年12月 ウィルヘルム 1世 フォン・ブラウンシュヴァイク・リューネブルク(6−3−5)が新たな元首に

1458年6月 フランスと軍事同盟を締結
次はフランスとの同盟だ。だがすぐにフランスがブルゴーニュの侵攻を始めた。この戦争に参戦するとまたボヘミアと戦わなくてはならないので参戦を拒絶する。国威は減るが命には代えられない。

1469年11月 正統なる継承者、ルードヴィヒが死去
1469年11月 オットーが新たな継承者に
1472年7月 正統なる継承者、オットーが死去
1473年10月 ウィルヘルム2世 フォン・メクレンブルク(4−4−8)が新たな元首に
1474年10月 ウィルヘルムが新たな継承者に

かくしてブラウンシュヴァイク・リューネブルク朝は絶え、メクレンブルク王朝がヘッセンを統治することとなった。

1479年12月 ハンザに対してブランズウィック再征服を開始
1480年1月 ハンザが我が国との通商同盟協定を破棄
1482年4月 ハンザと和平

ハンザはブラウンシュヴァイクなどを飲み込み大勢力を誇っていたが、教皇庁より破門され、各方向から攻め込まれていた。このチャンスを逃す手は無い。ハンザに対する開戦理由は破門と再征服(ブランズウィック)と2種類あるがこの戦争の目的は領土拡張なので再征服を選択する。抵抗はほとんど無く、ブランズウィックとテューリンゲンの割譲という本来の目的にかなった条件で和平がかなった。

1488年5月 イベント:「継承者、病に倒れる」が発生
ささやき→えいしょう→いのり→ねんじろ!
継承者は助かりました。

1488年8月 イベント:「帝国からの提案」が発生
ここで我が国が選帝侯となる。

1492年9月 ボヘミアと軍事同盟を締結
ここにいたるまでずっと神聖ローマ皇帝だったボヘミアとの同盟は大きな利益をもたらしてくれるだろう。

1494年3月 正統なる継承者、ウィルヘルムが死去
1494年3月 フリードリヒが新たな継承者に

1499年6月 プファルツに対してプファルツ再征服を開始

1499年8月 フリードリヒ 1世 フォン・メクレンブルク(7−6−7)が新たな元首に
1499年12月 プファルツの和平提案を受諾
対プファルツ戦は何か手間取ってしまって痛み分けに持ち込むのが精一杯だった。でもまだ次がある。

1501年6月 クリスティアンが新たな継承者に。

1500年12月 重大イベント:ハンブルクにて「プロテスタント革命」が発生

まず第1の大きな山、宗教改革が来る。